.fbx


 ゲーム開発でありがちな問題として上がるのが、物量問題だ。

 キャラモデルが何百体で、BGMが何十曲で、マップモデルが……。

 といった具合に、とかくリソースが必要になる。


 その時の僕は、モーション作成の会社を探している最中だった。

 当時在籍していたプロジェクトでは、もろもろの仕様は決まったものの、キャラモーションを大量に用意する必要が出ており、そのモーションを作成してくれる会社を探していたのである。


 ゲームを作る際、そのゲームに必要なリソース全てを一つの会社で用意するのは、ごく稀なケースである。(超大手だと自社で全て賄うのかもしれないが、少なくとも僕が携わったゲームは全て、リソース関係はある程度分割して、外注会社へ発注していた)


 今回のようなケースも過去に無かったわけではなく、同じように過去モーションを発注させてもらった会社に頼もうと思ったのだが、スケジュール的に都合がつかないというころで人探しならぬ会社探しに奔走していたのである。


 そんな折、社内の別プロジェクトで来ていた『君島(キミジマ)さん』というプランナーを、そのプロジェクトの上司に紹介された。

 歳は当時で三十少し手前くらいだったかと思う。

(自分と同い年くらいかと思って年齢の話をして、驚いたのを覚えている)


 聞けば彼の会社では、モーションデザイナーが近々手すきになるらしい。

 さらに、君島さん本人も、今のプロジェクトから近く抜けるらしく、このまま彼にはうちに居てもらって、手すきになるというモーションデザイナーとの窓口になってもらってはどうか、という話だった。


 企画仕事も多分にある状態で、こちらの人探しの仕事もあったこともあり、この申し出は渡りに船だった。


 僕は自分のプロジェクトの上司にこのことを報告し、君島さんには手が空き次第、こちらのプロジェクトに入ってもらうよう、手配を進めた。


 僕たちが作っているゲームの簡単な仕様の説明や、資料共有をしていく中で、僕は君島さんが『怪談好き』であることを知った。

 というのも、資料説明をしに彼の机に行った際、そこに三津田信三先生の怪談短編集、『赫眼』が置かれていたからだ。

 あの特徴的な表紙は否応なしに目につくものである。

 僕も書店では、その表紙がどうしても気になってしまって、殆ど衝動的に購入してしまったのを覚えている。


「怪談、お好きなんですか?」

「えぇ」


 という短いやり取りを一度してから、僕と君島さんは仕事以外の話――怪談関連の話を少しずつだが、徐々にするようになっていった。


 そうこうしていくうちに、君島さんも元のプロジェクトを抜けて、僕たちの所に入ることとなり、記念というのも何ですが、と二人で飲みに出かけることにした。


 店は会社から少し歩いたところにある、小料理屋を選んだ。

 奥に座敷がある落ち着いた雰囲気の店である。

 僕と君島さんは、その座敷に通された。

 酒と料理をしばらく堪能しながら、仕事の話を二人でして――やがて、ある程度酔いが回ってきた所で、怪談の話となった。


 どの怪談師さんが好きか、どういう番組を見ているのか。

 あの本は読んだか、映画は観たか、という話が進むうちに、つい僕はぽつりと聞いてしまったのである。


「そういえば、君島さんは、そういう体験とかされたことあるんですか?」

 僕の問いに、君島さんは少しだけ考えるような顔をして、それから、「えぇ」と呟いた。


「あります、一度だけ」

 と答えてから、しかしすぐに「うーん」とうなり始める。

「あー、もしかして言いづらいやつですかね?」

「いえ、そういうのではなく。確かに気味が悪い話なのですが、何というか、特にこれといったオチは無い話なので、ちょっと期待外れかもしれないんですけどね」

 そう言って自信なさげに、力なく君島さんが誤魔化すように笑って見せた。


 以下は君島さんが語ってくれた体験である。

 書き方も彼の語り口調を、なるべくそのまま再現している。

 なお、遅ればせながら君島さんの名前が仮名であること、また以降の記載に登場する人物名なども同じく仮名であること、ご了承願いたい。


◆◆◆


 今から少しだけ前の話です。


 当時、私が所属していたチームは、3DのアクションRPGを作成しており、私は途中からそのチームに参加することとなりました。

 私はまだゲーム全体の仕様などは把握できておらず、ひとまずはデバッグやリストのチェック、また外注から届いた納品物の確認などが主な業務となっていました。


「君島くんには、来週からA社から届くモーションのチェックを一先ずしてほしい」


ゲームの仕様についてある程度確認を終えた私に、上司の沢渡(さわたり)がそう言いました。

 彼はかなりのベテラン社員で、外の会社にも顔が利くらしく、今回のモーションを作成した外注会社とも親しい仲でした。

「リストは、gitに上がってるこれを見てくれたらいいから」

 リストはエクセルファイルで、ゲーム内で使用するモーションの発注資料となっていました。

 項目は左から順番に、リストの番号、モーションの日本語名、モーションのイメージ画像、尺の長さ、モーションのファイル名だったかと。

 まぁ、よくあるものです。


「細かいところは、デザイナーさんに見てもらうねんけど、君島君にはデザイナーさんに回す前に、明らかにおかしいところが無いかを見てほしいねん」

「モーションの内容とか、ファイル名とかですか?」

「せやね。あとは、納品内容に欠けが無いか、とか」

「わかりました」


 と、返事をしながら、安堵の息を吐いたのを覚えています。

 当時の私は、その一つ前のプロジェクトでディレクターをしており、退社時間がいつも22時以降の日々を送っておりまして……。

 楽しかったのは楽しかったのですが、連続でやるとなると、体力的につらい所もありまして……。

 今回は楽そうだと、ホッとしたのです。


 ところがいざ始まってみて、久しぶりにこういった作業をしてみると、存外にこれが辛いもので。

 まず、データの数がやたら多い。

 一度に50近いモーションデータが送られてくる。

 聞けば、外注のモーション会社は5人体制でモーションを作成しているらしく、凄まじい勢いで作成しているそうなのです。


 ひとまず私は、ちゃんと動くのか、内容はリストに沿っているのか、欠品はないか、ファイル名は間違っていないか――という項目で確認していくことにしました。


 ただ、外注会社から送られているのは、モーションデータだけなので、そのままだと確認がしづらい。

 なので、キャラのモデルを表示して、そこに流し込む形で納品物の確認を行うことにしました。


 私たちのゲームはアクションRPGで、勇者と魔王が居る、オーソドックスなものでした。

 主人公である勇者のモデルは、プロト版作成のために、仮ではありますが最初に出来上がっていました。

 なので、それをモーションチェック用のモデルとして、使用することとしました。

 

 最初にチェックしていたモーションデータは、バトルで使用するものばかり。

 剣を振ったり、ジャンプをしたり。

 画面の中で勇者が資料に記載のモーションを取っていきます。


 それをじっと見ていたのですが、不意に少しだけ気味が悪くなってしまって。

 いえ、これは一連の出来事とは関係ないのですが……。

 モーションをモデルに流し込んで再生しているだけなので、体の動きはモーション通りに再生されるのですが、表情は無いわけなのです。

 モーションに対して、表情を設定していないので当然なのですが、どうにも私は無表情で動き続ける勇者を、少しばかり不気味だと思ってしまったのです。

 こんなこと、この業界に居ればいくらでもある話だと思います。

 私自身、どうしてそんなことを感じたのか、少し分からないのですが……。


 すみません、話が逸れましたね。戻しましょう。

 

 ともあれ資料とディスプレイのキャラモデルを見比べながら順調にチェックを進めていたのですが、最後30個目の所で、奇妙なデータにぶつかりました。


 モーションデータをキャラに流し込んだのですが、動かないのです。

 こちらをじっと無表情な顔で見つめたまま、じっと。


 最初は誤って中のモーションデータ内の情報を削除してしまったのだろうかと思ったのですが、よくよく見れば、わずかに動いていました。

 左右にほんの僅かだけ、体が揺れていたのです。


 実際の人間もそうですが、ただ立っているだけでも、わずかに動きというものはありますよね。

 重心の移動、呼吸による胸の動き、肩の動き。

 一般的に、ゲームの中でキャラがぴたりと止まることはありません。

 ただ立って待機する場合は、それ専用のわずかに動きを付けたモーションを流します。

待機モーションとか、立ちモーションとか言われるものです。


 もしかすると、これもその待機モーションかと思ったのですが、リストを見ても今私が見ているのはそれに該当するモーションではありませんでした。

 リストでは、そのモーションは呪文を唱えるモーションとなっていたのです。

 内容としては祈りをささげるようなモーションです。

 ですが、目の前でキャラが取っているそれは、とてもそんな風には見えない。


 脱力した人間が、ぼんやりとこちらを見ているような……。

 そんな風に見えたのです。


 ひとまず私は、納品物の一部に誤りがあったと、沢渡に報告しました。


 その後、私の報告を聞いた沢渡は「まぁ、急ぎで頼んでもうたところもあるからな。そのくらいのミスはあるんかもな」と、特に不満を言うことはありませんでした。

その後は、彼のほうから外注会社にやんわりと連絡を入れ、修正したデータを送ってもらって事なきを得たようでした。


 後日。

 また、外注会社から大量のモーションデータが届きました。

 前回と同じように私がチェック作業を行うのですが、今回も妙なデータが混ざっていました。

 最後のモーションと、その一つ前のモーション。

 前のチェックの時に見た、ただ立っているだけのモーションがまた紛れ込んでいたのと、今度はそれとは別にぺたりと座り込んでいるモーションがあったのです。


 画面の中で、ゲームのキャラが無表情で、力が抜けたようにぺたりと座って、ぼうと床を眺めている。

 それだけが延々と再生されるモーションでした。


 当然、その二つは資料にないものです。

 私がそのことを報告すると、さすがに二回目ということもあってか、沢渡が「ありがとう。しゃあない、こっちも仕事でやってるからな。ちょっとキツめに行っとくわ」と外注会社に連絡を入れました。



 数日後。

 私は自分たちが開発しているゲームの仕様もある程度把握したので、チェック以外の作業も徐々に行うようになっていました。

 データ作成や、仕様の策定も行っていました。


 そういう業務をしているある日。

「わかったで」と、沢渡が私の席にやってきて、そう切り出しました。

「あのモーションの件です?」

「うん。あれな、電話でよう聞いてみたら、あの会社、また別の『A社』っていう会社に出しとったみたいなんや」

「孫請け、みたいな……?」

「まぁ、そんな感じやな。それで、外に出してた会社からの納品データをロクに確認もせんと、こっちに回しとったらしい」

「アリなんですか、そんなん」

「ナシや、ナシ。とりあえず、オレのほうからキツめ言うたけど、それでもまだ変なんが上がってきたら、悪いけど教えてくれるか?」

「かしこまりました」


 この手のチェック仕事をした方なら、覚えのある事なのかもしれませんが、何も問題がないのも、何だか自分の作業が無駄なような気がして、味気なかったりするものでして……。

 嫌な言い方ですが、ミスを見つける事によって、『仕事をしている感』を感じていたのかもしれません。


 ともあれ、三度目のチェックを行うことになりました。

 先の沢渡の忠告のためか、今度はデータが届くのが遅くなり、チェック開始が夜の20時を少し過ぎたころになっていました。

 会社には自分のチームの人間が少しと、他チームの人間がわずかに居るだけで、オフィスは随分と静かだったように思います。


 本当は翌日に回しても良かったのですが、翌日は翌日でまた別の仕事を始める予定だったので、チェック程度なら今日のうちにある程度終わらせてしまおうと、私は届いたデータのチェックを始めました。

 どこかにおかしなデータがあるんじゃないかと、何だかミスがあることを期待するような感覚でチェックを進めましたが、特にパッと見たところ全て問題ない、という結果となりました。


 ただ、大まかに問題がないというだけで、少し引っかかるデータはありました。


 それは「うつむく」というモーションでした。


 何という事はない。

 頭を垂れるようにして、うつむくというモーションです。

 資料にはそういう説明を記載していたのですが、上がってきたモーションは、どこかうつむくにしては前かがみ過ぎるような気がしたし、じっと見ると頭というか首のあたりが数フレームおきにブレているように見えました。

 

「これ、なんか首のボーンに移動値入ってんな」

 翌日、社内のデザイナーに確認してもらったところ、そういった返事が返ってきました。

「ほんとは動いてるってことです?」

「それが一瞬やからよく見えへんって感じやな」

「どういう動きなんです?」

「縦に首振るみたいな動き」


 結局、その時はこちらが少し手すき、という事もあり、モーションはこちらで直すこととなりました。

 とはいえ、上司への報告はする必要があるので、そのことを沢渡に言うと、考え込むような仕草をして、「今まで問題があったモーションの名前、一回俺の所に送ってくれる?」と聞いてきました。

 私がリストをもとに、今まで問題のあったモーション名全てを社内メールに記載して送ると、そこで彼は何か合点がいったように「なるほどな」と漏らしました。


「何かありました?」

「いや、君島君らには渡してないねんけど、一応外注会社から、そこからさらに出してる、孫請け会社のスケジュールも貰ってんねん。誰が、どのモーションをいつ作るか、っていうやつ」

「もしかして、問題あったモーション作ってるの、全部同じ人やったりします?」

「うん、スケジュールと見比べたけど、問題があったモーションデータ作ってんのは、菅原さんって人みたいやな」

「じゃあ、その人に問題があると」

「まぁ、断言は出来へんけど、可能性はあるな」

 と言ったところで、沢渡はしかし何処か納得がいかない様子でした。


「でも、気味の悪い話やなぁ……」

「そうですね……」

「いや、データもやねんけど……。これ、モキャプで作ってるって聞いてるからな……」


 モキャプ、とはモーションキャプチャーです。

 人の動きをカメラで撮って、それをモーションデータに落とし込むものですね。

 どうやらその孫請けの会社にはモーションキャプチャー用のスタジオがあるそうで、それを使って大量生産をしていたようです。

 モーションを一から手でつけるよりも、モーションキャプチャーを使ったほうが遥かに早く作れます。


 ――つまり、あのこちらを見つめるような動きや、座り込んだ動き。

 そして首を振るような動きを取った人間が居たということです。



 さらに後日。

 私が会社で仕事をしていると、沢渡が私の席に来て「菅原さんの話、覚えてる?」となぜか、バツが悪そうな顔をしながら話しかけてきました。

「なんかありました?」

「いや、問い合わせてみたら、その人会社辞めてるみたいでな」

「え、何でですか?」

「それは、さすがに聞けんよ、プライベートやし」

「まぁ、それもそうですね……。でも、スケジュールのほうはどうなる感じです? モーション作成の人間が一人抜けたんなら、遅れますよね?」

「いや、そこは何とか一人足して今のスケジュール通りで進めるらしい」


 納期を守るためにそうした、という話なのでしょうが、その時の私には、なんだかその孫請けの会社が、この仕事を逃すまいと必死にしがみついた結果のように感じられました。


 4度目のデータが届いたのは、さらに数日後の夜の事でした。

 時刻は21時過ぎで、定時はとっくに過ぎており、会社にいるのは自分と、少し離れたところにいる役員だけになってしまっていました。

 本来は昨晩のうちに届くスケジュールだったのですが、外注会社側のトラブルにより、今日にもつれ込み、さらにこの時間まで伸びてしまったのです。


 メールで届いたデータを展開し、ツールを立ち上げ、勇者のキャラモデルを表示して、モーションを流し込む。

 チェック作業が、残り二つというところで、また動かないデータが現れました。

 無表情のキャラがこちらを見たまま、じっと立ったままでいる……。

 以前と同じ――かと思ったのですが、揺れの幅やタイミングがわずかに違う。

 完全に同じというわけではないが、同じ動きを取っている。


 何だか急に怖くなってしまって、私はそのモーションを消して、次のモーションを流し込みました。

 すると今度は、勇者がぺたりと座り込んで、床を見つめだしたのです。

 これも以前のものと同じすが、やはり少しだけ違う。

 動きの指示は同じだが、演者が違うような感じです。


 何かゴミデータが入るのは百歩譲ってあり得たとしても、その内容が前と全く同じというのは、正直あり得ない話です。

 そもそも、どうしてこの人はこんな動きをしたのか。

 いくら見返しても発注資料にはそんな指示はありません。


 と、ディスプレイの中のキャラが不意に動きました。

 うつむいた状態から、首だけを動かして突然こちらを向いたのです。


 じぃっと、ディスプレイの向こうから、無機質な瞳でこちらを見つめている。

 

 ふと、モーションの尺を見ると、何と5分近い長さとなっていました。

5秒でもゲーム中のモーションとしては長めですので、使用するデータとしてはあり得ない時間です。

 

 今現在は2分ほど経過しているらしく、残りは一分もある。

 ――最後まで再生したらどうなるのだろうか。

 

 不意に背筋が寒くなって、私はツールの停止ボタンを押しました。

 モーションはそこでぴたりと止まって、画面の中で勇者が無表情でこちらを見つめたままに。

 今度はその視線も気になって、私はツールを閉じました。

 残りは明日チェックすれば良い。

 自分にそう言い聞かせて、私はパソコンの電源を落として、会社を後にしたのです。


 夜は正面の玄関が閉まっているので、裏口から出る必要がありました。

 裏口は、薄暗い裏通りに繋がっていて、そこからトボトボと大通りの駅まで歩くことになります。

 もうすっかり遅い時間なので、裏通りのビルからは灯りが消えていて、月明かりと自販機のぼんやりとした灯りだけが、夜道を照らしていました。


 一人歩きながら、私はあのモーションについて考えました。

 あのモーションは、前に届いたものと同じものだった。

 そして、そのモーションを作った人は、すでに会社を辞めている。


 あくまで外の会社であるので、退職の事情を探る筋合いはないが、しかしどうしても気になってしまう。


 最初は激務からくる、凡ミスかとも思ったのですが、同じようなデータが入っているというのは、それでは説明がつかない。

 なら、原因はもっと別にあるのではないか。


 例えば、そのモーションを取る場所。

 モーションスタジオに何か――。


 ――じぃっ。


 不意に背後に視線を感じて、振り返りました。

 背後には当然誰もいない。

 夜の闇の通りが、そこにあるだけ。


 その事実を頭では認めているものの、何故だかそれに対して懐疑的だった私は、そのまま暗闇を見つめ続けました。

 その間、なぜかずっと背中に百足が這うような感覚が登ってきて、でも何だか負けたくなくて、それを我慢して暗闇をずっと見つめました。

 

 誰もいない。

 誰もいないはずなのだが、もしかしたら、あの暗闇の中で、何かが不意に現れるのではないだろうか。

 そんなことはないだろうか。


 ただ、しばらく暗闇をじっと見つめてから、やはり怖気に耐え切れなくなって、私は踵を返して、駅へと急ぎました。


 速足で歩く間、背中には先ほどまでの視線が、べったりと張りついているような気がしました。



 翌日。

 出社して、さっそくデータのチェックを行おうとしたところで、沢渡に呼び出されました。

「データチェックの件やねんけどな」

 普段は快活な彼ですが、その日は少しばかりバツの悪そうな顔をしていました。

「ちょっと、スケジュールを変えたい」

「それは良いですけど、何かあったんです?」

「孫請けの会社のほうで、また辞職した人がおったらしくてな。ブラックなんか知らんけど、人が抜けまくってるせいで、こっちからの発注に対応出来そうにないんやと」


「あの」

 聞くべきか否か、相当に迷ったが、私はそれを質問することにしました。

「やめたのって、昨日届いたモーション作った人ですか?」

「いや、誰が辞めたかまでは、今回は聞いてないな。発注は次で止めることにしたから」

「じゃあ、後一回、向こうからデータが届くんですか」

「うん。最後の一回は、もう撮ってるやつらしいから。それを貰って、その会社への発注は終わりやな」


 もう一回。

 私は沢渡の言葉を聞いて、ぞっとしました。

 また、あの得体のしれないデータを確認しなければならない。

 本当は心底嫌でしたが、何だか気味が悪いから、という理由で仕事を拒否するわけにもいきませんでした。


 しばらく別の仕事をこなしている間に、定時ぎりぎりくらいに件のデータが届きました。

 正直、今からやり始めると、夜遅くになるのではと思ったのですが、かといってこれを来週に回すのも嫌でした。

 何だか、休みの間も頭の中にそのデータのことが残ってしまうような気がして……。


 えぇ、その日は金曜日でした。


 結局、私はそのデータのチェックを始めることにしました。

 先ほど言ったように、来週に回したくなかったというのもありますが、その日は週末という事もあり、別のチームのロム提出日と被っていました。


 はい。ロム提出日と言えば、大抵遅くまで会社に残って。何らかの対応をしているものです。自分のチームの人間は先に帰るかもしれないが、それでもそのチームの人間は遅くまで残っているだろう、とそう踏んだのです。


 そうしてチェックを始めました。


 しばらく作業に没頭していたと思います。

 気づいたときにはフロアにはもう人が殆どいなくなっていました。

 時計を見れば、もう22時になろうとしていました。

 とはいえ、まだ残っている人間も居ましたし、チェック対象のデータもあと少しだけだったので、私はそのまま作業を進めることにしました。


 あと4つ。

 あと3つ。

 あと2つ。

 あと


 そこで私の手はぴたりと止まりました。

 ここまで見てきた中に妙なものはありませんでした。


 あるとすれば、ここか。

 意を決し、私が最後のデータを開くと――。


 注文通りのモーションが再生されました。

 時間も変に長くなく、本当に資料に記載していた通りのデータだったのです。


「なんや……」


 ふぅぅぅ、と大きな息を吐きました。

 何せ、絶対に妙なものが映る、と半ば確信してデータを開いたものですから。

 その時は、何だか肩透かしを食らってしまった、と思いました。


 無事に仕事が終わったので、帰ろうと一度席を立ったその時です。

 視界の端に何かが映ったのです。


 私の席は、会議室に続く廊下の入口から真っすぐの所に配置されていて、立ち上がると自然とその扉が目に入るのです。

 その扉は、真ん中がすりガラスになっていて、奥がわずかに覗けるのですが……


 ――そこに居たのです。


 何かがそこに居る事を示す、『黒い影』がすりガラス越しに映っていたのです。

 その影は前に屈みこむようにして、頭を振りながらのそりのそりと、扉の前を回っていました。


 ぐるぐるぐるぐる


 頭を垂れつつも、頭を小刻みに震わせながら、何度も何度も影はそこで回り続けていました。


 誰かいないだろうかと見回しましたが、フロアには誰も居ませんでした。

 最後まで須藤という、別チームのリーダーが残っていたことを覚えていたので、彼の席を見たところ、PCはついていたので、一時的に離席しているようでした。


 もしかすると、須藤かもしれない。

 私はそう思って、扉のほうに向かいながら、須藤の名前を呼びました。


 今思えば、放っておけば良かったのでしょう。

 ただその時の私は、その影の正体を突き止めずにはいられませんでした。


「須藤」

 名前を呼びながら、扉に近づいていきます。

 影はなおもそこでぐるぐると回り続けています。


「須藤」


 もう扉の前に居ます。

 そこで名を呼びますが、影はずっと回ったままです。

 

 開けるべきか。

 ドアノブを掴み、開ける前に最後に「須藤!」と叫びました。


 それでも影は何も反応せず、頭を振りながら、そこで回り続けます。


 開けるしかないか、と私が腹をくくったとき、フロアの入口がガチャリと開き、そこから須藤が帰ってきました。

 手には確かジュースを持っていたと思います。

 飲み物を買いに離席していたようです。


 フロアに戻ってきた彼を、私は思わずじっと見つめていると、その視線に気づいたのか須藤が怪訝な顔で私のほうにやってきました。

「どうしたんや」

「いや、お前会議室、おらんかった……?」

「おらんよ。ほんで、お前そこで何しとんねん」

「いや――ほら――」

 と私がすりガラスの向こうの影を指さすと、須藤は私を後ろに押しやって、


「誰や!」

 

 と、がなりながら扉を開けました。

 勢いよく扉が開かれ、会議室に繋がる廊下が視界に飛び込んできます。

 しかし、そこには誰も居ませんでした。


「なんやったんや、あれ」

 結局、須藤と一緒に会議室も確認したのですが、特に誰かが潜んでいるということはなく、結局あの影の正体は分からないまま……という事にしました。


◆◆◆


「という、オチとしては微妙だったかもですが」

 と、照れたように君島さんが笑う。


 ぬるくなったビールに口を付ける。

 話に聞き入っていたのか、話が終わった途端さっきよりも周りが少し煩くなったような気がした。

 

「おかしなモーションデータって、全部最後のほうだったんですか?」

 僕の問いに、君島さんはニタリと笑った。

「えぇ。どれもそうでした」

「つまり、撮影時間的には後ろのほうのもの……という事ですかね」

「――そうです」


「やはり場所、でしょうか。例えば、そのモーションキャプチャー用のスタジオに、良くないものが居て、ずっとそこにいると憑りつかれるとか」

「私もそれを疑いましたが、その場所は特にいわくつきという類のものでもありませんでした」

「なるほど……。ちなみにそのA社って、その後どうなったんでしょうか」

「社長が失踪して、潰れたという話を聞きました」

「そう来ましたか……」

「いやいや、これはあまり怪談的なものではないと思いますよ」

「と言いますと……?」

「その会社は資金繰りにかなり困っていたようで、私の会社の人間的には、夜逃げだろうと言っていました」

「あまり聞かない話ですね」

「意外と今でもあるみたいですよ、夜逃げ」


 その日は、またしばらく怪談で盛り上がってから解散となった。


 翌日。

 僕が出社すると、君島さんが珍しく休みだった。

 上司に聞くと、どうやら社用で休みを取ったらしい。


 ただ、その後、君島さんが僕の会社に来ることは無かった。

 上司が言うには、なんでも社内でトラブルが発生していて、それの対応のために、自社に戻る必要があるということだった。

 君島さんの会社と交流のある別会社の友人から聞いた所、どうやら社員の退職が相次いでいるのと、何人かは行方不明になっているという話だった。


 そして、その半年後。

 君島さんから突然、一通のメールが届いた。

 本文も件名もなく、あるのは添付ファイルが一つあるだけ。


 ファイルの中身は分からない。

 けど僕がそのファイルを開くことは、決して無い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る