9話 理想の結末を迎えたい(3)

「……ああ、久しぶり。元気だったか?」


 そう言って、異母兄であるフェルディナンドはにっこりと作り笑いを浮かべる。その顔は会わなかったわずかな期間でげっそりと肉が削げており、顔色も悪く、目だけが爛々と輝いていた。どことなく危うい雰囲気を感じて、アルテシアはこっそり眉を寄せる。顔を合わせなかった約一ヶ月の間に、随分と異母兄の雰囲気が様変わりしていた。もっと優しげで柔らかな雰囲気を漂わせていたのに、いったいなにがあったのだろう?

 けれどその思いを顔に出すことはなく、アルテシアも同じく作り笑いを浮かべた。


「はい。シュミル国王陛下が良くしてくれましたから」


 その言葉に今度顔を顰めたのはフェルディナンドだった。責めるような口調で尋ねてくる。


「ならば、なぜ式を挙げなかった?」

「あら? むしろ我が国の名誉のためならこれで良かったのではないかしら?」


 アルテシアはふんっ、と鼻を鳴らす。王女を嫁がせた国に攻め入ったとなれば、他国からの非難は免れないだろう。しかし今回の場合ならば、アルテシアを王妃に据えなかったから条約違反だとして攻め入ったという正当な理由ができるのだ。不本意だが、レーヴェン王国としてはこれで良かったに違いない。

 しかしその言葉に、フェルディナンドは一切顔色を変えることはなく、それがどうした、とでも言わんばかりの態度でこちらを見つめてくる。


 その態度に、アルテシアは首を傾げた。もしかしてなにか他国に手を打っていたのかもしれない。真っ先に思いつくのは賄賂だが、そんな金銭的余裕は今のレーヴェン王国にはないはずだ。なにか底知れない不安を感じ、肌が粟立つ。思わずきゅ、と手を握りしめた。

 そんなアルテシアを見て、フェルディナンドは、ははっ、と、乾いた笑い声を上げた。


「それくらいも分からないか? すごく簡単なことだ。レーヴェン王国には金がない。だけど貴族たちは自分だけが助かりたいから大量に隠し持っていたっていうこと」

「……え?」


 アルテシアは思わず声を上げると同時に、どこか納得していた。異常気象に見舞われて税収は下がっているはずなのに、時折見かける貴族の人の身なりはさほど変わっていなかったはず。つまりはそういうことなのだろう。

 そう冷静に分析しながらも、その現実を受け入れられずにいると、フェルディナンドがふっ、と、儚げに笑った。諦観や絶望に満ちたもので、ごくりと唾を飲み込む。


「……酷い話だろう? 民が苦しみ、僕もなんとかせねばと奔走していたのに、民を助けなければいけない貴族たちは皆保身に走っていた……。だから、他国に渡す賄賂を彼らに負担してもらおうとしていたわけ。お金を払わなきゃそもそもこの国がなくなるぞ……ってね」


 フェルディナンドはそう言ってゾッとするような笑顔を浮かべる。けれど本当の意味では笑っていないようにアルテシアは思った。笑顔の仮面の裏で、彼はきっと嘆き、苦しみ、憎しみをぶつけている。そうなんとなく感じた。思わず顔をしかめる。

 目の前にいる彼はそんな人物ではなかった。誰よりも民のことを憂いていて、大事にしていて……貴族もちゃんと守るべき国民だと思っていた。

 なのに……今の彼はどうだろう? 守るべき民にも含まれる貴族を憎しんでいるようにしか見えない。


(きっと、それくらい辛かったのだわ)


 民を守るために頑張っていたのに、その守るべき民自身から他の民を守るなと足を引っ張られて、もどかしくて……。

 国の現状に嘆きながらも何もしてこなかったアルテシアには分からないことだ。

 だけど……いや、だからこそ、彼を止めないといけない。彼は本心ではこんなことを望んでいないはずだ。本当の願いはこんなことではないはずだ。

 アルテシアは険しい瞳でフェルディナンドを見つめる。


「お兄様……ですが、戦争を行えば傷つくのは民です。民を守りたいのではないですか?」

「……守れたら守りたいさ! だが、その方法がどこにある!? ……民は飢えている。レーヴェン王国はここ数年のひどい干ばつで貯蓄はもうない。他国はあの国王バカの借金があるから、と食物を売ってくれない。それならば力づくで奪うしかないじゃないか! シュミル王国でも干ばつは起こっているが、うちとは違って高い山がたくさんある。そこの雪解け水さえあれば小麦が育つ……」

「それで二国分の食物が賄えるとでも!?」


 フェルディナンドの言い分に、アルテシアは思わず叫んだ。確かに豊富な雪解け水を使えば小麦は育つだろう。きっと聡いオズワルドもそれに気づいて、小麦を育てるよう命じたはずだ。だが、シュミル王国でも飢えた人々がまだまだたくさんいる。だからおそらく、その小麦だけではシュミル王国の国民全員を賄うことはできなかったのだろう。


 それくらい分かっているのだろうに、フェルディナンドはやたらとシュミル王国の雪解け水を狙う。自暴自棄になっているみたいに。まるで大きな子供だ。

 そう思いながらアルテシアはフェルディナンドを睨みつけ、はっきりと告げた。


「お兄様のやっていることは間違ってるわ。戦争をやってシュミル王国を統合したところで、結局国の運営が難しくなるだけよ! そもそも、私、送りましたでしょ? シュミル国王はレーヴェン王国と手を取り合ってこの状況を乗り越えることを望んでいるわ。そのための資料も……」

「……ちょっ、待て、どういうことだ!?」


 アルテシアの言葉を遮ってフェルディナンドが叫びながら立ち上がり、こちらに駆け寄ってきたかと思うと胸ぐらを掴まれた。その表情には焦りの色が濃く現れている。

 やはり、と思った。レーヴェン王国に――少なくとも王太子である彼の元には、アルテシアが送ったはずの手紙が届いていないのだ。どこで妨害されたのかは分からない。だがしかし、一つだけ確実になったものがある。


(早く戦争を終わらせて、原因究明をしないと)


 敵の正体が分からないままでは、今後も似たようなことが起こるかもしれない。それは防がねば。

 アルテシアは尋ねる。


「お兄様、国王陛下には私の手紙が届いていましたか?」


 冷静な言葉だったためか、彼も幾分かは落ちついたのだろう。手を離し、こくりと静かに頷く。


「ああ。僕はシュミル国王は頑固でこちらの話に聞く耳を持たず、共に協力しようとしても突っぱねられたと陛下から聞いた」


 ということは国王に届く前に手紙の内容が歪められたのだろうか? それとも国王に誰かが入れ知恵をして、歪めて伝えさせたのだろうか? しかし、いったいなんのために?

 分からないが、確実に言えることは、フェルディナンドはずっと彼らの手の上だった、ということだ。


「くそっ!」


 異母兄は苛立ち紛れに叫ぶ。その顔には苦渋が満ちていて、アルテシアも同じように叫びたくなった。民にはなんの罪もないのに、彼らをより苦しませようとするなんて。誰だか分からない黒幕を今すぐこの場で殴って罵って土下座をさせてやりたくなった。


「……それで、シュミル国王の提案した案は具体的にどんなやつなんだ?」


 フェルディナンドがこちらを見つめて尋ねる。その瞳には真摯な光がともっていて、こんなことしている場合ではない、とアルテシアも気持ちを切り替えた。なにより大切なのは国民。今すぐこの無意味な戦争を止めなければ。


「それは――」


 と、アルテシアが口を開いたときだった。

 突如雄叫びが天幕を揺らし、蹄の音が大地を震わせる。そのありえないことに動揺し、アルテシアは慌てて天幕を飛び出した。

 遠くに粉塵が見え、悲鳴や怒号も聞こえてくる。なにが起こったのかなんて、考えるまでもなかった。


「どうして……」


 指揮するはずのフェルディナンドはここにいる。なのに、どうしてこうなった? どうして勝手に軍が出陣している?

 フェルディナンドがまたも「くそっ!」と叫んだ。


「そういうことか……っ!」


 アルテシアが問いかける視線を向けると、彼は焦ったように話し始めた。


「あそこに見える旗は、ヴァイス将軍のものだ。つまり出陣したのは将軍の私兵。シュミル国王の元にこんな時間にも関わらず奇襲を仕掛けたのも彼らだ」


 話しながら、フェルディナンドはきゅ、と唇を噛み締める。


「どうしてだかは知らないが、おそらくヴァイス将軍はおまえの手紙が歪められていることを知っていたのだろう。だからおまえがここにやって来て、僕が真実を知ることをすぐに察し、だけど戦争を止めるわけにはいかないから……」

「……そういうことね」


 アルテシアはつい、と視線を戦場へ向けた。相変わらずおぞましい声が微かに聞こえてきていて、背筋がゾッとする。あそこで、いったい今、どれだけ多くの血が流されているのだろう? 何人の命が儚く散っているのだろう? そう考えるとたまらなく悔しい。


(どうにかしないと……)


 だけど、どうやって? もう戦闘は始まってしまった。片方を説得して撤退させたとしても、もう片方が追撃してきてしまい、戦闘が終わることはない。仮に両方を同時に説得したとして、どちらかが先に兵を退かねばならない。しかしそんなことをしてしまえば、追撃される可能性もある。同時に両者を説得させねばならない。

 そんなことを思っている間にフェルディナンドは従者に命じ、馬を用意させた。戦闘の用意をし、部下たちにもそれを命じる。おそらくあの場に乱入するのだろう。考えている時間はない。

 深呼吸をし、「お兄様!」と馬上にいる彼に呼びかけた。


「私も連れて行って」

「だが――」

「いいから!」


 そう叫べば彼はしぶしぶと頷き、後ろに乗せた。続々と準備の整った者が周囲から集まってくる。ある程度集まったところで、フェルディナンドは合図をし、自ら先頭に立って出陣した。

 全速力で走らせているのか、馬が足を上げるたびに大きな衝撃に襲われる。落とされてはたまらないと、アルテシアは目を閉じ、異母兄の腹に回した手にぎゅっと力を込めた。どんどん干戈かんかの音が大きくなっていき、恐怖心が大きくなって震えが全身に回る。


 そのとき、少しずつ馬が速度を落とし始めた。落とされる心配もなくなり、余裕ができてきたため、そっとまぶたを押し上げる。その瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑んだ。

 いくつもの死体があった。地面は血の海で、患部を押さえて苦しげに喘いでいる人もいる。持ち手のいない剣が光を受けて鈍く輝いていた。


(助けないと……)


 そう思ったが、体は意に反してまったく動かず、ただ震えていることしかできなかった。


「……行くぞ」


 静かな、だけど激情を孕んだ声が上から降ってきた。それに無意識のうちに頷き、だけどこれ以上この光景を見たくないと目を閉じる。


「剣をおさめよ! 王族の命令に従え!」


 戦を止めるためかフェルディナンドが叫ぶが、剣戟けんげきの音はいっこうにやまなかった。チッ、という舌打ちが鼓膜を揺らす。異母兄はなにやら次の手を考えているようだったが、アルテシアにはそんな余裕などなかった。ただ恐ろしくて、震えていることしかできない。

 そのとき、耳慣れた声が聞こえた。騎士たちに命令を下す、オズワルドの声だ。慌てて目を開き、あたりを見回す。そもそも強引についてきたのは、彼の安否を確かめるためだ。それになんとか合流して、レーヴェン王国の現状を伝えたい。


 目を凝らして探せば、少し離れたところに彼がいた。馬に乗っており、何人かの騎士に囲まれてあちこちに声をかけている。そのことに安堵してほっと息をついたのもつかの間、彼の馬に矢が刺さった。馬が暴れ、オズワルドは馬上から転げ落ちる。そこに一斉にヴァイス将軍の騎士が群がり、彼の姿は視界から掻き消えた。


 アルテシアは馬から滑り落ち、そのまま駆け出した。静止を求める声が届くが、そんなの気にしていられない。どうして動きづらいドレスで来てしまったのだろう、と心の中で悪態をつきながら、騎士たちの間を縫うようにして彼の場所へ向かう。

 オズワルドは騎士たちに守られていた。馬には乗らず、騎士たちの描いた半円の中にいて、危険な状態にも関わらずあちこちに伝令を飛ばしている。

 そこに、背後からレーヴェン王国の紋章をつけた騎士が一人、馬に乗ってやって来た。オズワルドはすぐさまそれに気づき、剣を抜いて馬上の敵と相対する。しかし背後から歩兵が駆け寄って来て――。


「オズワルド!」


 全力で叫んだ。彼は目を見開いてこちらを向き、背後の敵には気づかない。

 オズワルドまであと一メートル。歩兵までもそれくらいで、まるで正三角形を描くような位置取りだった。

 アルテシアはオズワルドに駆け寄り、勢いそのまま押し倒した。その瞬間、激痛が背中を襲う。

 血が流れていくのが分かった。傷口が熱くて、そこに追いうちをかけるかのようにさらなる激痛がやって来る。

 そっと目を閉じた。徐々に、光も熱も、音も、ありとあらゆる感覚が遠ざかっていく。

 遠くにオズワルドの声を聞きながら、アルテシアは意識を失った。

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