第3話

「はいはい。起きてください」

「あ....ああん?」

 俺は叩かれていた。頬をペシペシ叩かれていた。俺は寝ていたらしい。ゆっくりと意識が覚醒する。なにか悪い夢を見ていた。いや、はっきり覚えていた。ゾウが出ていた。ゾウにひたすら追われる夢だった。俺は自分の家の近所をひたすらゾウから逃げ回っていた。逃げても逃げてもゾウは通りの向こうから現れ、俺は絶叫しながら逃げ回っていたのだ。実に気分の悪い寝覚めだった。

「うなされてましたね。いや、この状況でぐっすり眠って夢見てるのが信じられないですけど」

「何が」

 俺は目を開ける。そこには女の顔があった。眼鏡をかけており、髪型はパンク系というのだろうか。ショートカットなのだが意図的にボサボサに作られているというか、バンドとかやってそうな感じの髪型だ。色は茶色だった。そして、上は黒のパーカーで下は黒のジャージ。スニーカーまで黒だ。しかし、なんというか高そうなスニーカーだ。高校のころこれと同じようなものをイケてる同級生が得意気に仲間に自慢しているのを見たことがある。そんな良い感じのスニーカー。この地味の塊のファッションに対するせめてもの抵抗のような意思を感じられた。パンクだ。しかし、俺はその服装を見て急激に記憶が蘇った。寝る前に何があったのか。いや、寝たのではない。俺は意識を奪われたのだ。他ならぬ目の前のこの女によって。

「げぇえ!! 殺人鬼!!!」

 俺は一気に飛び起き、そして女から距離を取った。

「起きて早々元気な人ですね」

 そんな俺の様子を見て殺人鬼は、女は呆れていた。俺は女を警戒しつつ辺りを見回す。

「なんだここは」

「なにって、私のアジトですよ」

 女は言った。ここは俺も何となく知っている場所だった。この街の住宅街のはずれ、国道から一本中に入った通りのようだった。周りには家々が並び、窓に明かりが灯っている。そして、俺の目の前、女はそこにある店を指差していた。『ビューティサロンニューサチコ』。そう書いてある看板の上がった美容室だった。ところどころにシミや壁の剥がれがあり年期を感じさせる店だ。しかし、カラフルなポールは回転していない。店はもう閉まっているらしい。明かりは点いているが。

「何がだ。この昭和からあります感丸出しの美容室がアジトだって? 正気かよ。ていうかなんのアジトなんだ。殺人のアジトなのか」

「だから、私は殺人犯じゃないって言ってるでしょう。ゾンビ狩りが私の仕事ですからね。言ってしまえばゾンビ狩りのアジトです。ここには狩人の先輩が居ましてね。私はその人の世話になってるんです」

「まだ、そんなこと言ってんのか。信じると思ってるのか」

「思ってませんね。でも、あんたを逃がすわけには行かない。なので」

 女は脇に差している刃物をカチリと鳴らした。明かりの元では良く見える。いわゆる合口というやつか。鍔の無い短刀だった。

「黙って付いてきてもらいますよ」

 どうやら付いてこないなら叩き切ると言っているらしかった。やはり殺人鬼だ。

「クソが。厄日だ。明日の面接を乗りきれば薔薇色の人生が待ってるってのに」

「なんだ。あんた無職ですか」

「無職でなんか悪いのか!」

「いいえ、まったく。ただ、私から言えるのは就職したからって薔薇色の人生になんてなりゃしませんよ」

「やかましい! 俺はとにかく面接を成功させて就職すんだよ! なんだってその前日にこんな」

「まぁ、確かに運は無いですね。と、どうでも良い話はこれくらいにしてとっとと入りますよ」

「どうでもよくないわ!」

 俺は叫ぶがまた合口を鳴らされたので従うしかない。女はカランと音を鳴らして店に入っていった。俺も続く。

「差知子さん、戻りましたよ」

 女が言う。店の奥に腰かけている人物に向かって。そこに居たのはばあさんだ。昭和からこの店を切り盛りしています、と言った感じのばあさんだった。頭にはパーマを当てている。そして、足を組んでタバコをふかしながらスマホを見ていた。不機嫌そうに顔にシワを寄せている。一言で言えば柄が悪い。本当に美容院の店長なのか。

「ちっ。またドブガチャだよ、まったく。ああ、瞳花。帰ったのかい。ああん? なんだいそいつは」

 ばあさん、差知子は俺を見るなり言った。

「すいません差知子さん。ちょっとヘマをやらかしまして。この人が私の仕事を目撃して、ついでに屍人に噛まれました」

「はっ、やれやれ。面倒を起こしてくれたね瞳花」

「すいません」

 女、瞳花はぽりぽり頭を掻きながら言った。

「まったく。しかし、そうなっちまったもんは仕方ないね。で、瞳花。なんでそいつをここに連れてきたんだい。屍人になる可能性があるなら切り捨てるのがいつものあんただろう」

「すいません。この人が死ぬのは嫌だって喚きましてね。仕方なしになんとか他の方法が無いか探すことになりまして。差知子さんがなにか知ってないかと思って連れてきたんですよ」

「はぁん。まぁ、目の前で刃物振りかざされりゃ死にたくないと思うのも道理だね。ましてやその相手がゾンビがどうだの訳の分からないことを言うんじゃなおさらだ」

 差知子はそう言ってプカリと紫煙を吐き出した。そうして俺を見る。

「あんた死にたくないのかい」

「当たり前だろうが。ていうか、さっきから俺抜きで話してばかりじゃないか。はっきり言って俺は被害者なんだぞ。ていうかゾンビがどうだの狩人がどうだの、漫画みたいな話延々しよってからに。あんたらはあれか? 狂人かなんかなのか?」

「...ふん、銀レアか。まぁまぁだね」

 差知子は俺の訴えを無視してガチャを回していた。

「話聞いてるのか」

「ああ、聞いてるよ。要するにあんたは私らの言ってることが信じられないってんだろ」

「そうだよ。はっきり言って頭がおかしいとしか思えない。ゾンビなんて居るわけがないだろう」

「あの警官はゾンビだったんですよ。様子がおかしいのはあんたも感じたでしょう」

「いや、確かに様子はおかしかったけどさ。だからってゾンビだ、って考えねぇよ普通。病気かなんかで常軌を逸してたって考えるのが世の中の一般論だろうが」

 そのはずだ。様子がおかしいやつをいちいちゾンビかどうかと疑うやつはオカルトマニアくらいだろう。いや、オカルトマニアでもそうそう考えないかもしれない。なのでこいつらの言うことは全然信用出来ないのだ。

「話の分からない人ですね」

 そんな俺に瞳花はあからさまに不機嫌になった。左手が合口の柄にかかっている。物騒だ。

「止めな瞳花。まぁ、一般人にこんな話してすぐに信じるやつなんて稀さ。大体、表の世界にそれが知れないように私らが活動してんだからね。その男の反応は正常だ」

「だろう」

「本来ならそれで良いし、私らもそれ以上言うべきじゃない。でも、あんたは今回当事者なんだよ。だから、知ってもらわなくちゃね」

 そう言って差知子は立ち上がった。実におっくうそうに。明らかに面倒そうに。

「はぁ、面倒だね」

 そして言葉にまで出した。

「俺は被害者だぞ!」

「はいはい、分かってるよ。ああ、良いのがドロップしたね」

 差知子は俺の言葉を聞き流しながらソシャゲの周回をしてるようだった。

 そして、差知子は店の奥へと引っ込んで行った。どうやら、俺に事情の説明をしてくれるらしい。何か説明しやすいようにホワイトボードでも取りに行ったのだろうか。

 とにかく、俺は瞳花に言った。

「あのばあさん大丈夫なのか」

「ソシャゲ廃であること以外は大丈夫ですよ」

「やっぱりソシャゲ廃なのかよ」

「でも、微課金勢らしいです。縛りのあるパーティでクエストをクリアするのが楽しいんだとか」

「知らんよ」

 そうこう言っている内に差知子が戻ってきた。

「え、なんだそれは」

 俺は差知子が運んで来たものが何なのか分からなかった。差知子が持ってきたのはホワイトボードではなかった。明らかに何らかの大きな機械だった。見た目は美容室によくあるパーマを当てる機械だ。しかし、いくつもコードが延びている。その先にはなんらかの数値を示し続けるごつい機械があった。なんなんだろなあれは。

「ブレインチャージャーだよ」

「なんだその横文字は」

 ブレインにチャージするという意味だろうか。不吉なものを感じた。

「狩人の術と現代の科学を融合して作った代物でね。こいつであんたの頭の中に私らの知っている知識を直接ぶちこむのさ」

「な、なんだそりゃ! そんなことして大丈夫なわけが...」

「しのごの言うんじゃないよ」

 差知子はまたタバコに火を点けた。そして、俺の後ろで瞳花が合口をスラリと抜いた。

「ま、待て。口で説明すれば良いだろう! そんなわけの分からない機械使わなくても言葉を使って教えてくれれば良いだろう!」

「私らがいくら口で説明してもあんたには狂人の戯れ言にしか聞こえないだろう。だから、こいつで理解した方が早いのさ。あと、口で説明するのも面倒でね」

「そ、そんな! ふざけ...」

 俺が良いかけた時、俺の首筋に冷たいものが当てられた。瞳花の刃だった。

「ここで死ぬか、そいつを被るかどっちか選んでください」

「お、お前...」

「どうするんですか?」

「被る、被れば良いんだろう!」

「良い返事です」

 瞳花は刃を俺の首筋から離した。しかし、鞘には納めなかった。

「じゃあ、ここに座んな」

 俺は言われるままに、されるがままに椅子に座った。すると間髪い入れず俺の頭に機械がすっぽり被された。

「じゃあ、いくよ」

「い、いや。待て、心の準備ってもんが...」

 俺の言葉を無視して差知子はカチリとスイッチを押した。

「う、うぎゃあああああ!」

 とたん、俺の脳内にすさまじい映像と言葉と思考が濁流のように押し寄せた。

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