第3章 以心伝心
3-1―伝えたかった思い―
珠樹が教室の掃除を済ませた頃を見計らって笙は教室に戻ってきて鞄を持つと再びおもむろに声をかけてきた。
「そろそろいい?廊下で待ってるから」
珠樹は慌てて帰り仕度を済ませ、廊下でぼんやりと窓の外を見つめている笙のところへ駆け寄った。
「お待たせ」
「久しぶり」
ふたりの間に重い沈黙が流れた。下駄箱までの廊下づたいの道のりをふたりは黙って歩いていた。黙っててもあまり違和感がないのが珠樹にとっては不思議な感覚だった。心臓の音が高鳴ることもなく穏やかな心の空気に従っている感じで、通りすがりの生徒達の賑やかな声も遠くに聞こえるくらいふたりの心の距離をなぜか近くに感じたのだった。
校庭の門を出てふたりきりになると笙がぼつりと呟いた。
「あのときはごめんね」
「うん……」
「それだけ……ずっと伝えたかったんだ。でも君を困らせるつもりはなくて……君のこと今でも好きだから」
「私も今こうして笙君と話せて嬉しいよ」
「身体の調子、大丈夫かな?」
「え?」
「君、あまり、身体丈夫でないでしょ。なんとなく、感じてたんだ。受験期だし、身体壊さないように気をつけて……」
「ありがとう。お互いに、受験勉強、頑張ろうね」
肌を刺す冷たい木枯らしに気持ちを刺激されたのか、笙はそっと珠樹の方に右手を差し出した。珠樹は緊張でいっぱいになりながら、左手を重ねた。
「笙君の手、あったかいね……」
「君の手はこんなにも冷たい。身体、気をつけるんだよ。応援しているから……。これからも。何があっても」
「うん……。ありがとう……」
街中はやがて訪れるクリスマスの足音を告げるように、あちらこちらをイルミネーションで美しくきらびやかな装いをはじめていた。日が暮れるのが早まりかけた空は朱と蒼が混ざり合うようなグラデーションを描きながら、夕闇の訪れとともに夜空の星々を柔らかく静かに瞬かせるように運んでくる。ふと珠樹は美咲と歩いた夕暮れどきの帰り道を思い出し、胸がきゅんと弾けるように切なくなった。遠い空で今頃、美咲は何をしているだろうか?
「受験が終わったらさ、今度こそ妹さん、紹介してくれる?」
笙が唐突に言った。
「そうね。今度は逃げ出さないでね」
珠樹ははしゃぎ気味に微笑んだ。
冷たい風が珠樹の黒髪を柔らかく撫で、しなやかな漣を起こすように毛先をさらりと靡かせた。笙は珠樹の髪をそっと左手のひと指し指で掬い珠樹の右耳にかけると珠樹の右顎をそっと手のひらで覆った。珠樹は笙のあたたかい手のひらの感触に包まれながらもそっと一歩、後ずさりして言った。
「さ、早く帰らないと日が暮れちゃう」
「そうだね」
「受験勉強、頑張ろうね」
「どうかなぁ……。俺、実は受験なんてどうでもいいんだ。まあ、受かるところに受かるよ、きっと……」
「そっか、そっか、きっと自信があるんだね」
珠樹は頷くような含み笑いをすると笙の手を思わずぎゅっと握りしめた。
「笙君と話しているとほっとするよ」
「俺も珠樹ちゃんと話しているとほっとするよ。こころが柔らかくなる」
夕方の喧噪に入り混じるように沿道の車の往来が激しくなり、ふたりきりの静かなひとときは夕闇へと向かう時刻の周囲の忙しさの渦にぽっかりと穴を開けるような不思議な空間に包まれていた。空がすっかり暗くなる前に珠樹と笙は別れてそれぞれの家路についた。やがて訪れる冬の寒さを呼び込むように辺りはしんと静まり返り、星達の瞬きをひと際呼び醒ますような願いをそっと忍ばせているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます