Act.23『あの日から、ずっと……』

 奏多から借りた愛車を全速力で走らせていた朔楽は、ゼクスブレスのナビ機能が示した建物の前でバイクを停車させた。



(ここがあいつの住んでるところか……予想はしてたが、めちゃくちゃいい家じゃねえか)



 来夏の持つゼクスブレスの反応があった位置座標は、都内の一等地にある高級住宅街の一角にあった。

 玄関先には門が聳えており、そこから覗ける一戸建ては屋敷と呼べるほどの大きさ。さらに家の周りは観賞用のリーフなどが植えられただだっ広い庭も完備しており、いかにも“金持ちの家”といった外観に思わず朔楽は圧倒されてしまう。

 まだ現役の頃は互いの家へ遊びに行く間柄ではなかったため、ここへ来るのも当然ながら初めてのことだった。


 

(さて、問題はどうやって中に入るかだが……)



 先ほどから何度もインターホンを押しているものの、応答がある気配は一向にない。

 留守の可能性も一瞬だけ疑ったが、注意深く見ると二階の窓にかかったカーテンの隙間から、ほんの僅かに部屋の明かりが漏れていた。おそらく来夏の私室もそこだと考えていいだろう。



(……しゃあねぇ。この際手段なんざ選んでられねーか)



 そう思い至るとさっそく朔楽は、家の塀を軽々とよじ登っては踏み越えた。

 そのまま庭へと侵入すると、今度は植えられている木々や壁のわずかな凹凸を足場にして二階のベランダまで登っていく。かくして朔楽は猫のようなしなやかさで、あっという間に部屋の窓の前まで辿り着いた。



(っと、ここで俺ちゃんの秘密兵器。拷問にも泥棒にも使えるガムテープさんの登場だ♪)



 胸中でそう呟きながらも懐から取り出したのは、輪状に束ねられた市販の粘着テープだった。

 朔楽はそれを小慣れた手つきで窓へと貼っていく。そして何重にもテープが重ねられた一点を狙って、躊躇なく、それでいて力強く肘打ちを叩き込んだ。


 ほとんど目立たない程度の音を立てて砕けるガラス。

 そうして生じた穴へと迷わず手を突っ込み、窓のロックを器用に内側から外す。すると窓は易々と開き、朔楽はわずか1分足らずで部屋の中へ侵入することに成功してみせた。



「へへっ、どんなもんだ! これが母ちゃんに締め出しをくらいまくったことで編み出した、俺の奥義ってやつよぉ!」


「てかなに白昼堂々と不法侵入してるわけ? しかも器物破損のおまけ付きで」


「どわっ!?」



 不意に視界の外から飛び込んできた声に、すっかり油断しきっていた朔楽は慌てて振り向く。

 見るからにダブルサイズはあろう大きなベッドの上に、ちょこんと体育座りをしている来夏の姿があった。てっきり怪我の心配をしていた朔楽だったが、見たところそれらしい外傷も見受けられない。



「なんだいたのかよライカ、びっくりさせんなし……!」


「いや、それは普通こっちのセリフなんだけど」


「まあいいや。とにかく一緒に来てくれ! このままだとメリーたちが危な──」



「ゴメン。けどそれはできない」



 話を最後まで聞こうともしないまま、来夏はいきなり誘いを断った。

 だからといってここで引き下がるわけにもいかず、納得がいかない朔楽はベッドに腰掛けている彼のほうへとさらに詰め寄る。



「“アンノウンフレーム”に対抗できるのは、俺たちふたりのゼクストフレームだけなんだぞ。それはお前だってわかってんだろ……?」


「……それでも、行けない。仕方ないだろ、止められてるんだから……」


「誰に……」


「……お父さん」



 おおよそ想像していた通りではあったとはいえ、その返答を聞いた朔楽は胸に鋭い痛みを感じてしまった。

 来夏の身に何があり、何に怯えているのか──その核心的な部分に、今の朔楽は断片的にだが触れている。だからこそ彼はそれを変に隠すようなことはせず、堂々と踏み込んでみることにした。



「まだ物心もついてないガキだった頃だ。親から公園のベンチに置き去りにされたお前は、目の前に現れた知らない男に引き取られた……そうだな?」


「……! どうして、それを……」



 来夏が驚いたような表情となり、明らかに動揺している素ぶりをみせた。

 その彼から理由を訊かれた朔楽は、正直に首を横に振るう。



「さあな、俺にもよくわからねぇ……なぜか小さい頃のお前の記憶みたいなのを夢で見ちまった。そんだけだ」


(…………もしかして、ペアリングによる副作用が原因かも……)


「あン? なにボソボソ言ってやがる」


「……覗き魔」


「なにが!?」



 まるで盾にするように枕で顔の下半分を覆い隠してしまった来夏に、朔楽はとてつもなく理不尽さを感じてしまった。

 彼はすぐにでも何か反論をぶつけようとしたが、それよりも前に来夏が話を戻したため思いとどまる。



「君がその“夢”で見たっていう話はぜんぶ事実だよ。公園に置き去りにされてた僕は、お父さん──冬馬創一という見ず知らずの男に拾われ、養子として迎え入れられた」


「その、お前の本当の親父は今どこに……?」


「知らないよ。僕を捨てた奴のことなんか……」



 『捨てられた』と、来夏ははっきりとそう断言した。

 先ほど本人の口からも語られた境遇を鑑みても、そのように思ってしまうのは当然だろう。そんな彼の心中をすぐに察した朔楽は、自分の思慮の浅さを恥じてしまう。



「すまん……」


「気にしなくていい。僕も実の親のことはあまり覚えてないから……だから僕にとっての“お父さん”は、僕を育ててくれたあの人のことだ」


「信頼してるんだな、親父のこと」


「……うん。いや、どうだろう……」



 肯定も否定もせず──というよりも判断を迷いあぐねたような深刻な表情で、来夏は静かに答えた。



「あの人は、身寄りのない僕に住む場所と食事を与えてくれた。だから感謝もしてるし、そんな優しくしてくれるお父さんが僕は大好きだった……」


(“だった”……?)


「君と一緒に仕事をしていた頃、お父さんによく言われた。『お前は神から類稀なる美貌と才能を授かった、正真正銘の天才子役だ』って……当時はその言葉の意味もよくわからなかったけど、褒められている気がして嬉しかったよ」



 『でも……』と来夏が言葉に詰まりかけた途端、それまで思い出を楽しげに語っていた彼の顔が徐々に曇りはじめる。



「“お父さんが目指した冬馬来夏ぼく”は、たとえ歳を取っても魅力を損なうことのない……子役として完璧な芸能タレントだった」


「そんなのって……」


「普通なら不可能だろう。『子どもであること』自体に商品価値がある子役にとって、経年によるは免れない宿命みたいなものだからね。


 ……だからそれを恐れたお父さんは、普通じゃない方法を取った」



 言いながら来夏はベッドサイドへと手を伸ばすと、引き出しの中からプラスチックフィルムに包装されたなにかを取り出した。

 見るからに医療品といった袋を開封し、その中に入っていたものを朔楽へと見せつける。



「女性ホルモンの入った注射針だ。これを週1で刺すように言いつけられてる」


「……っ!?」



 性別の境界線がどこまでも曖昧なジェンダーレスモデルとして世に売り出されている“冬馬来夏”の、意外なからくりの正体。

 その理屈はあまりにもシンプルで、しかし他人に強要するにはいささか倫理を踏み外し過ぎたものであった。



「なんだよ、それ……」


「別に自慢を言うつもりじゃないけど、僕ってカワイイでしょ?」


「……否定はしねぇけど」


。だからわざわざ薬剤量を僕用に調整したオーダーメイドの注射針を調達したりして、ひたすら僕に愛情を注ぎ続けた」


「そんなの、奴隷か人形にやらせることだぜ……?」


「……うん、そうだね」



 本当は、否定して欲しくて言い放った朔楽の言葉を……しかし来夏はさもそれが自然であるように、泰然と受け容れてしまう。



「僕も君に、ずっと言おうとしていたことがあったんだ」


「何だよ……」


「君は僕が男性を怖がるようになった原因が自分の暴力だと思ってるようだけど、それは違うとはっきり言っておく」


「! 俺のせいじゃなかった……ってことか?」


「僕はそんなにヤワじゃない……たかが君なんかのパンチ1発を、僕がそこまで引きずると本気で思ってたの?」


「そう言われてみると、たしかに……」



 少なくとも『SakuRaik@サクライカ』として活動していた頃の来夏は、むしろ目上の人間にも理由なしには決して屈しないほどの芯の強さを持っていた。

 そんな彼が同年代の、それも多少なれど気心のしれた相手に一回殴られたくらいで、これほどまでに影を落とすことになるとは少々考え難い。



「なら、お前が男性恐怖症になっちまった本当に原因はいったい……?」


「正確には、同性愛恐怖症ホモフォビアっていうんだけどね」


「えっ……」


「『そんな言葉はじめて聞いた』って顔してるけど、意味はなんとなくわかるでしょ。僕はもうけがれてるっことさ」



 自嘲気味な失笑を口もとに張り付かせながら、来夏は今にも溢れ出しそうな痛みを声にして吐き出す。



「幻滅した? たぶん君が想像してるよりも、僕は凄いことをしてると思うよ」


「ら、来夏……?」


「咥えさせられたり、飲み込ませられたり……10歳のときから迫られて、僕は断ることも逃げ出すこともできなかった。……今だって、ずっとそうだ」



 どこか投げやりに語る彼の傷ついた心は、触れただけでも壊れてしまいそうで──聞き手に徹していた朔楽も、それ以上深く追求するようなことは避ける。

 ただ、込み上げてくるような彼の義父への怒りをどうにか抑えるべく、血が出そうになるほど強く己の下唇を噛んだ。



「そんな……親父の言いなりになって……お前それで、本当にいいのかよ……?」


「……かまわない。どんな形であれ、お父さんは僕の恩人だから──」


「じゃあなんで医務室で親父を前にしたとき、あんなに震えてやがったんだ!?」



 そのことに朔楽が気付いていたのが意外だったのか、来夏は呆気にとられた表情のまましばらく固まっていた。

 父親であるはずの男と対面したときの彼は、僅かではあるが確かに震え上がっていた。それは彼が心とは切り離された本能的な部分で、父親を拒絶していることと同じである。



「もうそんな風になっちまってるのに、なんで親父のことが怖いって素直に言えねぇんだよ……!」


「……それが僕の、受けるべき罰だと、思ったから……」


「ああん!?」


「君はこれっぽっちも僕を傷つけてなんかいない……むしろ苦しめ続けてきたのは、僕の方なんだよ。朔楽……


 君が芸能界を引退することになったのも、追い討ちをかけるように君の事務所がいきなり潰れたのも、ぜんぶ……僕のせいなんだ」



 朔楽は一種、来夏が何を喋っているのか理解できなかった。

 一方の来夏も、まるで悪戯を見つかってしまった子どものように視線を落としながら、自らの過ちを懺悔する。



「3年半前のあの日……僕と君で言い合いの喧嘩になったことは、父の耳にも入ってしまっていた。お父さんはそれで腹を立てて、君が二度と芸能界に戻れないよう仕向けたんだ……」



 まさしく転落劇といっても過言ではない当時の連鎖的な悲運については、朔楽もよく覚えている。

 来夏とのすれ違いが発端となり、出演予定だった映画の降板、『SakuRaik@サクライカ』のコンビ解消、さらには当時所属していた事務所が突然の倒産に見舞われる──などと、彼が不良に堕ちるまでそう時間はかからなかった。だが来夏はなんと、それらの出来事すらも冬馬創一が権力を振りかざした結果によるものだと告白したのだ。



「その話が本当だとしても……別にそれは、お前が責任を感じることじゃねえだろ……」


「違う! 僕ならきっとお父さんの暴走を止められた……でも、それができなかった……! 相棒の首がかかっていたのに……結局、僕は自分のことを守るほうが大事だったんだ……っ」


「ライカ……」


「君の家が母子家庭で、母親に楽をさせるために仕事を頑張っていたことも知ってたよ……なのに僕は、君を守るために必要なほんのちょっとの勇気すら出せなかった……ただの臆病者で、卑怯者だ……」



 いつものような虚勢を張ることさえも忘れて、泣き笑いのような表情で来夏は吐き捨てた。



 ──そうか。お前も、あの日からずっと……。



 信じていたものに見放され、もう二度と振り返らないと決めた過去。

 しかし心の片隅には、常に後悔が堆積物のようにずっと居座り続けていた。そして、そんないつまでも過去を引き摺っている自分が嫌で嫌で堪らなかったが──どうやらそれは、来夏にとっても同様だったらしい。


 そのことがわかっただけでも、朔楽は少しだけ救われたような気がした。



「……俺もさ」



 朔楽が閉ざしていた口をそっと開いた。

 来夏は泣きそうな目で伏せていた顔を上げる。



「あの頃のお前みたいに、ついこの間まで受験ってやつに挑戦してたんだ。それも名前を書けば受かるようなトコじゃなくて、県下イチの進学校にだぜ」


「受験……君が……?」


「まあ、もともと俺が九九もわかんねーようなバカだったってのもあるけどよ……覚えることが多くてケッコーしんどいのな、アレ。そりゃセリフ飛びくらいあっても仕方ねぇわ」


「……!」



 実に3年越しに──自らの過ちをゆるしてくれたかつての相方に、来夏は思わず目頭を熱くさせられた。

 朔楽は来夏の肩に手を置き、そして真っ直ぐに目を見つめて言う。



「『自分のミスをコンビのせいにしたくない』なんてお前は言ってたけどな……俺がそんなちっぽけな理由で、数年来の相棒を平然と切り捨てられるような奴だと思うか?」


「……思わ、ない……多分むしろ、君には無理だ」


「俺もお前にたくさん迷惑をかけてきたし、きっとこれからもかけ続ける……それでも絶対ェに『お前を見限る』ことだけはしないつもりだ。


 だからよ、もう一度だけ俺と──」






「『コンビとして戦ってくれ』ですか。ウンウン、青臭くも実に感動的なセリフですねぇ」



 突如として第三者による声が発せられ、2人はとっさに声の聞こえてきた方向を振り返る。

 割れた窓ガラス一枚を隔てたベランダに、黒いスーツを着た細身の男性が立っていた。


 物音ひとつ立てず、そればかりか気配すら感じさせずに──いつの間にかそこにいたその人物には、朔楽も来夏もたしかな見覚えがあった。



「お前は……ジャーマネの高橋!?」


「た、高橋……どうしてここに」


「田中です。朔楽くんはともかく来夏くんまで大概ヒドいね! ……まあ結局、その田中というのも世を偲ぶための名前に過ぎないんですけどねぇ」


「何を言って……」


「いやね、つい先ほど君のお父様から言伝を任されまして。冬馬来夏と麻倉朔楽を止めてこい、その際は如何なる手段も問わない──とね」



 薄っすらと笑みを浮かべて、来夏の元マネージャーである男は2人に敵対する姿勢を示した。

 (普段から物腰の低さが板についている彼が、先ほどから妙に余裕綽々とした態度を取っていることに違和感を感じたりもしたが……)何がどうあれハッキリと宣言された以上は、朔楽も迎え撃つつもりで指の関節をバキバキと鳴らす。



「結局あんたもライカの親父側ってコトか……とはいえ一応あんたには借りもあっからよぉ、峰打ちくらいで済ませといてやるぜ」


「おっ、いいですねぇー。たとえ相手が誰であっても邪魔をするなら容赦はしないところ、ワタシ嫌いじゃありませんよ!」



 かつて自分が教えた『君がやりたいようにすればいい』というアドバイスを着実に遂行している朔楽を見た田中は、何が可笑しいのか大げさにも手を叩いて拍手する。

 やはり先ほどからの彼の様子は、どこかいつもと違うように2人には思えてならなかった。



「──いいでしょう。君たちの“希望”もいい具合にことですし、ワタシもそろそろ本腰を入れるとしましょうかね」



 そう言いながら、田中が天を仰ぐようにゆっくりと両腕を広げた──

 次の瞬間、彼の全身は突如として赤黒い霧のようなものに包まれ始めた。



「なっ……!?」



 目の前で起こっている不可解な現象に、朔楽も来夏もつい注意を惹きつけられてしまう。

 やがて田中の姿を覆い隠していた霧が立ち退いたとき、そこに黒スーツを着た先ほどまでの田中の姿はなかった。



「ふふっ、驚いたでしょう。これがワタシの本当の姿です」



 否、田中が消えたのではない。彼はその場に立ったまま、のである。

 (声や背丈にこそ大きな変化はないものの)東洋人らしい黒髪は一切の色素が抜けたかのような純白となり、メガネの奥にあったつぶらな茶色い瞳も、蛇のごとく鋭い金色へと変質していた。服装も無個性な黒スーツから襟で口元が隠れたコートへと変わり、ついでにメガネもごく普遍的なものから片眼鏡へと掛け替えられている。


 そして何より目を引くのは、先端が長く張り出た形状の耳と、爬虫類のように鱗が張り付いている灰色の肌。

 まるでファンタジーの世界に登場する住人ようなその身体的特徴は、朔楽たち地球人類とは極めて似ているものの、だが決定的に異質な存在であることを端的に表しているかのようだった。



「田中……いや、お前は誰だ……!?」


「朔楽くん。君は存じてないでしょうが、と君はすでに何度か遭っているのですよ。……ただし、『戦場で』ですがね」


「! まさか、今まで“アンノウン・フレーム”を操っていたのも……」


「来夏くんは賢いですね。ええ、その通りですよ」



 来夏の憶測を嬉々として肯定したあと、田中だったはず存在は余裕の表情を浮かべて名乗り上げた。



は、“ハリ”。


 そしてワタシの個体名なまえは田中太郎改め、エージェント“東針とうしんのデュナミール”です──以後、お見知り置きを」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る