第14話 ホームレスの藤原さん
11月も下旬に差し掛かった。今年は思いのほか冬の到来が早い。街中はすでにクリスマスモードに包まれ、もう年末なのでは…? と錯覚してしまうような様相である。そんな折、町の救急隊員の大原さんが窓口にやってきた。
「森山課長すみません。役場の外で、藤原一夫さんという男性が酩酊状態で大声を上げているという119番がありまして、とりあえず出動してきたんですが…。急性アルコール中毒にも至らないただの酔っ払いで、救急搬送したとしても、受け入れを断られるのがオチなんですよ。この人有名人ですよね? どうしたもんかと思いまして…。」
藤原一夫さん…70歳の男性である。住民票は南大阪町にあるのだが、基本ホームレスで、体調が悪くなって病院に行きたくなると、フラッと役場にやってくる。当初は無料定額診療の斡旋をしていたが、あまりの頻度に受け入れを断られるようになり、ここ10年ほどは、都度医療扶助単給という形で生活保護を適用し、医療費のみを現物支給している。長年の有名人であり、私も面識がある。
「大原さん。年末の恒例行事ですわ。でも去年は来なかったよなぁ…。とりあえず私が行って追い払います」
念のため阿部主査を同伴して役場玄関に出向くと、藤原さんが真っ赤な顔をして、ご機嫌で三角座りをしている。
「おーっ! 森ちゃんやないか! 久しぶりやのぉ…あんた出戻りか!」
うーん…どっかで聞いたぞ、このセリフ…。昨年亡くなった中村秀明さんである。どうやら私はこの手の酔っ払いに好かれやすいタチなのか…?
「藤原さん。お久しぶりです。去年から生活保護課長してますねん。またよろしく頼んますわ」
「森ちゃん! 課長か! 偉なったなぁ… 出世街道一直線、バンザーイ!」
「藤原さん。恥ずかしいからやめてください。それに、ここに居てられたら皆の迷惑ですねん。どっか行ってください!」
「冷たいのぉ…。もう俺も年でな、外で寝泊りするのも辛いねん。森ちゃん、アパート世話してくれ!」
「役場の外で大酒飲んで大声上げる人に、何でアパート世話せなアカンのですか。施設やったら考えてもええでっせ。頭冷やしてよく考えて、施設入ってもええいうことなら、また改めて来てください!」
藤原さんは、諦めて役場を後にした。
そして3日後…朝出勤すると、始業前の薄暗いロビーに、藤原さんが座っていた。
「あれ。藤原さん。今日はシラフですやん。何の用事ですか?」
私がそう声をかけると…
「森山さん。こないだはすまんかった。久しぶりに会えてうれしくてな、ちょっと調子に乗ってしもた。…俺な。施設入ってもええかなと思ってな。相談に来てん」
藤原さんは神妙な顔つきで答えた。
「そうですか。とりあえず始業時間まで待ってください。担当者決めて話聞くようにしますから」
課内で相談の結果、最もベテランで押さえもきく、阿部主査に担当してもらうことになった。
「課長。藤原さん、今回は決意が固いですわ。もう70歳ですし、今年の冬は寒いので、外での生活には耐えられないようです。どこか救護施設に入ってもらおうかと思ってるんですが、よろしいでしょうか?」
「阿部主査。ウチから施設に入ってもらうということならば、それしか選択肢はありません。でも、あれだけ課題の多い人を受けてくれる施設があるかですねぇ…。大阪市内の施設は誘惑が多いし、難しい人が多いので、人間関係でしんどくなって飛び出す可能性が高いです。郊外なら…『いずみ寮』にお願いしてみますか?」
「課長。私もそこかなと思ってます。一度空き状況等照会してみます」
阿部主査が施設をあたっている間、私は面接室で藤原さんと世間話に講じた。ちょうど今日が藤原さんの70歳の誕生日であることに気付き、売店で温かい缶コーヒーを買ってきて、2人で乾杯して飲んだ。
藤原さんは、酒さえ飲まなければ気のいい好々爺である。だからこそ、この田舎で長年ホームレスを続けて来られたのだと思う。私は藤原さんに、施設に入る条件として、禁酒のための治療を受けるよう提案した。
「そうやなぁ…森山さんの言う通りやなぁ…。俺、どんだけ酒で失敗してきたかわからんわ。もうええ加減にしとかなあかんよな」
30分ほど経ち、阿部主査が面接室にやって来た。いずみ寮の受け入れOKとのことである。急ぎ書類を整え、阿部主査が藤原さんを施設に送り届けた。
施設に向かう車に乗り込む時、藤原さんは私に握手を求めた。
「森山課長。ありがとうございました。しっかりお勤めしてきます!」
「藤原さん。逃げて帰ってきたら承知しませんで!」
藤原さんは、にこっと白い歯を見せて笑った。この笑顔…どこか憎めない。
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