第15話 石原さんが訴えられた?
12月3日の朝一番…1人の男性が窓口にやって来た。北山さんが担当している石原浩二さんである。石原さんは68歳の男性で、府営住宅で1人暮らしをしている。自治会活動や老人会にも積極的に参加し、特段生活上の課題も見当たらない。私も以前に担当していたことがあり、面識もある。
「森山さん、お久しぶりです。北山さんはおられますか?」
「石原さん、こちらこそご無沙汰してます。北山は朝から家庭訪問に出てますが、何かお急ぎの用件ですか?」
「実は…私、訴えられたみたいなんですよ。裁判所からこんな封書が来まして…」
石原さんが差し出したのは、「特別送達」というハンコが押された茶色い封書。差出人は「大阪簡易裁判所」となっている。中を見せてもらうと、「支払督促」と書かれており、「別紙」に債権の内容が記されていた。
「石原さん。これ…『支払督促』ですわ。債権者は『アルビオ債権回収株式会社』、債務額は、遅延損害金込みで50万円…。元々は『プロキス』の債権ですね。プロキスでお金借りたことありますか?」
「かなり前に借りたことがあります。少し返済して、そのまま放ったらかしになってます。森山さん。何やら小難しくてよくわかりませんが…差押さえとか食らうんでしょうかね?」
「このまま放っておくと、『アルビオ』さんに強制執行の権利が発生します。そうなると、銀行口座の差押さえのリスクは出てきますね」
「…エラいことですやんか! 私どないしたらよろしい…?」
「支払督促は、『異議申し立て』の手続きを踏むことで裁判の手続きに移行させることができます。裁判といっても簡易裁判所の裁判なので、話し合いの延長みたいなものですよ。そこで相手方と話し合いをすればよいです。とりあえず、書類が手元に届いてから2週間以内に『異議申立書』を送る必要があります。で…この書類いつ届きました?」
「10日ほど前ですわ。怖くて放ったらかしにしてましてん」
「石原さん。もう少し早く連絡いただきたかったです。でも、まだギリギリ間に合いますわ。うーん…しかし…『法テラス』にお願いしてたら間に合わんか…」
「森山さん、『法テラス』って何ですのん?」
「国が低所得者向けに用意した司法支援制度です。生活保護受給者は、実質無料で弁護士を使えるんですよ。でも、いつも混んでて、予約が取れるのに1週間くらいかかります。うーん…町の無料法律相談にも間に合わんしなぁ…。とりあえず何か書いて、形だけでも異議申立書を送るしかないか…。で、訴訟に移行させてから『法テラス』に行きましょうか」
私は書類を見ていて、あることに気がついた。「最終取引日」は2006年11月24日になっている。時効を主張できるのではないか…? ただし、住民票を動かさずに引っ越しをしている人の場合、訴状が届かなくて欠席裁判~判決確定で、知らないうちに強制執行の権利…「債務名義」を取られてしまっているケースもある。念のため確認しておこう…。
「石原さん。2006年以降に引越しとかされたことありましたっけ? 今回裁判所から書類が来たのは初めてですよね?」
「私はもう30年近く今の家で暮らしています。『アルビオ』からの督促状は7年ほど前に見たことがありますけど、裁判所からの書類は初めてですわ」
「アルビオ」からの最後の請求から5年以上経過しており、債務名義を取られている可能性もなさそうである。
「石原さん。『時効』ってご存知ですか? わかりやすく言うと、貸金業者の場合は、5年間請求行為をしなければ、お客さんへの請求権がなくなるんですよ。でも、裁判をして判決を取ってたら、時効は10年になります。お話を伺っている限りでは、時効が主張できると思うんですよ。異議申立書に、もう時効になっていると書いて返送してみてください」
「森山さん。やっぱり小難しいですわ。代わりに書いてくださいよ」
「いや、あきませんねん。本人がやらなあかんのです。ここで一緒に考えましょう」
石原さんは、惚れ惚れするような達筆で、時効が完成しているので支払義務はない旨を異議申立書に記し、役場の前のポストに投函した。そして年が明けてすぐ、大阪簡易裁判所から石原さんの言い分が認められた旨の判決文、アルビオ債権回収株式会社から、「債務不存在通知」が送られてきて一件落着となった。
「森山課長。さすがです! ありがとうございました!」
北山さんが尊敬の眼差しで私を見つめる。
「北山さん、これは苦し紛れで投げた球が、たまたまストライクになっただけです。本来的には我々の仕事ではない…。弁護士法違反に問われるリスクもあるので、原則的には法律の専門家につないでくださいね」
私はサラッとそう返答した。
新規相談ケースは、ギリギリまで経済的に追い詰められて役場にやってくる。したがって、必然的に借金や税金・家賃・光熱水費等の滞納を抱えていることが多い。一応丁寧に確認するのだが、本当に失念してしまっているケースのみならず、「借金があると保護が受けられない」という都市伝説があり、意図的に話をしてくれないケースも多い。
滞納については、実務的にはケースワーカーが介入して、保護費の中から少しずつ支払わせることもあるが、借金については、「法テラス」を通じて弁護士や司法書士等の法律家に委任することになる。
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