夢から覚めない
(窓を開けたまま寝ていた)
大きな揺れで目が覚めた。首都高を走るそのままの勢いで、自動車は段差を突っ切ったので。眩む程には明るくて、僕の眼を殺めるための完璧な数学を持ってして、陽射しは僕の顔を照らした。スポットライトに似ている気がした。
ふと、さっきまで夢を見ていたことを思い出し、時を同じくして、何を見ていたか、すっかり忘れていたことにも気付く。
“不思議な夢を見ていた”
漠然と窓の外を眺めているしかなかった。ただ、少し思い出すことはあって感傷に浸る。
五年前
2005年10月4日。運転手は何処を目指してそのハンドルを握っているのか。助手席は何を思って顔を左に曲げているのか。
その日は何だか分からないけど、自分以外の全てを敵に回した気分だった。上っ面で空っぽで、そこには生を感じない。世界はこの自動車を中心に回っているかもしれない。動いているのは自動車じゃなくて、世界のほうなんだ。とか。
このとき、夜の首都高を走る自動車の、後部座席を贅沢に使って夢を見た。それは、
半分残ったレモンスカッシュ。(のような)
すっぱいのは───言葉につまって、発言を放棄してレモンスカッシュは放物線を描く。
“まだ半分のこってるっス。”
「なに言ってんだよ、お前の台詞じゃないだろ」
“キス、しないんだ?”
「間接キスはキスじゃないだろ」
刹那、
“お前、誰だ?”
ベスパみたいなカブみたいな見た目したよく分からない車種のバイクだった。遠くから轟音響かせて、こっち向かって走って来た。半分残ったレモンスカッシュの缶に前輪をとられ、コントロールを失って、バイクは僕を吹っ飛ばした上で、(このときが最後に記憶していた出来事なんだけど)
バイク女は僕の頭をベースのようなギターのような何かで殴ったらしい。後から聞いた。潜在意識ってヤツだ。僕の隣で呆然と佇む女の子は、多分アリス、クラスメイトの。
2005年10月4日。それは僕の10歳の誕生日。最初の数ページしか使ってない、マジックで大きく名前が書かれた、多分遠足かなんかのメモ帳の、これまた多分二ページ目だったであろう先頭の紙に、殴り書きの日付とその日に観た夢についての話。この日を人生のターニングポイントと設定され、クラスメイトのアリスは転校し僕の前から消えて、バイク女は少々手荒に僕の思い出となって、そして僕の前から消えた。
五年後
僕は空虚な外を眺めた。額縁に象られたその景色は、何故か分からないけど偽物のように感じた。実体のない人々、ハリボテの建物、額縁の中に現実があるということを、今の僕は現実であるということを、今思えば、夢から覚めた喪失感で、認めたくはなかったのだろう。車が道を前に進む。そうではなくて、本当は車は少しも前には進んではいないのではないか。動いてるのは、世界そのものではないだろうか。
なんか、そういうのってダサいなって、しばらくして思ったんだけど。思えば僕はずっと前からそんなことばっか考えてきたかもしれない。ずっと前から、あの日から、僕は、
何一つ成長していない。
五年後
2015年10月4日。同じ夢を見ていた。実際には、夢の内容をすっかり忘れてしまっている。たった一分前のことを僕は覚えていないんだ。そうしたら、いつか見た夢など尚更覚えていないに決まっている。そんなことは分かっている。ただ、漠然と“同じ夢を見た”と、根拠の無い確証が僕の身体には纏わりついている。完全に疲れが取れたなどと嘘をつけるほど疲れてはいない、そんな訳で僕の身体は暫く動かなかった。これも嘘。
動かさなかった。動かしたくなかった。
僕の死人のような顔を照らす節介な窓から射し込む光の眩しさに目が眩む中で、開ける極限の細目で光の先に見る白く佇む月の下に見えた十二単の雲が左から右へ、そして額縁の外に消滅するまでの時間が過ぎてから、僕は恐る恐る世界の真実を垣間見るつもりで、左を向けば置時計があるからそれを覗き込んだんだけれど、世界は僕の感じたそれよりも遥かに遅く時を刻んでいた。
僕は起き上がる。
【 第2話 夢から覚めない 】
ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
古典の授業。僕は板書された方丈記とやらを横目に外を眺めていた。こうして授業を放棄させないようにと、僕達の目線の少し上にやっと垣間見れる窓の外の景色は、窓が高すぎて青空しか望めない。背伸びをすると、微かに見える遠くのビル群。そしてそれらを飲み込む雨雲。首を左に曲げてみる。雲一つない、は誇張した表現と言えるが、快晴と言っても良いだろう。高速道路はまるで青空を裂くように存在し、絶え間なく行き交う大型車両たちは、まるで河のようであった。こうして外を眺めている間にも、実は授業に耳を傾けていたのだ。褒めてやりたい。今日の天気は良いものであるから。こんなに良いものを無視しては、とても失礼だと思うから。
高速道路。僕は昔を思い出す。
──朝は僕だけが早起きをする。実際には全く早くなんてない。今日が何の日なのか忘れてしまったかのように、全く起きる気配のない二人の人間が家に居るので、その二人を執拗に揺さぶるのが僕の仕事だった。そのような仕事を職にしてしまうと、残念ながら家を出る時間はとても遅くなる。しかし、そうして延滞をされると、楽しみは倍増することはポジティブに捉えるべきだった。顔も名前も知らない、何を伝えているのかすら分からない。ただ、こうして後部座席に座っている瞬間にしか触れ合うことが出来なかった、スピーカーから流れる異国の音楽たちは、非日常をより非日常に彩っていたのだった。朝十一時の空はとても晴れ渡り、風が心地よい。窓を全開にし、頭を空に突っ込む。息ができないほど、それはとても楽しくなった。そういえば彼らの名前を後に知ることになるが、Larry Leeの“Don't Talk”。この曲は高速道路を走りながら聴くには、世界で一番の価値がある。その瞬間、世界には高速道路を走る僕だけしか存在し得なかった。そこには何人にも侵されない孤独があり、何人にも侵されない自由があった。
ところで、季節は梅雨。僕の視野の80%は青空と高速道路が占めている訳で、効き過ぎた空調の恩恵もあって、僕はとても爽やかな気持ちである。時々遠くに見えるあの雨雲を、教科書のような存在に捉えていた僕の眼。
「あ、プール」
隣の人には聴こえてしまっているだろう、そこそこ大きな音が辺りには響いたのを、耳から拾って時間差で気づいたあとで、次の時間の体育はプール開きであり、そして同時にプールの道具をベッドの上に用意したまま、時間に焦って忘れたままで、なんて優雅な時間を過ごしてしまっていたのだろうと、要するに自分をとても恥ずかしく思った。
前から視線を感じたので、視線の感じる方に首を向けてみると、何故か二つ前の二つ右のトキワが、とても僕を馬鹿にしたげに少々気持ち悪い笑を浮かべていた。馬鹿にしているようで、実は全く馬鹿にできていないのは、彼もカナヅチだからである。泳げないくせに、泳げない人の見学を無理に馬鹿にしようとしているのだ。
しかし冷静になって考えてみれば、僕は泳げないし泳ぎたくもないので、ベッドの上に用意されたままであろうプール道具は、細胞レベルで擦り込まれた自衛の象徴と言えるのであった。今年もまた怒られてしまう。だから梅雨は好きじゃないんだ。
七日後
空は晴れ渡り、夢からは覚めないまま。
そうして、プールの補習をサボってやった。
三日後
だだっ広いプールに僕ら2人。
プールの補習をサボった罰、酷いものだった。
ヘトヘトになった帰り道、そして君を見つけた。
再び、2005年。
“少年、キミがあの日に観た夢ってさ、夢じゃないかもしれないよ”
誕生日の翌日、そっくりそのまま再演されたってわけ。半分残ったレモンスカッシュ、僕は何故だか投げてしまったんだ。その日、意識を失って横たわった僕と、隣で呆然と佇むクラスメイトのアリスと、バイクに乗った謎の女(の意味深な台詞で僕は目を覚ました)
つづく
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