歌姫は若き王を落としたい

白藤結

プロローグ 落としてやるんだから!(1)

 ガタガタと揺れる薄暗い馬車の中で、二人の少女が向かいあって座っていた。

 一人は艶のある黒髪を後頭部で一つにまとめ、きっちりとメイド服を纏った、いかにも真面目そうな少女だ。静かな面持ちで背筋をピンと伸ばし、あたかも置き物であるかのように目を伏せ、じっとしている。

 そしてもう一人は紫色のドレスを着た、波打つにんじん色の髪と新緑の瞳を持つ少女だ。彼女は手と足を組んで座っており、つり目がちな瞳は対面するたった一人の自らの侍女を射抜いていた。

 彼女の唇がそっと開かれる。


「ねぇ、ユイリア」

「はい、何でしょう、アルテシア様?」


 アルテシアの苛立ちを押し殺した声に、侍女のユイリアは静かに言葉を返した。感情のない、無機質な声だった。

 そんな彼女の態度に、アルテシアは片方の眉を上げる。苛立ちが胸の内に生まれた。おそらくそういう意図はないのだろうが、彼女の様子から、自分だけが動揺しているみたいに感じて、バカにされているように思えてきてしまう。

 ――その態度のおかげで冷静になり、救われることも多々あるから、よくありがたいとは思うのだけれど、今はそうは思えなかった。ただただ苛立つ。むっと顔を歪めた。八つ当たりをしたくなる。


(……って、ダメよ、そんなの)


 気持ちを落ち着けるため、彼女に感謝していることをひとつずつ心の中で上げていく。たとえば、ユイリアは乳母の子供、いわゆる乳姉妹だから、アルテシアへの物言いに遠慮がない、ということ。いつも何かしらいけない事をやらかしてしまうと、黙って静かに後始末をするほかの侍女たちに代わって、何がいけなかったのかこんこんとさとしてくれる。それは普段、その生まれのせいで様々な人から遠巻きにされるアルテシアにとって、とてもありがたいことだ。それに他にも――。

 そんなことをつらつらと考えたが、胸中にある苛立ちはなかなか治まらなくて。


(……って、そんなことを考えている場合じゃないわ)


 アルテシアは慌てて首を横に振り、感情を振り払った。普段どれだけ彼女に感謝しているのかなんて今は些細なことだ。もっと重要なことがあるのだから。

 すぅ、はぁ、と深呼吸をして、ユイリアを見る。凪いだ瞳でこちらを見ていた彼女に、「ねぇ、」と呼びかけた。


「――なんで私たち、馬車の中にいるのかしら?」


 冷静になろうと努めた、だけど苛立ちなどの感情が抑えきれていない声が、シン、とした馬車の中に落ちた。

 つい昨日というか数時間前まで、アルテシアはレーヴェン王国の王宮の片隅で静かに暮らしていた。王女であるが妾の子であるため正妃に疎まれており、母が亡くなってからは正妃に存在を忘れ去られようと、社交界デビューをする十六歳になっても決して夜会に参加せず、十九歳という嫁ぎ遅れかけにも関わらず婚約者を作ることなく、ひっそりと穏やかに生きてきた。


 ――なのに、一体全体、どういうことだろう?


 今朝、突然異母兄である王太子が現れ、アルテシアとユイリア、そしてわずかばかりのドレスなどを馬車に押し込むと、大した説明もないまま城から追い出したのだ。ほんの少ししか状況が分からない。

 不機嫌な表情を浮かべていると、ユイリアが口を開いた。


「フェルディナンド殿下がおっしゃっていたではありませんか。シュミル王国の国王陛下に輿入れをするためですよ、アルテシア様」

「だから、どうして突然輿入れすることになったのかってことよ!」


 パチン、と苛立ち紛れにアルテシアは手のひらを振り下ろした。そのつもりはなかったのに太ももに手が当たってしまい、痛みに顔を歪める。しかしそれでも心の中の苛立ちが消えることはなかった。

 きゅ、と眉根を寄せながら、再び腕を組む。一生隠れて、誰とも結婚することなく死んでいくつもりだったのに、まさか四十以上も年上のシュミル国王へ嫁がされるなんて! いったい誰がこんな展開を予想できただろう?


 シュミル王国はアルテシアのいたレーヴェン王国の北にある国だ。レーヴェン王国よりも農地に恵まれており、少しだけ豊かだと聞く。そんなシュミル王国の国王は御歳六十五。王妃は既に亡くなっており、アルテシアよりも年上の王子王女が大勢いる。そんなところに嫁入りするなんて、正直拒否したくてたまらない。ぞわぞわ、と鳥肌が立ち、思わず腕をさすった。

 しかしユイリアはそんなことを気にした様子を一切見せることなく、静かに告げた。


「仕方ないでしょう。それが援助を受ける条件なんですから」


 その言葉に、アルテシアはそっと目を伏せる。王宮から出る際に見えた、寂れた王都の光景が脳裏に浮かび、胸が苦しくなった。胸元に手をやって、握りしめる。


 王宮の隅でひっそりと生きてきたアルテシアだが、市井しせいの暮らしを知らないわけではない。昔、乳母が存命だったころ、何度か社会見学を兼ねてこっそり王都を歩いたことがあった。そのとき見た王都は活気に満ちていて、たくさんの人々が大通りを行き来していて、呼びこみの声があちらこちらから響いてきていた。

 しかし五年前に乳母が亡くなってからは王宮の外に出ることはなくなり、……そしてつい先ほど、城を出る際に久方ぶりに見た王都はかつての面影などなく、ひどく寂れていた。通りに露店は並んでおらず、ただただ人っ子一人いない虚しい大通りが、王都の端まで続いていた。


 近年異常気象が多発しており、蝗害こうがいなども頻発していて国庫は減る一方だと、ユイリアを通じて話には聞いていた。けれどあれほどまで衰えているなんて、アルテシアには信じられなかった。あんなにも美しく、活気に満ちていた王都が、たった五年でこんなにも様変わりするとは、想像もつかなかった。今でも信じられない。


 ふぅ、と息をつき、顔を手で押さえる。しかしこの目で見た光景はすべて現実で、王都はあれほどまでに荒れてしまった。シュミル王国から援助を受け取るための条件は、アルテシアと国王の婚姻だ。そのために四十歳以上年上の男に嫁ぐことくらい我慢出来ないなんて、贅沢すぎることだろう。今この国では明日も生きられるのか分からない人が大勢いる。彼らの苦悩に比べたらこれくらい大したことないに違いない。

「ごめんなさい」と口にする。


「こんなの、ただの八つ当たりね」

「いいえ、大丈夫です。私はアルテシア様に仕えているのですから。……それに、もう慣れていますので」

「ふふ、ありがと」


 額から離した手を下ろして、アルテシアは微笑む。ユイリアもこのときばかりはいつもの鉄仮面を外し、淡く笑みを浮かべた。やっぱり心強いわね、と心の中で呟く。生まれたときから一緒にいた彼女がいるのならば、見知らぬ土地に行く恐怖心も、父よりも年上の男性に嫁がなければならない恐ろしさも、多少は薄らぐ。

 ユイリアはくいっと口の左端をわざとらしくつり上げた。


「やっと私の有能っぷりが分かりましたか。さぁ、もっと敬ってひれ伏しなさい」

「いや、さすがにそれはできないから」


 くすくすと明るい笑い声が馬車の中に満ちる。アルテシアはひとしきり笑ったあと、少しだけ体勢を崩した。馬車の揺れがより体に響く。

 ぽつり、と呟いた。


「……これからどうなるのかしらね」


 アルテシアも、レーヴェン王国も。レーヴェン国王はシュミル国王とアルテシアの嫁入りの代わりに援助を受けるという条約を結んだらしいが、ちゃんと果たされる保証はあるのだろうか? シュミル王国にも体面があるのだからきっと大丈夫だと、頭では分かっているのだが……なぜか言いようのない不安が胸中で渦巻いていた。

 重たい沈黙が、馬車を満たした。



 それでも馬車は止まらない。北にあるシュミル王国の王都へ向けて、ゆっくりと、確実に近づいていく。

 そして一週間後、馬車は目的の王都に入った。




 ちらりと窓からシュミル王国の王都を眺め、アルテシアは思わず顔を顰めた。……雰囲気が悪い。街往く人々の顔色は総じて青白く、くたびれた服を纏っていた。呼びこみの声も張りがなく、露店に並ぶ食べ物は小ぶりで数が少ない。

 そのことに違和感を抱いたのはアルテシアだけではなかったらしい。対面に座るユイリアも、窓の外を眺めながらぽつりと呟いた。


「……想像と違いますね」

「そうね」


 レーヴェン王国から持ちかけたとはいえ、シュミル王国は援助をすることを了承した。それならばシュミル王国はレーヴェン王国よりも豊かなはずだ。むしろそうでなければならない。そうでなければ、困窮していた国はさらに荒廃し、立ち行かなくなってしまうか、他国に攻められ滅ぼされてしまう。


 なのに、これはどういうことだろう? シュミル王国の王都はレーヴェン王国と同じくらい……もしくはそれよりも衰えているような気がする。王都に来るまでにいくつかの村々も通ったが、そこもあまり活気がなかったようだし……。

 ――何かがおかしい。

 アルテシアの胸のうちにあった不安が、さらに大きくなった。


 その後も馬車は王宮へ向けてゆっくりと進み、王宮の門に着くと止まった。おそらく入城許可があるかどうかの確認だろう。こちらにはシュミル国王の許可証があるはずだから、すぐに終わって中に入れると思ったのだが……これがなかなか終わらない。しかもやがて言い争いまで聞こえるようになり、アルテシアとユイリアは顔を見合わせた。おかしい。何があったのだろう?


 ユイリアに合図をすると彼女は頷き、こっそりと馬車の扉を小さく開けた。それによって、声がさらに大きく、はっきりと聞こえるようになる。アルテシアは言い争いに耳を傾けた。

 言い争っているのは男性二人らしい。


「帰れ!」

「そんなわけにはいかないだろう!? 中におられるのは貴国の王妃となられるアルテシア様だぞ!?」

「そんなの知るか! そもそもその……アルテシア? 様を娶る予定だった王は死んだのだ!」


 聞こえてきた声に、思わず目を見開いた。……シュミル国王が崩御した? そんなの聞いてない。アルテシアはきゅ、と胸元で手を握りしめる。それが本当ならば、条約はいったいどうなる? レーヴェン王国の国民はどうなる?


 アルテシアが呆然としている間にも言い争いは白熱する。――それでも条約は結ばれたのだ、果たすのが筋だろう? そんなわけない、新たな王に代わったのだから条約は無効だ! 違う、何しろ条約は国と国同士で結ばれたのだぞ! いや、国王同士で結ばれたものだ! 声は徐々に大きくなり、シュミル王国内に入ったときからあった胸の内にあった不安がどんどんと膨らんでいく。思わず太ももに置いた両手をきゅ、と握りしめた。

 そのときだった。


「――何事だ」


 場を咎めるような低い声があたりに響いた。

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