Rebuild Yesterday
人生は思い通り
2019年12月24日。
今日は今日を生きる全ての人にとっての特別な日。
一緒に過ごす人など居ないと憂い、店先で家族連れや恋人たちにケーキを売っているあの女性も、昨日別れた恋人たちも、街先でクリスマス・ソングを歌う夢追い人も、明日の素敵な贈り物に胸踊らせる子供たちも、どの人にも等しく与えられた特別な日。
僕はというと、好きだった人と待ち合わせをしていた。僕は遅刻魔で、学校の行事だろうと友達との待ち合わせだろうと、どんなに気をつけようと、やっぱり数分の遅刻をする。僕はそういう人間で、彼女はそれを知ってる。だから、待ち合わせた場所に一分遅れて着いた時に、彼女の思い通りに事が進んだことを笑ってしまったのだ。
「明日の夜七時、あの屋上に来てください」
そして七時一分、僕は屋上にいる。乱暴に放置されていたラジオから、松田聖子の『SWEET MEMORIES』が流れていた。目の前には、地平線まで何処までも続く美しい東京の夜がある。ここは彼女が最期を迎える場として申し分なかった。きっと彼女は、死ぬ時はここだと決めていたのだろう。本当に美しい眺めだった。ビルの上にはたくさんの星が流れている。流星群だ。クリスマス・イヴに流星群が東京の夜空を駆け巡る。出来すぎた話だったから、やっぱり面白かった。
きっと彼女は七時丁度に飛び降りたのだろう。左手に『SWEET MEMORIES』の流れるラジオを持って、一番のサビが終わったと同時に飛び降りた。二番のサビが流れている今は七時一分。間違いないだろう。かっこいい死に方だったんだ。ああ見えて彼女は案外ロマンチストだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、僕はラジオを左手に拾い、屋上の縁に立ってみた。肌を突き刺す十二月の冷たい風と、光り輝く無機質なビル群と、その真ん中でわざとらしく聳え立つ、憂き世離れの巨大な鉄塔。「東京の夜景は世界一美しい」と、何処かのパイロットはそう口にしたらしいが、残念ながら例え高尚な虚無の心を持ってしても、それが正しいと肯定せざるを得ない。そんな眺めだった。
“失った夢だけが
美しく見えるのは何故かしら
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶 Sweet Memories”
【 第1話 人生は思い通り 】
下を見れば彼女が居るだろう。僕は下を見れなかった。決して悲しくなどなかったが、僅かに頬を伝う涙に気づき、静寂が辺りを包み込んだ。「僕はここで死ねない」そう思って後ずさりして、等しく綺麗に並べられた赤いハイヒールと、置き手紙がヒールに挟まれているのをボヤけた視界で見つけたのだ。
「お元気ですか。私の自分勝手な行動を、あなたはもう慣れてしまったし、許してくれることでしょう。こんな日に待ち合わせの約束を一方的に伝え、私はあなたに会わずに死にます。あなたが必ず数分の遅刻をすることは知っています。だから待ち合わせは七時丁度。飛び降りるのも七時丁度です。
誤解してほしくないのは、あなたが例え待ち合わせに早く来ても、あなたが来る前に私は必ず死にます。そうなっているから、あなたは今この手紙を読んでいます。
七時丁度に『SWEET MEMORIES』の一番が終わるように演出したのは私です。私の人生は思い通りですから。この曲は父が好きな曲でした。私はジェミニの後部座席で、彼の後ろ姿と共にこの曲を何度も聴きました。父のことはとても嫌いでしたが、良い人だったのかもしれないと、最近ようやく、そう思えた気がするのです。
さて、あなたに来てもらったのは、この特別な日の、ここの特別な景色を、あなたと私で共有するためです。美しい眺めでしょう。東京の夜景はこの世で一番美しい。そんな都市に生まれ育ったことを私は嬉しく思います。あなたもそう思いませんか。
最後に
あなたには生きる意思があります。生きることを望むあなたには、素晴らしい人生を私が保証しましょう。とりあえず今夜は特別な夜に。そして明日の朝は私からのプレゼントを。喜んでください。
それでは。今までありがとうございました。」
彼女はいつも、追い越せそうで追い越せない、そんな絶妙な速さで僕の前を、3歩先で歩く女性だった。僕は、追い掛けることに必死で大変だったけれど、追い掛けることは楽しくもあった。きっと彼女は、追い掛けることの眩しさと追い越す淋しさを両方知っていたから、眩しさだけを僕に教えて、淋しさは最期まで。遥か先まで一人で行ってしまった。
彼女は、結局その生涯の最後の最後まで、
全て彼女の思い通りに事を進めてしまったのだ。
ふと、可笑しく感じて笑ってしまった。笑って、少しの静寂の後、音の鳴らなくなったラジオを片手に、彼女に別れを告げた。立ち去ろうとして扉に手を伸ばし、「もう一度」と思い後ろを振り返る。さっきまでの流星群は初雪へと姿を変えていた。
全て、彼女の思い通り。
2019年12月24日。今日は、今日までを生きてきた全ての人にとっての特別な日。
僕は言う、「さようなら。」
つづく
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