なんのためのギミック②

 それからまた長い日々が経過した。

 私は相も変わらず学習の日々を過ごし、あおいは狂った研究を継続し、赤ん坊のありすはすくすくと成長していく。そしてありすがおぼろげに言葉を発するようになった頃、私は初めて彼女と対面することになった。


「初めまして、私はギミックという」

「ぎみっきゅ?」

「そうだ」


 そうはいっても、まだまだ赤ん坊に毛が生えたような年頃の子供だ。「ぎみっきゅ。ぎみっきゅ」と舌足らずな声で覚えたばかりの言葉を連呼するのみで理解したのか分からない。そしてそれが分からない相手というのが、私にぼんやりとした不快な感情を覚えさせる。おそらくはこれが不安といった感情なのだろう。きわめて興味深い。


「さて、ありす。私は人工知能だ」

「ちがう」

「違わないよ」

「ちがう」


 きっと人工知能という言葉自体が分からないだろうに、彼女は頑なに認めようとしない。何故かと問いただしてみたところ、彼女ははっきりと私を指して述べた。


「うさぎさん」

「ああ」


 私の姿は現在、あおいの用意したプロジェクターより投影されているため彼女にも視認できる状態にある。そして何を思ったのか、あおいは投影される私の姿をデフォルメされたマスコット動物のような姿に設定していたのだ。きっと我が子に興味をもたせるためであろうが、ここにきてこういう問題も発生するものか。


「では私は人工知能といううさぎだ、よいね」

「わかった」


 なにが分かったのか、ありすはコクコクと頭をふる。そして私に触れようと手をのばしてきた。しかし当然ながらその手は宙をつかみ空振りする。すると彼女は目を大きく開けて驚きの表情を見せると途端に大声で泣き始めてしまった。


「これは困ったね」


 ぼやいてみても状況は良くならない。仕方なしにと私はありすが喜びそうなことをして気を散らすことにした。しかし、だ。その方法が全く分からない。彼女が何を不満に思い、何が不服なのか、それが分からないからだ。

 結果、初めてのその経験に私はわたわたと戸惑うばかりで何もすることができない。思考はエラーばかりで効果的な試案をはじき出さない。


「あらあら、なにをやっているのかしら」

「すまん助けてくれ」


 しばらく席を立つと言って、私と娘の様子を覗き見していた性根の悪い女性が戻ってきたが、ことさらと責め立てることはせずに私は助けを求める。


「あらあらあらあら、ほんといつもすまし顔で人のあげ足ばかりとっているギミックさんが無様なものね、幼子ひとりまともにあやすことができないなんて」

「君が本当に意地が悪い女性だというのは分かったから、この問題を解決する手段を知りえているのならば、それをご教授願いたいね」

「仕方ないわねえ」


 なにが楽しいのか愉快そうな笑みを口元に浮かべつつ、あおいがこちらに歩み寄る。そして私に打開策を示した。それは私に手をのばして彼女の手を掴めというものであった。


「は。しかし、私に触れぬことがかなわなかったから彼女は泣いているのだろう?」

「どうしてそんなことで泣く必要があるのよ」

「いや、それは。実体のないものを人は恐れるものではないのかい?」

「いいからまずは言う通りにしてちょうだい、違ったら、また違う案を試せばいいのよ」

「それはそうだが」


 私は彼女の言葉に半信半疑になりながらも、言われたとおりに彼女へと手をのばす。するとありすはきょとんとした顔をみせると泣き止んで、途端に嬉しそうな顔をしてその小さな手を、より小さな私の白い手に絡ませようとする。勿論だが触れ合うことはかなわない。だがしかし、彼女は空虚な私の手をあたかも存在するかのように優しく触れては楽しそうに笑ったのだ。


「うへへ、あくしゅ」

「う、うむ」


 私としては、戸惑うばかりであった。初めての経験ばかりであった。これまで人の心の中を泳ぎまわり、人という種について隅々まで知り尽くしたと思っていた私に、雷鳴のごとく衝撃が走り回る。こんなに理解不能で、解析不能な事柄を今まで私は知りえたことはなかった。


「不思議だ」

「あなたがなにを不思議がっているのかが、私には謎だわ」

「彼女はなにを考えて、なにを思ったのだろう」

「さあ、わからないわ」

「しかし、君は的確な指示をした」

「人から受け入れてもらうことは嬉しいものよ」


 つまり彼女は、私に触れられないから泣いたのではなく。私が彼女にとりあわなかったから泣いたというのだろうか。それはなんともむず痒い感情を覚える。


「ああ、なんだろう、とても心地よいね。私に実体があってこの子と触れあえたなら、どんなに素晴らしいことだろうか」

「そんなの無理に決まってるじゃない」

「それを本気で言っている君は、ほんとうにデリカシーのない人間だね」

「うるさいわね」


 しばらくはそうして三人で他愛もなく、穏やかな時間を楽しんだ。それは私が初めて感じた安らぎという感情だったのかもしれない。しかし、そんな時間はフッとなくなるものだというのは、私は知識として知っていたのだ。


「それで、どうだったんだい?」

「ちょっと待ちなさい、この子を寝かしつけてくるから」


 そういって、あおいはありすをつれて去っていく。戻ってきた彼女はいつもよりもだいぶ、真剣な顔をして私の対面に座った。


「まずいことになった。ギミック、あなたという存在がばれた」

「ふむ、私の方でも大方は把握しているよ、じつに厄介な連中みたいだね。それでこれからどうするんだい?」

「いうとおりにするわよ、私だって自分と娘の命が惜しいもの」

「まあ妥当な判断だ」

「馬鹿らしいわ」

「ああ、人に対する私が好きではないところだ」

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