ll.かけ算のチカラ
Act.08『再会』
「──ご報告は以上です。
いくら世間からはヒーローと
「相変わらず大変そうだね。遅くまでお疲れ様、ハルカさん」
不意に視界の外からドリンクが入った紙コップを差し出され、ハルカは肩ごしに背後を振り返る。
そこにいたのは、柔和な笑みが板についた青年だった。ウェーブがかった黒髪に、ホワイトグレーのジャケットを羽織り、下はビリジアンのパンツというコーディネートを、メンズモデルさながらに着こなしている。
“カメレオン俳優”と称される圧倒的な演技力で人々を魅了し続けるゼスアクター、
しかしカメラが回っていないオフの時の彼は、とても芸能人としての
「あら、気を遣わせちゃって悪いわね。ありがたく頂戴するわ」
ハルカは一言礼を言ってから、手渡された紙コップを受け取る。
そして中のドリンクに口をつけた瞬間、彼の顔から表情というものが消え失せた。
「………………ちなみに聞くけど奏多くん、この激マズ……もとい、とても独創的な味の飲み物はなにかしら?」
「ふふっ、それは“スキヤキサイダー”です! つい最近出たばかりの新商品なんですけど、なかなか美味しくて今ハマってるんですよねぇ。ほら、自分ってすき焼きも炭酸も大好物じゃないですかっ」
(この子がCMをやったら本気で爆売れしそうなのが怖いわね)
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりにゲテモノ飲料水を勧めてくる売れっ子イケメン俳優の素顔を見て、ついハルカも釣られ笑いを浮かべてしまう。
本来なら
「次世代型インナーフレームにのみ試験的に搭載されていた“ゼクストシステム”──あれも本当は、昼間現れた
そんな仲のいい彼らも、今この瞬間だけは上司と部下の関係に戻っていた。
今でも半信半疑といった様子で話を切り出した奏多に対し、ハルカは潔く首を縦に振る。
「ええ。ペアリングテストにはアナタにも何度か参加してもらったけれど、その運用目的については今まで伏せさせてもらっていたわ」
守秘義務のあるハルカが部下に情報を明かせなかったのは立場上仕方のないことであり、それは親友同然の奏多に対しても例外ではない。
これまで真実をひた隠し続けてきたハルカに、奏多はむしろ敬意を表した。もしも自分にだけ内緒でこの話をして来ようものなら、彼はかえってハルカに対する評価を著しく下げていただろう。
「アクターとしての操縦適正とはまた別の条件が要求される、極めて不安定なシステム……あの諸刃の剣が、本当に自分たち人類にとっての切り札と成り得るんでしょうか」
「もちろんよ。だってあれは、その為に造られたんですもの」
自信ありげな笑みとともに即答したハルカ。
しかし彼はしばらく考え込んだあと、なんと先ほどの言葉をすぐに取り下げてしまうのだった。
「──と本当は言いたいのだけれど、あの戦闘の後じゃとてもそう断言できないわねぇ……」
「お言葉ですが指令長、やはりあの二人にシステムを任せてしまうのは少々危険なのでは? いくら適正条件をクリアしているとはいえ、片方はアーマード・ドレスに乗ったこともなかった素人です」
『それに、あの二人はまだ……』と奏多が続けようとしたところで、ハルカは首を横に振って話を中断させた。
彼はデスクの上に点灯しているモニターへと目を向けると、そこに映っている報告書を見据えながら告げる。
「二人には悪いけれど、多少強引な手を使ってでも仲直りしてもらうわ。アタシたち人類が彼らとの生存競争に競り勝つためには、そうするしか手段が残されていないんだもの」
ハルカが細めた視線を注いでいる一文。
そこには『ファースト・ペアリング 失敗』という、事実にして覆しようのない現状がはっきり記されていた。
*
「一時はどうなるかと思ったけど、ともあれ機体もキミたちも無事に回収できて何よりだよー」
アクターズ・ネスト関東支部 第一格納庫
コントロールスフィアから降り立った朔楽を待っていたのは、自分よりも頭一つ小さなどう見ても子供にしか見えない人物だった。
明らかにサイズの合っていないベレー帽と黒縁メガネを身につけている不審者に、朔楽は思わず怪訝な面持ちを浮かべる。
「なんだこのガキ、迷子か?」
「ふふ、出会って早々失礼だねぇ。これでもちゃんと成人を迎えてる永遠の17歳なんだけどなー」
「思いっきり年齢詐称してるじゃあねーか……!」
「ともかく初めましてだね、朔楽クン。私はメリーケン=サッカーサー。特別顧問っていうちょっと変わった肩書きだけど、変に
『気軽にメリーさんと呼んでくれたまえー』と馴れ馴れしく接してくる自称17歳に、朔楽はどこか掴みどころのないような不思議な第一印象を抱かずにはいられなかった。
軽く振舞っているように見えて、どこか底が知れない凄みを秘めている──これまで朔楽が出会ってきた大人達とは一線を画す異彩さが、彼女にはあるような気がした。
「さて、キミにはこの後すぐにメディカルチェックを受けてもらわなければならないのだけど、頭が痛んだり足元がフラついたりはしてないかい?」
「たぶん問題ねぇ、と思うけど……」
「オーケー! その様子だとゼクストシステムの緊急解除プログラムはどうやら正常に作動してくれていたみたいだね。いやぁ、実戦で使ったのはこれが初めてだからどうも気がかりで……」
「実戦……ハッ、そうだ」
メリーからその単語を聞いた
ペアリング・コールを行い、『ゼクストシステム』を起動させたところまでは順調だった。
しかし直後、何らかの要因が引き金となって
気絶することなく辛うじて意識を保っていた朔楽も、かなり疲弊していたためその先は曖昧な記憶しか残っていない。
ただ、気がつくと“アンノウン・フレーム”は姿を消してしまっており、ボロボロになるまで追い詰められた味方のアーマード・ドレス達も、トドメを刺されることはどういうわけか免れていたのだ。
ある1人の女性の心の傷が生み出したアウタードレス“フロストフラワー”は、依然として奪われてしまったまま──
「寿子……! おい、寿子は無事なのか!?」
頭に血が上っていた朔楽は、考えるよりも先に手が動いてしまっていた。
彼はメリーの両肩にいきなり摑みかかると、ただてさえ貧弱そうなその小柄な体を乱暴に揺さぶる。
「なあ、どうなんだッ!?」
「か、彼女なら医務室で眠ったままだよ〜っ! あれから意識がぁ……戻らないみたいで……っ!」
「なに? 目覚めてない、のか……?」
「う、うん。今のところ命に別状はないけれど、おそらく“アンノウン・フレーム”からドレスを取り返さない限り、昏睡状態は解けないだろうね」
「そんな……マジかよ……」
自らのどうしようもない過失をより具体的な形で突きつけられ、朔楽は
一方でようやく揺さぶりから解放されたメリーは、ズレた眼鏡をかけ直しながら労わるように声をかける。
「キミの心中は察するよ。けれど、このままジッとしていても事態はなにも好転しない……わかるね、朔楽?」
「……だから戦えってか。今さら俺なんかを呼び戻しやがって」
「もちろん強制はしない。すべてを諦めて、また元の『日常』に戻るのもいいだろう。大事なのは朔楽くん、キミ自身が納得できるかどうかだ」
「納得、ねぇ……」
改めてメリーはそう問いかけてきたが、朔楽の中で答えはとっくに出ていた。
「この状況で引き下がっちまったら、そんなの一生できるわけねぇだろ。俺は寿子を絶対に助ける……だから、あんたの誘いにも乗ってやるぜ」
これまでにも理不尽を強いてきた大人たちはたくさんいた。
そして、あんな奴らとは同じになりたくない……そう強く思っているからこそ、朔楽は自分の中にある“筋”を通すために、拳を振るう決意を固める。
このまま
「では改めて……ようこそアクターズ・ネストへ、麻倉朔楽くん。さっそくだけれど、キミに紹介したい人がいる」
「紹介……?」
「もっとも私なんかよりも、キミの方がよく知っている相手だろうけどね」
メリーは意味ありげに前置きしてから、
「とっくに起きているんだろう? 恥ずかしがってないで出てきたまえ!」
するとしばらくして、機体腹部にあるコントロールスフィアのハッチが静かに開け放たれる。
中から出てきたのは、少年とも少女とも言えるような線の細い人物だった。肩まで届く繊細な銀髪を靡かせながら、キャットウォークへと降り立った彼はすぐにこちらを一瞥する。
冷たい海のように透き通った瞳を、朔楽は知っていた。
「ライカ……な、のか……?」
「………………」
思わず口を突いて出た問いかけに、その少年──
彼は興味なさげに朔楽から視線を外すと、すぐ近くにいるメリーへと不満そうに詰め寄っていった。
「ねぇ、これはなんの冗談?」
「なにって、キミの新しいペアリング・パートナーを連れてきたのさ。ふふっ、驚いたでしょー」
「……あのさメリー。あんたもイイ大人なんだから、いい加減こーいうイタズラは控えてくれないかな」
「むむ、あいかわらず手厳しいな来夏きゅんは……なんだよう、せっかく喜ぶと思ってなるたけ情報を伏せておいたのにぃ」
「はァ……嫌いなんですよ、そういうの。なんの生産性もないから……」
まるで朔楽だけが蚊帳の外にいるかのように、来夏とメリーの間で会話が交わされていく。
否、来夏は意図してこちらを無視しているのだ。3年半ぶりの再会については意地でも触れようとしない彼に、朔楽も次第に腹を立ててしまう。
「おい、言いたいことがあんならこっち見て言えよ」
「……とにかくメリー、こんな下らない真似はこれっきりにして欲しいな」
「聞いてんだろ、オイ……」
「それに疲れてるんだ。メディカルチェックも受けなきゃいけないし、僕はすぐに退席させてもらうから」
「こっちを見ろって……」
「それじゃあ」
そう言って来夏は
すれ違う一瞬──なにも言わずに行こうとするかつての
「俺を見ろっていってんだろ!」
「…………っ! い、いやっ──」
耳元で叫ばれた来夏は鞭で叩かれたように目を見開いてから、慌てて朔楽の掴んできた手を振りほどいた。そして彼は瞬時に朔楽から身を離すと、すぐそこにいたメリーへと助けを求めるようにしがみつく。
常軌を逸した怯えようは、3年半前の『あのとき』と同じだった。
「朔楽くん。悪いけど、そこまでにしてやってくれないかな」
膝をついてブルブルと震えている来夏を抱き寄せながら、メリーは
いくら怒鳴ってしまったとはいえ、次第に動悸が激しくなっていく来夏の反応はどう見ても普通ではない。怒ることも謝ることもできないまま、状況を理解できない朔楽はすっかり途方に暮れてしまう。
「な、なんだってんだよ……?」
「気にしなくていいよ、別にキミが何か悪いことをしてしまったわけじゃあないんだ。……ただ、あまり来夏くんを怖がらせることはしないで欲しい」
まるで泣きじゃくる赤子をあやすようにやさしく頭を撫でてやりながら、メリーは来夏がここまで震え上がっている理由を告げた。
「彼は男の人を極端に恐れてしまう……世間一般でいう男性恐怖症にかかっているんだよ」
「…………マジかよ」
3年半前の当時から大きく変わり果てた来夏に、今はただ、それしか言うことができなかった。
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