第292話 延期
「え……」
あー……何かコロナがものすごく衝撃を受けた表情をしている。
そこまで楽しみにしていたのかと思うと心が痛い。彼女の悲しそうな顔を見ると良心の呵責に苛まれそうだ。
しかしこの話はちゃんとコロナに通し納得してもらわなければならない話である。
「ヤマル……えっと、今なんて……?」
「あー……その。約束してたデートなんだけど延期をお願いしたいなぁ、って……」
軽く目を逸らしながら先ほど言った言葉をもう一度伝える。正直ものすごく申し訳ない。
ボールドに竜の小盾を預けたその日の夜、コロナを宿の自室に呼んだ。そして先ほどの提案……すなわちデートの延期を打診したのだ。
もちろんデートが嫌になったとかそういう訳ではない。そもそも異性とそう言うことをする機会がない――この世界では意図的に避けていたけど――自分にとっては嫌がる理由は何もない。
ただ今回は延期したい理由があっただけで……。
「えーっとね……」
とりあえずコロナに納得してもらうよう説明しようとしたところで視界がぶれる。
気づいたときにはコロナに左右の二の腕を挟み込むように掴まれ激しく揺さぶられていた。
「ヤマルどういうことーーーー?!」
「ちょっと待ってててて……!」
ガクガクと高速で揺さぶられるせいで言葉がうまく続かない。
三半規管をガクガクと揺さぶられ目が回り気持ち悪くなってきたところでようやく解放されるに至った。
どうやらこちらの様子に気付いたコロナが放してくれたようだが、もう少し早めに……いや、何も言うまい。自分がうまく伝えきれていればこのような事にはならなかったのだから。
「うぷ……落ち着いた……? とりあえずちゃんと話すからそこに座って……」
「う、うん……」
コロナを促し部屋に備え付けてある椅子に座らせると、自分も丸テーブルを挟んだ対面の席に座る。
「まず延期と言ったけどデートはちゃんとやるよ。これは絶対に約束する」
まず最初に交わした約束は必ず履行すると言う意思をしっかりと伝える。
これをしないと伸ばしている間に雲散霧消するのではないかと疑われかねないからだ。
「それで何で延期にって話を持ち掛けたかってことなんだけど……」
そして話は本題へ。
コロナもこの点については一番聞きたいようでじっとこちらの目を見つめてきている。
「んー、どこから話そっかな……。えっと、今日って皆お休みだったし、俺が出かけてる間にコロも多分どっかに行ったよね? あ、別にどこに行ってきたとかは言わなくてもいいからね」
流石にこの子が宿でゴロゴロしているのはあまり想像つかないので、多分どこかしら出かけてたのではないかと思いそう質問を投げる。
するとこちらの予想していた通り彼女は頷き肯定の意を示した。
「その時……あぁ、出先でも移動中でもいいんだけど、色んな人に声掛けられなかった?」
「んー……確かに結構掛けられたかも」
そして続く質問も予想通りの回答だった。
まぁこれも当然と言えば当然だろう。何せ
「『
「そうだね。ポチちゃんもいるし色々と目立っちゃってるよね」
人王国所属にもかかわらず獣人と亜人、果ては魔物を含めた混成パーティーの『風の軌跡』は自分の贔屓目はあるかもしれないが有名だと思っている。
もちろん自分の過去のやらかしが多分に含まれてはいるものの、それ以上にコロナを含めたメンバーの珍しさも相成って目立つのだ。
以前エルフィリアのお披露目(?)時に街を闊歩したときなんかがいい例だろう。
それでも最近は未だ珍しさはあるものの、当初と違い皆見慣れてきたせいかそこまで騒がれるような事は無くなった。
無論コロナやエルフィリアを筆頭に声を掛けてくる人はいるものの、以前のお祭り騒ぎとは程遠いのが現状だ。
そしてそんな個性あふれる彼女たちを一応まとめている役どころ、すなわちパーティーリーダーの自分の存在が空気化しているまでがテンプレであった。
……今までは。
「それでこの間の模擬戦で更に知名度上がったじゃん。最近は自分にすら声を掛けてくれる人が増えたんだよね。だからコロの方も今まで以上に声を掛けてくれる人が多くなってると思ったんだ」
だが先日の模擬戦で自分の知名度が上がった。
今まで存在感が無い上にお荷物と見做されていただけに、あの時の戦い方は他の人には随分と衝撃的だったらしい。
今まで自分に声を掛けてくれるのは駆け出し時に仕事を手伝った人達ばかりだったのだが、最近は見知らぬ人からすら声がかかる。
それ自体が不快と言うわけではない。ただ周囲の変化に未だ慣れず戸惑っている。何と言うかこそばゆい感じがするのだ。
……いや、今はそうではなくて。
「まぁここで大事なのは俺もコロも現状割と有名人になってる。そこは分かる?」
「うん」
「で、仮にこの状態でデートを行った場合だけど……。コロもちょっと頭の中で想像してみて」
「う、うん」
そう言うと目を閉じこちらの言葉に耳を傾けるコロナ。素直と思う反面、異性の前でそこまで無防備になるのは少々心配になってくる。
「例えば俺とコロが街中を歩いていたとする。すると周囲から声が掛かるわけだ」
「うん、何となくわかるよ」
コロナも今日その身をもって体験しているのだからすぐにどんな様子かは想像できるだろう。
「おそらく行く先々でそうなると予想されます」
「…………ぇ」
「街中歩いていても、ご飯食べても、買い物しててもきっと声掛けられます。もちろん同じ人じゃないし向こうも悪気はないんだろうけどきっとそうなります」
だからこそ、十二分に起こりえる未来を淡々と伝える。それがまるで事実であるかのように。
現在自分たち二人は時の人に近いようなものだ。まさか芸能人の様な悩みを抱えることになるとは思ってもみなかったけど。
「多分どこ行ってもそんな感じになると思うよ。で、まぁ……正直その状態で楽しめるかなぁって疑問に思ってさ」
自分はきっと落ちつかなくなる。
デートとして遊びに来ているのに、行く先々で色んな人に声を掛けられてはゆっくりと楽しめないと思う。
そんなこちらの言いたいことが伝わったのか、コロナが閉じていた目をゆっくりと開かれた。
「とは言うものの多分一過性のものだと思うけどね。もう少し日数が経って皆落ち着いてきたら普段通りになると思うよ」
「だから延期?」
「そゆこと。何日後ってのは具体的には言えないけど、落ち着くまでは止めた方がいいかなぁってね」
さて、言うべきことは全部伝えた。
これでももしコロナが嫌がったら……まぁその時はその時で付き合うだけだ。
どちらにしろ召喚石の魔力が溜まるまではまだ時間がかかるみたいだし、日本に帰るまでにはこの状態も落ち着くはずだろう。
「分かった。デートは……延期でいいよ」
延期と言う単語が出るまでの間にどれだけ葛藤があったかが良く分かる。
これはあれかなぁ。ちょっとグレードの高い店とか調べておいた方がいいかもしれない。
「ごめんね」
「ううん。私こそ早とちりしちゃったし……」
微妙な空気が流れてしまったが、ともあれコロナの了承を得ることは出来た。
王都のほとぼりが冷めるのがいつになるかはまだ分からないけど、準備期間が増えたと前向きに捉えれば悪くはないかもしれない。
一先ずは目の前の問題が解決した事にホッと胸を撫で下ろす。
だが世界は今日もそんなに優しくは無いようで、新たな問題を寄越してきた。
「ヤーマールーくーーん!! ちょっと二日程おねーさんとデートしよー……って、何よその顔? こんな見目麗しい美女がデートのお誘いに来てあげたんだからむせび泣くぐらい喜んでも良いじゃないのよー!」
スパーンと扉が開けられ、開口一番にタイムリーな事を口走るのは言うまでも無くウルティナだった。
もちろん彼女の言うデートが通常使われる意味合いだなんて微塵も思っていない。
しかし何故、寄りにもよってこんなタイミングでその言い方をするのだろうか。
……もしかして盗聴されてたとかないよね?
「……ヤマル?」
なんか部屋の温度が下がった気がするのは気のせいだと思いたい。
「あら、コロナちゃんいたのね。まぁそういう訳でちょっとヤマル君借りてくわねー。あ、二日って言ったけど別にお泊りじゃないからね」
「自分何も聞いてないんですけど……」
「だって決まったの今日だもの。いいじゃない、一緒にお買い物したりー」
「荷物持ちですよね」
「美味しいご飯食べたりー」
「奢ってもらう気満々ですよね」
「夜は朝まで部屋で二人っきり……」
「軟禁してどんな実験するつもりですか……」
「ぶー、ヤマル君がつれないー!」
ぷぅと不満そうに頬を膨らますウルティナだが、その言葉は自分の胸に手を当ててから言って欲しい。
「ヤマル、ウルティナさんとデートするの……?」
「痛い痛い! コロ、手! 俺の腕絞らないで!!」
いつの間にか隣にまで来たコロナがこちらの右腕を掴み絞り上げていた。
ギリギリと言うかミチミチと言う音が右腕から聞こえてきそうだ。
「しないしない! と言うか二日程付き合えはともかくデートの下りは全部師匠の冗談だから!」
「……そうなの?」
「そうよー。だからヤマル君の腕がうっ血する前に放してあげてね」
誰のせいでこうなってるんだと恨めしそうな視線を送るも、ウルティナには笑顔のままやんわりと受け流されてる。
ともあれこれももはやいつもの事か、と内心で息を吐き改めて彼女へと向き合った。ちなみにコロナは絞っていた個所を申し訳なさそうに擦ってくれている。
「相変わらず仲良いわねー」
「はは……。それにしても急ですね?」
「ちょっとこっちでやる事が出来ちゃってね。近い内にマー君と一緒に王都から離れるから、その前にここでやる事を済ませちゃおっかなって思ってね」
その言葉に思わず目が丸くなる。
さも普通の世間話の様なトーンで言われたのだから一瞬聞き間違いかと思ったぐらいだ。
見れば隣にいるコロナも思わずと言った感じにウルティナの方へ顔を向けていた。
「まぁ帰ってくる時期は未定だけどね。あ、心配しなくても召喚石の方もやっておくわよー。
「あ、ありがとうございます。しかし何と言うか……本当に急ですね。行先とかは?」
「当てもなくって訳じゃないけどこっちも未定ね。あ、ヤマル君たちは一緒じゃなくても良いわよ。と言うか私たち二人の方が身軽に動けるし」
「でしょうね……」
ウルティナとブレイヴなら道中の心配も無いし、移動だって自分たちよりもずっと速い。
むしろこのペアを心配させるほどの出来事がこの世界にあるのかと思えるほど……あ、いや。
「(ヤマル、ヤマル……)」
「(……どうしようね)」
一つだけ心配事はあった。そして同じ考えに至ったコロナが服の袖を軽く引き、どうしようと目で訴えてきている。
「……やっぱり自分たちついていきましょうか?」
「あらー、嬉しい事言ってくれるじゃない。でも大丈夫よ、私とマー君が組めば世界征服も夢じゃないもの」
そりゃそうだけどそうじゃない。そっちの心配をしているのではない。
自分たちがついていこうかと提案したのは戦力面ではなく、単純に
ありていに言ってしまえばウルティナとブレイヴを二人きりにしていいのかと言う不安だ。
(本気で喧嘩することはないとは思うけど……)
ただじゃれ合いでも周囲に及ぼす影響が大きいからなぁ、この人たち。
そしてそれ以上に不安なのが魔国で待つミーシャが、『ブレイヴとウルティナの二人旅』を許容できるのか。
……無理そうな気がする。あの魔王様なら卒倒しかねない。
「それで自分はどこに付き合えば?」
変なところじゃないといいなぁと戦々恐々としながら尋ねると、返ってきた言葉は意外にも普通の回答だった。
「初日は魔術師ギルドで二日目は王城ね。あ、コロナちゃん達は初日は着いてきてもいいけど二日目はちょっと遠慮してもらうから、そこはお願いねー」
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