第44話:東北への石油輸送作戦3
磐越西線ルートでの石油輸送が始まった。3月25日、根岸・横浜市を出発
した石油列車は20両のタンク貨車タキ1000を牽引して北へ進む。
20両の内訳はレギュラーガソリン8両、灯油2両、軽油6両、A重油4両
となった。同日深夜、新潟貨物ターミナル駅に到着。
ここからタンク貨車10両が切り離され、ディーゼル機関車DD51・重連
に連結された。運転士はJR貨物の東新潟機関区所属の斉藤勉さん。
キャリア30年のベテランが慎重にブレーキを解除し、ノッチ・アクセルを
上げていく。26日午前1時。予定通りの出発だった。会津若松駅近くの
ホテルに宿泊していたJR貨物郡山総合鉄道部所属の運転士、遠藤文重さんは
、午前3時に起床。食事を取り、会津若松駅に歩いて向かった。
傘を差すほどではなかったが、みぞれ交じりの小雨がぱらついていた。
「山の上はどうかな…」。歩を進める遠藤さん。気が張っているせいか、
寒さは感じなかった。会津若松駅には線路を管理するJR東日本の関係者
が20人ぐらい集まり、出発の準備が進められていた。
午前4時近く、暗闇の中から石油列車が発着場にやって来た。
機関車の前には「たちあがろう 東北」のヘッドマークが飾られている。
運転席から斉藤さんが降りてきた。腹に響くようなDD51のエンジン
音が会話を邪魔した。「この先は気をつけて。天候悪そうだから」。
斉藤さんのその言葉だけが、遠藤さんの耳に残った。遠藤さんは運転席
に乗り込み、いつものように指さし確認をしながら、運転手順をこなす。
ふと時計を見ると、発車時間を15分ほど過ぎていた。機関車を付け直す
作業があり、それが原因かもしれない。「くそ、遅れてるじゃないかよ」。
いやな予感がする。運転席には遠藤さんのほか、JR東日本の運転士が
指導員として同乗。万一のトラブルに備えた。もう一人、JR東日本の
会津若松駅の運輸区長も乗り込んできた。実は石油列車の初便には、
多くの関係者が乗りたがっていた。あっけにとられる遠藤さんをよそに、
運輸区長は「マニアだからさ、俺は。まあ、役得ってやつ?」とおどけた。
当然、緊急時の連絡などのミッションを担っているのだが、その雰囲気で
、遠藤さんの緊張は少しほぐれた。「出発進行!」午前4時過ぎ、遠藤さん
の号令とともにDD51にタンク貨車の重さが伝わっていく。10両の
タンク貨車は全部で600トン。重連のDD51の定量は700トンで、
100トンの余裕があるはずだが、遠藤さんは「重い…」と感じた。
通常の荷物に比べ、石油の様な液体は密度が高いせいか、手応えが重い。
それだけだろうか。整備しているとはいえ、DD51は廃車寸前。
馬力が落ちている懸念が拭えない。窓をたたく雨粒は徐々に大きさを
増していく。郡山まで、あと六十数キロもあるのに。速度を上げていく
石油列車を、関係者たちが祈るような気持ちで見送った。
前日の3月25日。会津若松駅の会議室では、JR東日本側のミーティング
が行われていた。石油列車のタイムスケジュールや異常時の対応手順などを
確認した。会議終了後、当時の会津若松駅長の渡辺光浩さんは部下に声を
かけた。「JR貨物からは何か言ってきたか」
「いや、何も。駅長、何か気掛かりでも」「DD51の牽引定数、平地で
800トンだろ。今回の600トンの石油タンク、重すぎないかな…」
渡辺さんは国鉄に入社し、最初の職場は貨物の連結などをする部署だった。
直接運転することはなかったが、ディーゼル機関車の力強さや石油を
積んだタンク貨車の特殊な揺れ方を記憶していた。会津若松駅長に就任
し、磐越西線の難所も体感してきた。春遅くまで雪が舞い散る気候。
石油列車の車輪はかなりの確率で空転し、最悪、停止する。
そんなときには、後ろから別の機関車で押して脱出するしか手がない。
「JR貨物側は大丈夫だと踏んだんでしょう? 要請もなくサポートの
機関車を用意するのはちょっと…」。部下の意見はもっともだった。
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