鑓水商人の末裔、海を渡る。

ハリマオ65

第1話:鑓水の絹問屋に丁稚奉公

 江戸時代末期の天保から明治時代、1830年~1860年に、信州、

上州、会津、甲州、津久井、秩父などから、生糸を仕入れて、日本人の

生糸売込問屋に運んで、販売する、八王子近くに住む、鑓水商人の先駆け

として、大島正四郎が活躍し始めていた。大島正四郎は文化的教養を身に

つけ、算術を巧みであり、それだけではなく、その度胸の良さと、計算の

速さと商売の押しの強さで、鑓水の狼と呼ばれていて、短期間で財を蓄えた。


 その大島屋に、秩父の貧農の男の子、安田亀吉10歳が1954年に

口減らしのために奉公に出されて大島屋で掃除、荷物運びなど下働きを

して食べさせてもらっていた。亀吉は腕白で力持ちで、身体も大きく、

大島屋でも重宝され、毎日仕事に精を出していた。たまの休みの日に

八王子の柔道の道場で柔道も習い始め、暴漢にあっても、投げ飛ばせる術

も身につけて、一層逞しくなった。そして、少しずつ、大島大島正四郎に

商売の仕方の手ほどきを受け、商売の駆け引き、押すべき所、引くべき所

、商売の落とし所を、大島大島正四郎の姿を見ながら、しっかり学んだ。


 12歳から江戸や橫浜に、番頭が生糸を売りに行くと時についていく様に

なり生糸商売の面白さに魅せられていった。しかし、当時は物騒な世の中で、

生糸を売って帰る山道で強盗の被害にあうことも、稀にあった。


 そんなある日、1849年10月11日、いつもの様に鑓水から橫浜へ

馬の背に、生糸をのせて、番頭見習いの梅吉18歳と手代の八十吉16歳が

生糸を橫浜に売りに行き、帰って来るはずが、10月13日になっても

帰ってこない、たまりかねた大島商事の大島正四郎が翌、10月14日に

店の男たち5人で鑓水峠の山中を探しに行った。険しい山道の一画で、

落ち葉が、散らかっている後が見つかり、もしやと思い、一緒に来た男が

草むらを探してみると、落ち葉が異常に盛り上がっている所があり、

不思議に思い、どけてみると、梅吉と八十吉が腹を刺されて死んでいる姿が

見つかり、懐の銭入れがなくなっており、強盗に殺された様だ。


 その後、大島屋の主人、大島正四郎が地元の親分に頼んで腕の立つ、

お侍さんに手間賃を出して橫浜までの商いの道中、同行してもらう契約

を結んだ。その後、大島正四郎が安田亀吉の商売上手なのを見抜いて

1857年、13歳から橫浜へ生糸を運ぶ時に、一緒に行く様に申し渡した。

 毎週のように橫浜へ出て生糸を売り1860年16歳で実際に売買を

させてみると高値で売れた。そうして、1862年、橫浜にできたばかり

の原善三郎の亀屋にも売りに行く様になった。安田亀吉も18歳になり、

いっぱしの生糸の販売員として価格交渉ができ、亀屋に出入りした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る