無上の愛
ハリマオ65
第1話:市営住宅の幼なじみ
1968年1月8日、東京と郊外に住む吉田秀夫と幼なじみの安田章子も今年、
中学を卒業予定だった。しかし、どちらも月5千円の公営住宅に住み、貧乏な
暮らしをしていて、朝食は、単に小麦粉を水に溶いたものにキャベツの千切り
を混ぜて焼いた物に卵焼きを、はさんだ甘さのない、お好み焼きもどき、
を食べていた。まれに、大瓶の甘いジャムをつけたりもした。
学校へのお弁当は御飯と卵焼きとお漬け物。夕飯はキャベツ焼き・小麦粉を
溶いて、鰹節とキャベツの千切り混ぜた物をマヨネーズと醤油を混ぜた物に
つけて食べたり、白い御飯と魚のカマと近くで取ってきた野草の味噌汁だった。
そんな極めて質素な生活を送っていたため高校へ行ってもアルバイトしながら
通った。そこで秀夫と章子は冬休みは年賀状などの郵便配達、夏休み、日曜は
、近くの商店の手伝いを一緒にしていた。それでも家族は助け合いながら
仲良く生活していた。中学卒業後、章子は、近くの公立の商業高校へ、秀夫は
近くの工業高校へ入学した。唯一、同じアルバイト先で仕事をするのが楽しみで
、ゆくゆくは、結婚したいなと、思っていたくらい仲良かった。
そうして1971年3月、無事、高校を卒業したが、ちょうど第一次オイル
ショックとなり就職口が少なかった。それでも秀夫は近くの運送会社で自動車
整備の仕事にありつき、章子は、そろばんが上手だったので近くの銀行に入った。
秀夫は18歳になったら自動車の免許を取り2種免許や大型免許、
大型2種免許も取りたいと考えていた。
そして1972年4月に19才同士で結婚した。結婚は、まだ早いと言う
意見も合ったが1人よりも2人の方が良いかも知れないという意見に、
おされて近くの団地の集会場で身内だけ12人で質素な結婚式を挙げた。
その後、2人だけで住みたいので、市営住宅の空き待ちをしていた、
1972年6月に公営住宅の2DKの家に空きが出て、月に5千円の家賃
で入居できた。秀夫も章子も貧しい生活をしながらも小さい頃から堅実に
貯金をして、300万円を貯めていた。その後も無駄遣いはせずに出かける
時は必ず交通費をかけないために自転車で出かけた。
貯金が500万円を越えたら子供を設け様と考えた。
こんな夫婦を近くの昔からアルバイトしていた商店主の、おばさんが見て
いて形が悪くて売り物にならない、コロッケ、メンチ、ハムカツを無料で
差入れしてくれたり、売れ残って古くなった野菜、果物などを無料で
分けてくれた。
1976年に貯金が念願の500万円を越えたので子つくりを始めたが
、なかなかできなかったので翌年1976年の夏に、夫婦で婦人科を受診
すると、章子が不妊症で、子供ができにくい体質だと言うことがわかった。
その結果を知って、章子は泣き出して、長い間、落ち込んでいた。
しかし、秀夫が仕方ないよ、これも運命だ。今後も元気で仲良くやって
いこうよと言うと、章子は、その言葉に救われて、仲むつまじい
夫婦生活を続けた。
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