碧
仁芭ゆづ
「すれ違いの視線」
一瞬だけ目があったと思うと、鋭い視線はすぐに俺ではないほうに向いた。
「俺、何かしたかな……」
つぶやいた言葉は風にさらわれて消えていく。
天野彩は、クラスでもおとなしい子だ。ちゃんと話したことだって数回しかない気がする。
それも事務的な連絡で、話したといううちに入るのかわかない程度のものだ。
だけど彼女は睨むようにこちらを見ては、目があって数秒すると、ぱっと視線をそらしてしまう。
「陸、天野のこと見つめすぎじゃない?」
「そんなんじゃないって」
からかい口調の友人に言われ、ため息をついた。
見ているのは、あっちのほうだし。別に俺が見ているわけじゃない。
「見てるだけなんてかっこ悪いぞ。男らしく声掛けてこいよ」
「だから、そんなんじゃ……」
***
「天野さん」
「……ごめん、先生に呼ばれているから」
彼の声に驚いて肩がびくりと反応する。
困ったような、なんとも言い難い表情をした藤田くんの目に思わず嘘をついた。
「彩ちゃん、また藤田から逃げて」
逃げるように廊下に出てきた私を追いかけてきた友人は、はあっと音が聞こえそうなほどにため息をつく。それに「だって」っと言い訳をしようとした。
「好きなんでしょ?」
「! 誰かに聞かれたらどうするの」
急いで友人の口を塞ぐ。
いいのよ。私はただ見つめているだけで。
藤田陸は、クラスでも明るくて、男子の中心にいるような子だ。事務連絡以外に会話をした記憶はほとんどない。
私とは別世界に生きているような人なのだ。
でもあの日。
「天野さん、重そうだね。持とうか」
先生に押し付けられた雑用を放課後で誰にも頼めず一人こなしていた私に、彼は声をかけてくれた。
そんな些細なこと、彼は覚えてもいないかもしれないけれど。
眼鏡をかけてクリアになった視界で、彼をもう一度ちらりと見つめる。
日直の仕事を終えて、帰ろうと席を立ったところで頭上から声がした。
「あの、天野さん。俺何かした?」
「え?」
顔をあげると藤田くんがジャージ姿で立っている。
逃げる隙も与えないというように彼はまっすぐに目を合わせてきた。
「な、なにかって?」
あまりに見ているからバレた? 見つめることすら嫌がられてしまうかもしれない。私みたいな、地味な子。
眼鏡の奥の目から涙がこぼれそうになって鼻の奥がツンとした。
「嫌そうな顔で、見られている気がしてさ、」
「へ?」
嫌そうな顔?
突然のことに、きょとんとしてしまう。
「違ったらごめん! あいつが気になるなら聞いて来いってしつこくて」
彼が指をさしたほうには、サッカー部なのかボールを追いかけるクラスメイトの姿があった。
見ているの、やっぱりバレていた。
その事実に顔が真っ赤に染まる。
そんなに見ているつもりじゃなかったのに……。
「そんなつもりは……」
「……ならいいんだけど」
彼は少し困ったように微笑む。
あ、この顔好きだ。
久しぶりに近くでみた表情にとくん、とくんと心臓の音が早くなるのを感じる。
「眼鏡、かけてたんだね」
「あ、ああ。目悪いの……。あ!」
「?」
もしかして……。
「嫌な顔って、その。眼鏡かけていなくてよく見えないから、しかめっ面していたのかも」
眼鏡をかけた状態で彼を見ると、照れてしまうから。
きょとん、と今度は彼が一瞬固まった。
「あはは」
そのあと、時が動きだしたように声を上げて笑われる。
「え、あの。ごめんなさい」
眼鏡姿を見られるのは、改まると恥ずかしい。真面目っ子みたいな、フレームの細い眼鏡。
「ちゃんと眼鏡、かけときなよ」
クリアな視界で見る、彼の笑顔。
心臓、もたない……。
「突然、ごめんね。その眼鏡、似合ってると思う」
「! ありがとう、ございます」
思わず自分の足元を見る。
嬉しい。恥ずかしい。突然で敬語になってしまった。
いろいろな感情がごちゃごちゃになって忙しい。
今はとにかく、真っ赤になった顔を隠したい。どうか眼鏡で誤魔化せていますように。
「じゃあ俺、部活戻るわ!」
彼は、満足そうに教室の外へと出て行った。
少ししてから外を見ると、部活に戻った彼が友達に何か言われた気がするけど距離もあるし力が抜けて、何も耳に入ってこない。
今度からは、ちゃんと眼鏡の姿で、貴方を見つめてもいいですか。
不思議だ。好きな人に褒められると、勇気が出る気がする。
「陸、なんか顔を赤くない?」
「うっさい」
赤い顔を隠すように、顔を背けた。
照れた表情。濡れたような眼鏡の奥の瞳が、ぱっと笑った。
あんな顔、するんだ。
鏡を見なくてもわかる、赤くなった顔を隠すために「ほら」と友人を練習に促す。
天野さん、今度は俺から君を見つめてもいいですか。
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