9.私語多くない……?
朝に目覚めると、心地よい風が頬を掠める。ニルスは朝日の眩しさに目を細めながら寝起きの体を労りつつ起き上がった。
見ると、部屋の窓がいくつか開け放たれ、陽の光を取り入れるようにカーテンも一束に纏められている。どうやらアシュレイが早くに起きて開けていったようだ。
彼は洗面台にて備え付けの青色の魔石に魔力を通し、流れ出た水で顔を洗う。魔石が一般的に使われるのはごく少量の魔力さえあればその恩恵を受けられるという点のためだろう。
ニルスは全くと言っていいほど魔力をその身に宿していなかったが、それでも魔石を使うことに不自由はなかった。
彼は姿の見えないアシュレイを探して食堂へ赴くと、そこに彼女はいた。彼女と同様に料理の並べられたテーブルの向かいには昨晩受付で働いていた少女が話をしている。
半ば煩わしそうに話を聞くアシュレイは、やってきたニルスに気づくとほんの僅かに微笑む。
「おはよう」
「あ、お兄さん。昨晩はお盛んでしたね」
「ん?」
突拍子もない少女の言葉にニルスは戸惑う。少々聞き方が直接的ではないかとも思う。示唆のつもりだとでも彼女自身思っているのだろうか。
「あ、あれ? 違いました? おかしいですね、カップルが泊まると必ずすること済ましてくるので今のように聞くとドギマギとわかり易く反応してくれるんですが」
「焦燥と時期尚早は良くない、プエンテも。ほら、ニルスが座るから早くどいて」
無愛想にアシュレイは彼女をプエンテと呼んで椅子から退けてニルスに明け渡す。どうやら用意された食事はニルスのものらしかった。彩り豊かな野菜と白身魚に穀物、健康的な朝食である。
椅子に腰を下ろしながら、魔族の村の朝も普段のものとさして変わらないものだと感心しているとアシュレイが誇らしげに口を開く。
「ニルスの健康を思って私が選んだ。私も中々家庭的」
「作ったの私ですけどね。というか、時期尚早ってどういうことですかっ! 私の言葉が年相応じゃないっていうなら残念でしたね、お姉さんたちの倍以上は長く生きてますけど!」
「でも精神年齢は同じくらい」
「うぐっ……」
ニルスが訪れるまでの会話の中で、アシュレイはプエンテが見た目相応に興味を持ち、振る舞いを見せていることを見抜いていた。
実際にも魔族は人間と比べると寿命は長いが、その分成長速度が遅い。プエンテもそれに例外でなく、人間でいう12歳の精神を持ち合わせていた。
そんな彼らを尻目に、ニルスは黙々と食事を始める。
「……美味い。料理が得意なんだな」
「あ、そうですか? ありがとうございます。良かったです、わざわざ遠くから食材を仕入れた甲斐がありましたよ」
「受付もしてるのにそこまでするのか?」
宿の人手不足を疑うほどの彼女の働きぶりに、ひょっとすると人間界との文化の違いを垣間見ているのかもしれないとの予感に少々の興味も湧く。
「まあ、調理できるの、私ぐらいしかいませんからね。食材もここらでは手に入れられませんし」
「……どういうこと?」
アシュレイは微かに眉をひそめた。プエンテの話を信じるならば、魔族はどこで食材を調達し、調理しているというのだろうか。
「あれ? 知りませんでした? 魔族は食事を必要としないんですよ。それこそ、何かの祝い事でなければお肉なんか見ることないでしょうね」
「……知らなかった」
まさか食事を摂らないとは思ってもいなかった。ならば生きていくためのエネルギーはどこで体内に摂取しているのかが不明だ。
「食べないで、どうやって生きてるんでしょうね。どこかの学者さんが研究してるとかどうとか」
それはプエンテ、いや魔族全体でさえ知らざる事実であった。言ってしまえば魔族も人間もその歴史は浅い、明らかになっていない事象など山ほどあるのだ。
「へえ、じゃあ、プエンテ……も普段は何も食べないのか?」
「え、ええ。それは、まあ」
「嘘。さっきつまみ食いしてた」
「うっ……!」
プエンテは衝動に駆られたものの、食事に手を付けたことは気づかれていないと思っていた。しかしアシュレイにしてみれば料理の前を往復し、それを凝視していれば犯行を見逃さないほうが無理のあるものだということだった。
「ほ、ほら、あれはほとんど嗜好品みたいなもので」
「でも、魔族の人は調理すらしないんでしょ」
「えっと……味覚があまり発達してないらしくて」
「なんで他人事?」
プエンテは困惑した。盗み食いを見られていたのもそうだがあまり言い争いに慣れていなかった。とはいえ、アシュレイは疑問を口にしていただけだったが。
「ま、まあ私のことはいいじゃないですか! 歓迎されないかもですけど、このベスティアにも観光スポットはたくさんありますよ!」
「歓迎されないならここでプエンテの話を聞いている方が土産にもなる」
「えぇ……」
「アシュレイ、プエンテも困ってるしもういいじゃないか?」
「分かった」
言及してきた割にはやけにあっさりと引き下がったアシュレイを見て、それを制したニルスにプエンテは内心感謝するが、彼女の惚気ぶりに呆れも隠せない。
「それじゃ、ごちそうさま」
「悔しいけど、美味しかった。私もいつかあれくらい作れるようにする」
そして立ち去っていく二人の姿を疲弊した様子で見送るプエンテ。すぐそばにあった椅子にもたれかかり、しばらくの間休息を必要とした。
――――――――
「通行人をあんまり見るんじゃない」
「だって気になる。どうやって動いてるのか」
「そんな、ゴーレムじゃないんだから」
魔法で象った人型の人形を、ある程度魔力の高い魔術師は操って見せるらしいが、ニルスは見たことがなかった。彼自身、そんなことをするくらいなら自分で動いた方が早いとまで思っていたが。
すると、ふと露天商で気になる物が目に入る。
「アシュレイ、ちょっと」
「ん?」
ニルスに呼び止められついていくと、水色の宝石が輝く首飾りがあった。ニルスが思わず近寄ったのは彼女の銀髪に相まってよく映えそうだと思ったためだ。
「やっぱり似合うな。これ、ください」
ニルスは提示されている金額を差し出し、首飾りを受け取る。そしてアシュレイに向き直る。
「はい」
そして首元にそれを掛けてやると、嬉しそうな表情とともに宝石が煌いた。いつもは無表情で分からないが、こうして笑顔を見るたびに随分と温かく柔らかな顔をするものだとニルスは思う。
「ありがとう」
「旅のついでみたいで、申し訳ないけど」
「ううん。ニルスから貰うものだったらなんでも嬉しい」
「例えばどんな?」
そう聞いて、質問がやや意地悪だったかと反省する。しかしそれは杞憂だったようで、
「そこら辺の石でも喜べる」
「いや……」
いつに無く真剣な、いや無表情と言うべきか、そのような眼差しで見つめられ戸惑う。そんな時は石を贈ろうとした正気を疑ってほしいものだが。
「実際のところは、どうかな……剣までだったら許せるかも」
「剣?」
「うん。あんまり女の子っぽくないと、悲しい。鎧とか渡されたら落ち込むと思う。あ、でもそれでニルスを守れって言われるなら、ありかも」
結局結論は変わらず、やはり何を渡されても喜んでしまうだろうと彼女は思う。普段に比べて饒舌なのも、彼女の本音が表れているためなのだろう。
「まあ……気に入ってもらえたようで良かったよ」
「うん。……ん」
するとアシュレイはニルスの手を取り、宝石を握らせるとともに自身の手を重ねた。
「なにを……?」
「……」
ニルスの問いに彼女は答えない。目を瞑り、何やら集中しているようだった。
やがて、無意識の内に止めていた息を吐き出し、肩を上下させた。
「はあっ……はあっ……何となく、呪いが付けられるような気がして。でも、駄目みたい」
「呪いなんて碌なものじゃない」
「でもやっぱり、ニルスと同じがいいから」
こんなことを考えてしまう自分はわがままだろうかと、アシュレイは恥ずかしげに俯く。しかしそこで塞ぎ込んでしまう彼女ではない。
「ここで、あなたが私にニルスから離れられなくする呪いをかけてくれるって言ってくれたら本望。鼻血出そう」
アシュレイの暴走具合とニルスに要求する部分が多くなってきたことにニルスは苦笑する。
そもそも既にその呪いならかかっていないでもない気がした。
「ごめんアシュレイ。俺はやっぱり家に帰らないといけないと思うんだ」
アシュレイの思いに応えることは容易だ。だがその前に罪を償い、自分自身がすべきことを見つけたかった。はっきり言ってこれはエゴだ。
アシュレイにもやらねばならぬことがあるのを理解していたが、それでも今は別れを選んだ。胸を張って彼女の隣に立っていられるように。
「……うん。私も、まだニルスと結ばれるには足りない」
結ばれるとはまた迫った関係だ。彼女はどこまで自分に心酔しているのか気になるところではあったが、自身に感じる不足を含めて思いは同じだった。
その後ニルス達は意外にも淡白に別れを告げた。それぞれの目的へと歩みを進め、また胸を張って再会できるような、そんな日を想って。
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