第17話:回顧録がベストセラー、商売繁盛
そうして3ヶ月後、出版社から手紙が届き、初版の100冊が完売された
ので出版費用は返せるし、ひょっとしたら大ヒットになるかも知れないと
書いてあった。写真を小説の文章の間に入れるというのが斬新で読みやすく
旅行関係の写真本を多く手がけている出版社のユニークな小説として
受け入れられ始めて人気になってる様だった。
半年後の1947年12月に電話がかかって来て、既に5回、増版して、
すごい売れ行きで出版が間に合わない位だと連絡があり印税の送り先を
聞いてきたので、安田衣子さんが出版の推敲や校正を手伝ってくれた、
安田姫子に、この原稿料・印税をあげるからと言い、姫子のスイス銀行の
口座の番号を現代旅行社に伝えた。日本で出版後、2年1950年のベスト
セラーになって3億円の印税が入った。1950年代に入り、1951年6月
に勝一の長男、安田正吉は、ロンドン支店を安田浩二に任せて、イギリスを
離れてアメリカのニューヨークへ行き、安田商事ニューヨーク支店を設立して
10人の米国人を雇い入れて、日本の高級絹織物、陶磁器の貿易を初めてた。
翌年1952年6月に、安田竜男も安田商事パリ支店を安田二郎に任せて、
安田商事ニューヨーク支店に赴任していった。1953年には日米の貿易業も
順調に新規に富裕層の顧客を増やしていき、富裕層の多いフロリダ、マイアミ
、ラスベガスに出張で出かけるようにした。
1960年になり、英国の凋落がしてきたので安田商事ロンドン支店を
閉鎖して、支店長の安田浩二を成長著しい、母国、日本に派遣して、三井物産
から、独立して日本の高級な絹織物、陶磁器、その他、世界で売れる良いもの
を探し出す仕事を5人で始め、安田物産橫浜支店として、以前の橫浜絹商人
の故郷、関内4丁目の古いビルに事務所を構えた。戦後の復興に向かった
日本経済は、その後、世界に例のない高度成長成長期に入っていき、
1955年から1973年まで、日本の実質経済成長率は年平均10%を
超え、欧米の2~4倍にもなった。1960年代の日本は好景気であり、
1960年、岸内閣は 「 貿易・為替自由化計画大綱 」 を閣議決定し、
日本経済を開放経済体制へ移行させた。
1963年にGATTに1964年にIMFとOECDに加盟して、
日本は資本の自由化を義務づけられた。1965年からのいざなぎ景気の
特色は、輸出主導型の経済成長である。設備投資の進んだ重化学工業の分野
で国際競争力が強化され、鉄鋼・電気製品の輸出が増大した。以上の事から
日本の良い商品を世界に売り出すために、安田商事では橫浜支店の営業社員
を20人に増員して、毎日、日本全国を回って現地の良い商品・高級絹織物
、陶磁器、漆器、食器、包丁、ハサミ、メガネなどを買い付けたり、地元の
デパートの外商さんと富裕層の上客に世界の良いもの・外国の車、ゴルフ用品
、ワイン、コニャック、ウイスキー、宝飾品を売って歩いた。1960年代
は日本の貿易が拡大すると共に、安田商事の売上、利益とも増えてきて
年間利益、50億円を越える年も現れた。
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