9話 理想の結末を迎えたい(2)

 本来ならば四日ほどかかる道のりを、アルテシアの負担など気にせず全力で行けと、道中警護してくれるシュミル王国の騎士たちに言ったためか、なんとか三日で一行は戦場へとついた。

 戦場はシュミル王国の国境の十キロほど内側の平原だ。近くから一望できる丘に登り、戦場を見下ろす。もらった資料によると今のところ――というか三日前までの間、大きな戦闘は一回きりで、あとは小競り合いや互いに様子見をしているらしい。けれどシュミル王国のほうはどこか活気に満ちているように見え、レーヴェン王国のほうは弱々しいように思える。


(と、言うより……)


 全体的に、シュミル王国の方が見窄らしいのだ。馬と兵の数も少ないし、ただの農民らしき者たちもいて、武具も全体に行き渡っていないように見える。負け戦だ、とでもいうような雰囲気が軍全体を包み込んでいた。

 ふむ、とアルテシアは頷き、ここまで連れてきてくれたシュミル王国の騎士たちに向かって告げた。


「シュミル王国軍のほうへ行くわ」


 すると騎士たちはあからさまにほっと息をつくと、移動の用意を始めた。アルテシアも軍用の馬車に乗り込む。するとすぐに動き出し、ガタガタという大きな揺れが全身を襲ってきた。一般市民を戦闘に巻き込まないためか、戦場は街道から離れたところになっている。そのため馬車はひどく乗り心地が悪いのだが、それよりも胸中の不安のほうが心を占めていて、さほど気にならなかった。




 シュミル王国軍の陣に入ると、アルテシアは周囲で動揺している兵たちのことは気にせず、まっすぐに歩いていった。


「失礼するわ!」


 そう言いながら、アルテシアは王がいると思われる一番大きな天幕の中に押し入る。その中にはやはり重臣たちと何やら話していたと思われるオズワルドがいて、こちらを見て珍しくぽかん、と間抜けな顔を晒していた。そんな彼とは対照的に、重臣たちは顔を顰め、「この者は誰だ」とでも言いたげな視線を騎士たちに向けていた。騎士の一人がオズワルドの隣にいる人物に耳打ちをし、おそらくアルテシアが誰なのか分かったのだろう。彼は他の者に「捕らえよ」と命じようとしたが、オズワルドが慌てて押しとどめた。


 その行動に、重臣たちは皆一様に不満な表情を浮かべる。やはり彼らにとってアルテシアはレーヴェン王国の人間なのだろう。そのことに胸が痛みながらも、じっと奥にいるオズワルドを見つめていれば、彼がめんどくさそうにため息をついた。


「どうしてここに来た?」

「何もしないのは嫌だからよ。それに、私はこれ以上誰にも傷ついてほしくないわ」


 すると、オズワルドは無言でじっと見つめてきた。アルテシアも彼を見返す。どことなく居心地の悪い沈黙が天幕を支配した。

 ……やがて、オズワルドはため息をつく。


「つまり、なんだ、……戦争をやめろって言うのか?」

「ええ、そう。ただもちろん、降伏しろっていうわけじゃないわ。そんなことしたら結局いろんな人が傷つくもの」


「じゃあどうしろと?」とオズワルドは尋ねてきた。その顔は為政者のもので、思わず唾を飲み込む。……正直、少しだけ怖い。オズワルドはいつもと雰囲気が違っているから、もし考えを馬鹿にされたら……と、そう考えてしまう。

 けれどアルテシアはより多くの人を救いたいし、彼もそれを認めてくれていた。

 深呼吸をして激しく脈打つ心臓を宥めると、アルテシアはゆっくりと告げる。


「話し合いをするの。私はレーヴェン王国の王女よ。お兄様も少しくらい考えを話してくれるはずだわ。それから、二国が納得する解決策を見つける」

「……見つけられるとでも?」

「ええ、きっと。お兄様は聡明な方だし、あなたもそうでしょう?」


 するとオズワルドは顔を顰めた。できっこない、と、その表情は雄弁に語っている。けれど気にすることなく、アルテシアは表情を引き締めて告げた。


「それに、気になるのよ。私はレーヴェン王国に、あなたが協力を求めている、と連絡をしたのよ? そろそろその手紙は届いているはずだわ。なのにこんなふうに戦争を起こす理由がよく分からないのよ」

「……こちらの土地を狙っているのではないか?」

「土地を手に入れたところでどうなるの? 今のレーヴェン王国じゃ、土地を手に入れたところで養わなければいけない民が増えるだけだし、そんな余裕もないわ。メリットがなにもないのよ、この進軍には」


 その言葉にオズワルドも「……確かにな」と頷いた。シュミル王国の財政は火の車だ。似たような状況に置かれているレーヴェン王国も同じに違いないから、自国の民を養うので手いっぱいなはずで、明らかにおかしいと気づいたのだろう。

 そのことに安堵し、再度アルテシアが口を開こうとした、そのとき。どこかそれほど離れていない場所から雄叫びが聞こえてきて、「敵襲ー!」という悲鳴じみた叫びも聞こえてきた。周囲が一斉にざわつきだし、混乱に陥る。


「ありえない」とオズワルドが言った。「昼間の奇襲だぞ。見張りはなにをしていたんだ」

 その言葉にアルテシアは心の中で頷きながら天幕の外へ飛び出した。叫び声のした方を見ると、確かにレーヴェン王国の紋章をつけた騎馬が数騎、こちらに向かってきている。しかもそばにある天幕に火をつけながら、だ。


 チッと舌打ちが聞こえてアルテシアはそちらを見れば、オズワルドが天幕から出てきていた。重臣たちが彼を天幕の中へ戻そうと「陛下!」と入り口で叫んでいる。

 だけどそれを無視して、オズワルドは呟くように言った。


「これでは……」


 彼の言葉をかき消すように、徐々にひづめの音が大きくなってくる。ずっとアルテシアの後ろで無言で付き従っていたユイリアがすっと体を前に出し、庇うように立った。オズワルドは腰の鞘から剣を抜いて構える。

 そして、目の前にレーヴェン王国の騎兵が現れた。彼はオズワルドを馬上から見下ろすと、「覚悟――!」と叫び、剣を振り下ろそうとする。


「待ちなさい!」


 アルテシアが叫んだ。それでも刃が止まることはない。思わず悲鳴をあげかけたそのとき、オズワルドがすっと流れるような動作で剣を振り上げた。キン、と甲高い音があたりに響き渡る。騎兵はそれでも諦めることなく再度剣を振り上げ、下ろそうとして――。


「だから待ちなさいって言ってるでしょ! 王族の命令が聞けないわけ!?」


 そこでようやっと、騎兵はアルテシアの方を見た。驚きに目が見開かれる。嫁いだとはいえ、まさかこんな戦場に自国の元王女――と言っても正式に結婚は結んでいないため、元がつくのかは微妙だが――がいるとは思ってもみなかったのだろう。混乱しているのか、しきりにまばたきをしている。

 そんなとき、騎兵が何人も後からやって来た。最初にやって来た騎兵の部下だろう。彼らもアルテシアを見て訝しんだり、驚いたりしている。

 にっ、とアルテシアは口端をつり上げた。


「ごきげんよう、兵士たち。とりあえず私を保護しなさい」


「おい!」とオズワルドが叫ぶ。それを無視して、アルテシアは混乱する兵士たちに畳みかけた。


「私がこの場にいると人質に取られるわ。それがまず一つの理由。二つ目はもし私が運良くこの場を生き残ってあなたたちの知らないところで子供でも産んだら、その子を担ぎ出してクーデターを起こす人が出てくるかもしれないこと。三つ目は――これでも半分はちゃんと国王の血を引いているのよ? 命令に従いなさい!!」

「は、はい!」


 アルテシアが兵の一人に近づいて怒鳴ると、兵はビクリと体を震わせ、慌てて彼女の手を取って馬の上に乗せた。予想通りの展開にほっと息をつく。襲撃自体は想定外だったが、とりあえずレーヴェン王国の陣営へと行けるだろう。異母兄と話し合うという目的は果たされるはずだ。

 そう思いながらアルテシアはオズワルドを見た。戸惑いながらも、その瞳には心配の色が窺える。それが嬉しくて、思わず笑みをこぼした。小さく、なるべく騎士には聞こえないようにして声をかける。


「ちょっと予想外な展開になっちゃったけど、手はず通りによろしくね。――ほら、行きなさい!」


 馬が駆け出す。「アルテシア!」という声が聞こえて、思わず口元が緩んだ。

 初めて名前を呼ばれた。それがとてつもなく嬉しくて、だからこそ彼のためにも失敗はできないと思った。




 レーヴェン王国軍の陣につくと、アルテシアは一人で歩き始めた。多くの兵が止めようとするが、ここにいるのは雑兵ばかりで、アルテシアが王妃から虐げられていることなど知らないのだろう。他の王族に対するのと同じようにひざまづいてこちらを見送った。

 優雅にドレスを翻しながら進み、本陣と思わしき場所に着くと、ゆっくりと天幕をくぐる。そこには実に久しぶりに見る異母兄と、軍部の人間がいた。アルテシアは笑みを浮かべる。


「お久しぶりです、お兄様」

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