Act.04『胎動』

 恋ヶ浜こいがはま寿子ひさこがしばらく音信不通になっていた教え子の現状をようやく知ることができたは、試験終了からすでに1日が経過した日の昼下がりだった。


 彼の母親から連絡があり、それによると彼はどうやら留置場にいるらしい。

 すぐに警察署にも問い合わせたところ面会も可能とのことだったので、寿子は急いで逮捕されてしまったという教え子のもとへ向かうことにした。



「あ、麻倉あさくら朔楽さくらくんを担当している塾講師です。それで、彼は一体なにを……?」


「お待ちしておりました。では、被疑者のいる房へ案内しながらご説明します」



 午後2時半ごろ。

 面会時間ギリギリで到着した寿子は、そこで留置係の警察官から大まかな事情を聞かされつつも、警察署の地下にある留置場へと通されていく。


 説明によると、どうやら朔楽は試験会場に向かう途中で不良グループに絡まれてしまい、そのまま開始時刻に遅れるまで派手にやりあってしまったらしい。

 相手は高校生11人。全員がいずれも骨折などの重傷を負わされており、搬送先の病院では(よほど怖い思いをしたのか)まるで見違えたように態度が大人しくなっていたという。



 鉄格子てつごうしで区切られた小部屋が並んでいる通路を歩きながら、寿子は不安げな面持ちでキョロキョロとあたりを見回す。

 そして房の中に見慣れた人物の姿を見つけるなり、彼女は慌てて鉄格子の前へと駆け寄っていった。



「麻倉くん!」


「……寿子?」



 ベッドに腰を下ろしていた朔楽が、ちらりと寿子に視線を投げる。

 頭と右手にそれぞれ包帯を巻いているものの、想像していたより怪我は少なく、整った顔立ちも依然として綺麗なままだった。

 だがそれゆえに思いつめたような表情もより浮き彫りとなってしまっており、事実を追求しようとしていた寿子をつい躊躇ためらわせてしまう。それでも彼女は強い意志によって逡巡しゅんじゅんを振り払うと、あえて語気を強めて問いかけた。



「どうしたのよ、麻倉くん。あんなに勉強がんばってたのに、全部ほっぽり出しちゃうなんて……」


「べつに、俺の勝手だろ」


「……なにかあったのね?」



 不貞腐ふてくされたように目をそらす朔楽だったが、彼がなにか隠し事をしていることは寿子にも見抜かれてしまっていた。

 決して朔楽がただ力を誇示したいだけのチンピラでないことは、ずっと側から見守り続けてきた寿子が一番よく知っている。むしろ本当は誰よりも心優しい少年であることを理解しているからこそ、その真意について厳しく追求していった。



「ねぇ、ちゃんと説明して。これはキミだけの問題じゃない……お母さんや龍暮りゅうぐれくんだって、このままキミが黙っていたら皆が納得できないよ?」


「……しつけぇな、ポリ公からも説明受けてんだろーが。昔ボコった不良に絡まれちまって、喧嘩を買っちまった俺は当然ながらテストにも間に合わなかった……ただそんだけの話だ」


「嘘! いつもの麻倉くんなら、絶対に相手になんてしなかったはずだわ!」



 はじめは留置場中に響き渡るほどの怒鳴り声だったが、それも次第に覇気が抜けていき、やがて最後には弱々しく喉を震わせながら泣き崩れてしまう。



「お願いだから、理由があるならちゃんと話してよ……そうじゃないと、本当にキミが悪者になっちゃう……」


「…………っ」



 そんな寿子の姿を見て朔楽はつい途方に暮れてしまっていたが、それでも彼はやはり口をろうとはしなかった。


 むしろ逆に、何が何でも話すわけにはいかなくなったまである。

 もし“本当の理由”を告げれば、寿子はまず間違いなく自分に負い目を感じてしまうだろう。良くも悪くも責任感が強すぎる彼女の性格は、教え子である朔楽もじゅうぶんに理解している。



「だったら、どうすりゃよかったんだよ……!」



 自分はいったい“何”を──いや、“何処から”間違えてしまったというのだろう。

 少なくとも彼自身はかれと思って行動しており、彼が拳を振るうときには決まって助けたいと思う人間がいた。


 だが、その結果がである。

 善意は常に空回りするだけで、助けたかったはずの人も誰ひとり救えていない。少し考えれば当たり前のことだった。拳というのは原則的に、何かを傷つけたり壊すことしかできないものなのだから──



「麻倉……くん……?」



 うつむいていた寿子が、ゆっくりと顔を上げる。

 涙によってけがれを洗い流された瞳は、まだ朔楽に全幅ぜんぷくの期待を寄せているようだった。どこまでも純粋で、希望の光を見つめている眼差し。

 それが朔楽にはあまりにも眩しすぎて、怖くなって……彼はつい鬱屈とした思いの丈を寿子にぶつけてしまう。



「こんな出来の悪い生徒のことなんざ放っときゃよかったのによォ……それとも、塾講師サマはそんなに実績が欲しいのか? 『こんなバカでもハセ高に受からせることが出来ました』って!」



 ──違う。こんなことを言いたいんじゃない。



「ああ、そうさ……結局あんたは自分が大切なだけなんだ! だから生徒にも親身になって入れ込んでるフリをして、利用してるんだろッ!? 叶う保証もないユメなんか見せてさあ!」


「麻倉くん……」


「皆が納得できないだと? ハッ、夢見すぎなんだよ……どいつもこいつも、バッカじゃねーの? てめーらの都合で、勝手な夢を押し付けんな……ッ!!」



 そんなはずがなかった。

 寿子がそのような人間でないことは、誰よりも朔楽が一番よくわかっている。


 でも。だとしても。

 どうしようもない過失による心の痛みは、その責任を誰かに押し付けることでしか、癒えてくれそうになかったから。

 だから彼は八つ当たりなどという、恩師に対して最もはたらいてはならない行為にはしってしまったのだ。そうする以外に心の行き場を見つけられないくらいには、彼はまだ15歳の幼い子供だった。



「……来てくれて悪ィけど、帰ってくれよ。もう俺に関わらな──」



 朔楽が何かを言いかけた、そのときだった。

 プツリと糸が途切れたように、寿子が突然その場に倒れたのである。



「え……?」



 はじめは失神してしまったのかと思った。

 だが、それにしては様子がおかしい。崩れ落ちたまま一向に目覚めない彼女を朔楽が呆然と見つめていると、すぐに立会いの警官が駆けつけてきた。



「貴様、いま何をした!?」


「ち、違う! 俺はなにも……!」



 あらぬ疑いをかけられそうになったため、朔楽は反射的に否定してしまった。

 少なくとも直接的な暴力を振っていないのは事実である。そして彼女が意識を失ってしまったは他にあるのだが、動揺してしまっている今の朔楽がそれを導き出すのはあまりに難しかった。



(じゃあ、なんで寿子は急に倒れたんだ……? いったい何が……?)



 そうして思考の迷宮へと旅立ちそうになっていた朔楽を、不意に階段の方から聞こえてきた足音が繋ぎ止める。

 鉄格子ごしに覗き込むと、そこにはこちらへ近付いてくる人影が2つあった。


 うち一人は、さきほどの留置係とはまた別の警察官だった。

 房の前にまでやってきた彼は、朔楽の顔を一瞥するや否や



「釈放だ」



 とだけ呟き、なんと鉄の扉を解錠してしまったのである。

 あまりにも突然の事態にまるで状況が飲み込めていない朔楽だったが、ひとまず言われた通りに房を出た彼は、すぐそこで横たわっている寿子の体へと駆け寄ろうとし──



「残念だけれど、揺すぶったって彼女は目覚めないわ。これはそういう症状よ」



 背後から来たもう一人に呼び止められた。


 女性のような口調で話しかけてきたその人物は、どこをどう見ても男の中の男ゴリマッチョとしか言いようのない屈強くっきょうな身体つきをしていた。

 ラベンダー色に染色された奇抜なショートヘアと、日焼けサロンを利用していると思わしき浅黒く綺麗な肌。そして鍛え抜かれた筋肉を紫色のヒラヒラとした衣装で包んでいるその巨漢は、いまだ目覚めない寿子の顔を注意深く観察するように覗き込む。


 朔楽の知らない人物だった。



「てめぇは……?」


「名乗るほどの者でもないわ。通りすがりの、ただのオネエよ」


(オネエがフツー留置場こんなところを通りすがるかよ……)


「事後報告になってしまって申し訳ないけれど、話はこっちで付けさせてもらったわ。もう牢屋に閉じこもっている必要もないから、その点は安心なさい」



 どうやら朔楽がいきなり釈放することになったのも、このオネエの差配によるものだったらしい。

 だからといって、こんな見ず知らずの男を信用するにはまだ判断材料があまりにも不足している。相手の真意を探るように、朔楽は疑いの視線を向けた。



「こんな状況で安心なんかできっかよ……」


「それはあなたを釈放させたワタシの目的がわからないからかしら? それとも、この女性が急に倒れてしまったことに対して……かしら?」


「両方に決まってんだろ……! だいたい、なんでテメェは俺のことを知って──」



 朔楽が疑問について問いかけようとしていたそのとき、オネエが左手に付けているブレスレット型の情報端末スマートターミナルからとつぜん警報音アラートが発せられた。

 オネエは一瞬だけ険しい顔つきになると、すぐにきびすを返してから告げる。



「ついてきなさい。外に車を待たせてあるわ」


「待たせてあるって……寿子はどうするんだよ!?」


「ええと、たしかに部外者のワタシが寝ている彼女に触れるのはデリカシーに欠ける気もするわね……よし、アナタが運んで来なさい。オトコノコでしょう?」


「わ、わけわかんねぇ……!」



 かといって気絶している寿子を放置するわけにもいかないので、けっきょく朔楽は彼女を抱き上げたままオネエの背中を追っていくことにした。

 階段を駆け上がり、出入り口のドアへとたどり着く。そして警察署の外へと出ると、そこには異様な光景が広がっていた。


 空気を裂くような甲高い音とともに、いまにも泣き出しそうな曇り空に真っ赤な裂け目が生じているのである。そして赤黒い稲妻を放っているその亀裂クラックがやがて大穴トンネルと呼べるまでに広がったとき、異次元へと続いているワームホールの中から何かが姿をあらわす。


 それは、ヒトが着る衣服を模した巨大な浮遊構造体だった。

 レオタードに半透明のフリルスカートが付いたような、体のラインが大きく浮き出るデザインをしたドレス。脚部には足底にブレードのついたスケートシューズが履かれ、鋭利なエッジを突き立ててアスファルトの上へと着地する。

 どこをどう見ても“フィギュアスケート女子選手のコスチューム”のような形状をしている装甲アーマーの集合体は、まるで透明人間が着込んでいるかのようにのだった。



「あ、ありゃあ……アウタードレス!?」


「さしずめ、装甲名ドレスコードは“フロスト・フラワー”と言ったトコロかしらね」



 朔楽もオネエの男も驚いたような表情こそするものの、だがそれ以上に取り乱してしまうようなことはない。

 この西暦2037年の世界に息づく彼らにとって、もはや異形の出現などは日常茶飯のことでしかなく、たまに起こる小規模な地震・台風と同程度の認識だった。


 あれこそが、“アウタードレス”と呼ばれる人類の仇敵。

 人が誰しも持っている“心の壁”を媒介ばいかいとし、この現実世界へと具現化リアライズして破壊の限りを尽くす――まさに衣服の形を成した災害のような存在である。17年前にはじめて顕現けんげんが確認された来訪者アウターは、現在もこうして人々の前にたびたび姿を現しては、平穏を脅かす脅威と化していた。

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