朽ちる傘

@goshi_kaku

第1話

歩く人などいない町外れの道路の脇に、折れて、破れかぶれて、どのくらい前に捨てられたのかも分からない、土として帰ることもできない悲しい傘がある。その傘の柄には、ひらがなで子どもの名前が。破れかぶれの部分にはよく見ると刃物で切り裂かれた痕がある。だが、なぜそこにあるのか、どんな経緯でそこにあるのか、聞くものはいない。


近くの木は心配そうに囁く。

「大丈夫かい?」

木の枝の上で小鳥が慰める。

「辛いよね、私たちがいるから頼ってね」

優しい声に対し、壊れた傘は沈黙している。


この道路の日常は、長くどこまでも続くような坂を、大きなトラックや、形も模様も様々な車がせわしなく通り過ぎていくだけ。雨風が強く吹き荒れる日も、せわしなく、右から左へ、左から右へ。夜だろうが、強引にすべてを照らし、木も小鳥もゆっくり休めない。


ある日、地鳴りとともに地面が大きく揺れ動いた。壊れた傘は、ゴロゴロ、バサバサ、錆びた鉄と破れかぶれなビニールが持つ音を立てて転がる。小鳥は慌てて飛び回り、仲間へ何かを知らせている。それからそう時間も経たず、道路にたくさんの車が列を成し、何やら焦りながら走り、詰まり、走りを繰り返しはじめた。

傘はそれらの車に轢かれ、音を立てて大きく折れ曲がってしまう。そして、タイヤの上から邪魔だと強く罵られ、降りてきた人間に蹴とばされていた。不憫に思ったのか、木が壊れた傘に心を寄り添わせる。

「人とは勝手なものだねぇ。でも、私はあなたと一緒にいるから、あなたは一人じゃないから……」

木は、そう言いつつ、壊れた傘を優しく見つめ続けている。


二度目の地鳴りが起こり、地面が大きく揺れる。遅れて、『ドン!』という重い音と共に、スッーっといつもと違う空気が、車がひしめき合う道路を抜けていく。右から大きな爆発音が次から次へと鳴り出し、大きな炎が土煙と共に巻き上がりながら近づいてくる。悲しみと、あらゆる感情を持った声が方々から響き聞こえてくる。

火柱が、壊れた傘から遠くない場所で人を飲み込んでいる。迫ってくる炎の波を見て、小鳥も木も、徐々に醜く表情を歪ませ、喚き散らすように変っていく。すべては人のせいだと人間に怒り、感謝の言葉がないと壊れた傘に怒鳴り散らし、それぞれが、大切な者へ助けを求めながら炎に包まれていっている。それは、形を留められず、黒く崩れ落ちるまで続いた。

炎が通り過ぎ、運よく生き残った者も、小さなうめき声とドロドロの体と共に、這い進むことも出来なくなり、すぐに動かなくなった。


──同じだ。せわしない車も、怒鳴る人も、仲間思いの小鳥も、優しく声をかける木も、あの子の近くにいた人間と変わらない。


全ての声が聞こえなくなり、酷い臭いが辺り一面にある、そんな夜、傘はやっと安心を手にすることが出来た。

静かな夜。落ち着ける夜。周りの光景を見つめながら、壊れた傘は思いを巡らす。自分が過去、不幸だったと。自分は今、幸せだと。

この世に意思を持って生まれ、なのに不幸だという弱音が吐けなかった過去。誰もいない今なら、自分は不幸だったと何度でも弱音を吐ける。今、この時でも、そんな幸せと、望みを叶えた喜びを自分の体中に届ける。


「僕は不幸だ。誰も分からない。だから、全てを呪ってやったぞ! やり遂げたんだ……」

何かに関わるのも、何にも関わらないのも不幸だ。今までの思いが、心へ重く倒れ掛かる。

「いやだ、やめてくれ、辛いのはいやだ」

何をしても何もできず、何もしなくても、不幸で辛い。


──眠りたい──


僕もいつかは、土に帰れるのかな。そんな一筋の望みを持ちながら、元の望みには無力でかけ離れた先へ続く道の、終わりを予感した。

周りの光景が少しずつ土に変わっていく。その変化を見ながら土を被り、徐々に地中へ埋まっていくことに、傘はまた幸せを感じていた。

だが結局のところ、周りが暗闇なだけで、壊れた傘は壊れた傘としてそこにあり続けた。暗く湿った地面の下で土に帰りたい、何者としても世にいたくないと、ただそれだけを考えながら……。

そのうちに、望みを持つことも考えることも疲れ、全てを面倒に感じてくるようになった。楽なことも幸せなことも安心することも、もう望まない。

ただ、そこにあるだけの存在になった、かつて壊れた傘だった者はついに体中が粉々になり、その体を成していたものはそれぞれ色んなところへ移動していく。


意思を無くした存在は、そうして世から消えていった。

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