天音色の空

八雲ゆづき

第1話

ある日の放課後。


とある男女二人は部室棟の文芸部と書かれた看板のついた扉の前に立っていた。


「そらくん! 寒いから早く開けてよ!」

「ご、ごめっ……! 手が悴んで……!」


どうやら部屋の鍵を開けるのに手間取っているようだ。

女は寒いのだろう、体を縮こませて小刻みに震えている。

男の方は手が悴んでいるようでうまく鍵をさせないでいた。


ここはとある高校、県内でも有数の進学校だった。

名門大学への進学者も多くいる。

そういや二年生のクラスに東條とかいう男子生徒と同じく東條という名字の女子生徒がいたような……関係ない。


「あっ……」


ガチャリッ、音をたてて鍵が開く。

開くやいなや女は扉を開け、部屋に飛び込んだ。


「やぁぁっと、入れたぁー……」


靴を脱いで部屋に上がり、ストーブの電源を入れながら女はぐったりと部屋に倒れ込む。

室内は畳になっておりこの上にちゃぶ台やストーブが置いてある。

壁際には本棚があり、古いものから新しいものまで色々な本がびっしりと詰まっていた。


「空くんまじでいいかげんにしてよねぇ……あんなの簡単にあけられるでしょ……」

「いやほんとに手が悴んでて無理だったんだって……あー、ストーブあったけぇ」


倒れ込んだまま小言を言う女に対し、空と呼ばれた男はストーブでその悴んだ手を温めながら言い返す。


空と呼ばれた男、神坂 空はこの高校の一年生にして文芸部部長。

女の名は、久空 天音。こちらも文芸部員だ。

二人は幼馴染で幼稚園の頃からの付き合いである。


現在、この文芸部に所属しているのは天音と空だけである。元々先輩が複数人居たが、受験のため引退していった。

さらに、具体的な活動も行っていない為廃部間近となっていた。


もし、来年入ってくる新しい一年生たちが最低でも三人居なければ潰れてしまうという瀬戸際に立たされていた。


しかし、二人の様子を見ているととても危険な雰囲気には到底見えない。


「まぁ、別にいいや。また何か買ってもらおっと」

「おいおい……勝手に決めんなよ。何が欲しいんだ」


我儘な天音に甘々な空。


天音はうつ伏せ体制から顔を空の方に向けた。

その目はキラキラと輝いている。


「まじ?! やったぁ! ちょっと冗談のつもりで言ったのに!」


ニマニマしながら天音は言う。


「何買って貰おうかなぁー。んー……あっ、そうだ。なにかお菓子でいいや。帰る時にスーパーよろ?」

「わかったけど、そんなのでいいのか?」

「うん! まぁこれからもっと尽くして貰おうかな?」


とてもご機嫌そうに言う天音だった。



二人は部活動(とは名ばかりの読書。文化祭の日には部誌を作っている)をした後、部室の鍵をかけてから帰路に着く。

部室の鍵は特に管理をする必要は無いため、普段から空が家に持ち帰っている。

もはや家のような存在だ。


「ふんふふんふふっー。何買ってもらおっかなぁ」


首元に少し大きめのマフラーを巻き、手袋を着けた天音はスキップをしながら道を行く。

その隣ではズボンのポケットに手を突っ込んだ空が白い息を吐きながら天音の横を歩いていた。


空はすっかり暗くなっている。それでも時間は夕方六時半。夏場ならばまだ明るい時間帯だろう。


「と、ところでさ……今日って何の日か知ってる?」


空は少し言葉を詰まらせながら言う。

理由はもちろんある。


今日は二月十四日、バレンタインデーだった。


「んー? そらくん突然だね。もちろん知ってるよ? バレンタインデー、でしょ? 今年は何個貰えたの?」


少しからかいの気持ちを込めて天音は言う。


空はそんな事を聞かれるとは思っていなかったので少し焦りつつ、それを極力表に出さないように努めた。


「んーと……2個、だったかなぁ」

「えっ……」


本当は一つも貰えていないのに強がる空。

天音の方も何故か動揺していた。

が、直ぐにいつもの顔に戻る。


「そ、そっかー! さすが幼馴染だけあるよ! 鼻が高いね!」

「なんでお前が得意気になるんだよ」


二人の気持ちはまだ、交差したままだった。



スーパーに着き、お菓子コーナーへと向かう。


天音が真っ先に向かったのはスナック系の棚だった。


「んー……これも捨て難い。でもなぁ……どうしよ、迷う」


お菓子1つを決めるのにとても悩んでいるようだった。

「俺も買いたいお菓子あるんだったわ。ちょっと棚違うけど見てくるな」

「はいはーい」


空は天音と分かれて別の棚に向かった。

その棚というのはチョコレートコーナーだった。


先程は見栄を張って嘘をついてしまったが一つももらっていない訳で、そんな自分を慰めるため、そして天音に何か買ってやろうと思い来たのだ。

海外では男性から女性へ贈るのが一般的らしいし。


「んー、これでいいかな」


箱を二つ程手に取り、そのままレジへと向かった。



入れ違いの形で天音はチョコレートコーナーへとやって来た。

手にはじゃがいもを使ったカリッとした歯応えのある棒状のお菓子を持っていた。味はじゃがバター味、青のパッケージである。


「んー、そらくんどこだろー……」


キョロキョロしながら探しても姿を捉えることはできない。

天音はとりあえずチョコレート菓子を見ることにした。


「あー、こっちの方がよかったかも……でもこのお菓子も捨て難いしなぁ。まぁ、こっちはそらくんに買ってもらうとして、このお菓子は自分で買おっと」


じゃがいものお菓子ともう一つ別のチョコレート菓子を手に取り、レジの方へと歩いていった。


(そういやチョコレート二個貰ったって言ってたなぁ……それって、本命とかも混ざってたりするのかなぁ。それよりこのタイミングで渡せるかなぁ……恥ずかしさと不安で潰れちゃいそう……)


買わずとも、彼女の背負っているリュックの中にはしっかりラッピングの施されたものがあった。

しかし、天音にそれを渡す勇気は今のところ無いみたいだ。



二人は家の方向が同じなので再び一緒に歩みを進める。


「あー、雪降らないかなぁ」


天音は空を見上げて言う。


「もし降って積もったら、また雪だるま作ろうよ! ほら、昔みたいにさ!」


天音はそういうとニコリと笑った。



†*†



「そーらっ! 早く来てよ! めーっちゃ、積もってるよ!」


ぴょんぴょん飛び跳ね、辺りに白い雪を撒き散らしながら天音は空を呼んでいた。


これは数年前、まだ二人が小学生だった頃の話。


何年かぶりに二人の住んでいる町に大量の雪が積もったのだ。

有名な童謡に出てくる犬のように天音はそこらを駆け回っていた。


「天音ちゃん、あんまり走ると危ないよー?」


後ろにはゆっくりと空が歩いてきていた。

ジャンパーと手袋、マフラーをつけて防寒対策はしっかりしていた。


「いいじゃん、いいじゃん! あっ、雪だるま作ろっか!」


随分とお転婆である。


二人は近くの公園に行き、広場に積もった雪を手ですくって小さな雪の玉を作った。

それを少しずつ転がして大きくしていく。


「ゴロゴロ〜、ゴロゴロ〜。ちょっとずつ大きくなってきてるね!」


天音が雪だるまの下の大きい玉をつくり、空が上の小さい玉を作っていた。


みるみるうちに雪玉は完成していき、十分立派な雪だるまを作れる程にまでなっていた。


「そろそろ作ろっか! こっちに持ってきてー!」


少し離れたところから空を呼ぶ。


天音の方にまで行くのに転がしてしまうとまた大きさが変わってしまうと思い、持ち上げようとする。が、


「んんっっー! ……ハァ、ハァ。んんっ! ……ダメだ」


結局転がして行くことにした。

思ってたより形も変わっていないのでよかった。


二人はそれぞれが作った玉を並べる。


「うん、大きさはバッチリだね!」


天音は満足そうに言う。


ただ一つ問題があった。

先程小さい方の玉でも空は持ち上げることができなかったのだ。

2人の力を合わせてもどうだろう。


「んー、どうしよう。大きすぎちゃったかなぁ」


悩ましい問題に空は首を傾げる。


結局、二人で持ち上げる以外の解決策は無かった。


「……よし。せーので持ち上げてね」

「うん!」

「「せーの!」」


二人は同時に力を込めるがそれでも持ち上がらない。


「うーん、諦めるしかないかぁ……」

「でも、もしかしたら誰かが持ち上げてくれるかもしれないよ? 私たちがいない間に!」


作りかけの雪だるまはそのままに、雪合戦を楽しんだ二人だった。



数日の時が経って二月。十四回目の朝を迎える。


空は久しぶりにこの間の広間を訪れた。

すると、


「うわっ、できてる!」


この間空と天音の二人で作った雪玉が上下二つで重なり、ひとつの大きな雪だるまを形作っていた。


空は早速天音を呼びに行った。


「わぁっ! すごいね、これを二人が作ったんだもんね!」


天音はとても興奮してぴょんぴょん飛び跳ねていた。


「でも、目と手がないね。どうしよっか」

「それならこれ使う?」


そう言って天音はポケットの中からピーナッツにチョコレートをコーティングしたお菓子を取り出した。


「これを目にしたらいいんじゃないかな?」


さすがにお菓子を使う訳にはいかないので仕方なく小石と木の枝を探すことにした。


「いい案だと思ったんだけどなぁ……」


少ししょんぼりして言う天音。


「さすがにチョコレートを使う訳にはいかないよ。さ、小石と枝探そ」

「あっ、そうだ! そらくん、今日って何の日か知ってる?」

「えっと……バレンタインデー、かな?」

「その通り! 正解した空くんに……はい、あーん」


そう言って天音が目の前に突き出して来たのは先程のチョコボ〇ルだった。


空は躊躇うことなく口を開ける。

口の中にチョコの甘みとピーナッツの風味が流れ込んでくる。


「とっても美味しいよ! ありがとね、天音ちゃん!」


ホワイトデーはどうしようかと迷う空だった。



†*†



「またあの頃みたいにチョコボ〇ル使うとか言わないよな……?」

「いっ、言わないよ?! てか、よく覚えてたね……懐かしいなぁ、あの頃」


しみじみと思い出している天音だった。


「そういえば、あの日チョコボ〇ルくれたよね。たしか……」

「うわ……私も今思い出した。なんであんなことしたんだろ。あーん、だなんて……今じゃできないなぁ」


恥ずかしそうに言う天音。

空の方も少し顔を赤らめている。


二人は歩き始める。

少し雰囲気が変になりながらも歩き続けた。


「ところで、何食べてるの?」


空は天音が何かを食べているのに気がついた。

手に持っているのは先程スーパーで買った、クラッカー生地を細く伸ばし、チョコレートをつけたお菓子だった。


「ん? ポ〇キーだよ、食べる?」


いつの間に買ったんだろ、と空は思いつつありがたく頂戴することにした。が……


「あ、ごめん。今くわえてるので最後の一本だったみたい」


天音が今口にくわえてる一本がラストだったようだ。


「でもでも、そらくん。ポ〇キーゲームって知ってる?」


天音はニヤニヤしながら言う。


ポ〇キーゲームとは、主に男女二人がペアで行うものだ。

一本のポ〇キーをそれぞれ両端から食べていき最後には二人の口が……というものだ。


空は少し恥ずかしそうにしながら言う。


「も、もし本当に俺が度胸の無い男に見えてるんなら、その発言は撤回した方がいいぞ」

「えー、そんなこと言ってさぁ。本当は何も出来ないく——」


——カリッ!


「えっ……!!」


音がすると同時に、天音のくわえていたポ〇キーの半分近くが無くなる。


「だ、だから言っただろ!! あまり俺を舐めんな!!」


ドクドク、と打ちつける鼓動を抑えながら空は言う。

ポ〇キーゲームではないにせよ、もう少しで口が重なるという程顔は近かった。


そしてそれは天音も別では無かった。


(どうしよ!! めっちゃビックリしちゃった……!!)


突然のことだったため、その思考回路は停止してしまっている。

その顔にも先程まであった余裕の表情は消え失せ、頬を真っ赤に染めている。


「ま、まぁ! ポ〇キーゲームではないしね、ハハハ……!」


そう言って取り繕うのが精一杯だった。


二人は止まっていた歩みを再び動かす。

この調子じゃ、チョコなんてとても渡せそうにない。


「ところでそらくん。チョコレート誰から貰ったの?」


冷静さを取り戻して来た天音は空に聞く。


「じ、実は……ごめん! 見栄張って嘘ついた! 本当は一つも貰ってないんだ……一つも……」


嘘をついていたこと、一つも貰えなかったことが相まって声音がどんどん下がっていった。


天音は一度、大きな溜息をついて、


「だったら、はい。これあげる」


少し目を逸らして空に差し出す。

もちろん手作りチョコを。


「えっ……俺なんかのために? ありがとう!」


空はとても喜んでいた。


「わざわざ嘘つくことでもないのに……なんて。自分の気持ちに嘘ついてる私に言う資格はないか」

「ん? なんか言った? 天音」

「!! なんでもない!! 早く帰ろ、ちょっと寒くなってきちゃった」


本当は熱くて仕方がない事にもまた一つ嘘をついて、天音と空はあるきだす。


いつか面と向かってこの気持ちを伝えられるのか。

そんな気持ちを胸に秘めながらもいつかは伝えたい。

いつかは伝える、そう心に決める二人だった。

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