理想とする小説

ケイキー

自分のことを未だに人間失格だと思っている

 小説が好きである。

 どのくらい好きかと言うと、たとえ、自分という存在が消え去っても、「小説」という「粋なもの」は残ってほしいと思うぐらいには好きである。

 

 筆者はまだ20歳にもならない、年端もいかない未熟者中の未熟者であるが、これでも一応、今までの人生で小説というものを味わってきた。


 ハリー・ポッター、バッテリーなどの児童書から始まり、東野圭吾、米澤穂信、辻村深月、河野裕、乙一、森見登美彦……などの当代一流の作家の本を貪るように読んだ。

 もちろん、ライトノベルにものめり込み、一定数追ってきた。


 そうして読み進めるうちに、ある分野に出会った。「純文学」である。


 村上春樹、太宰治、夏目漱石、三島由紀夫……

 元来、暗い性格に近かったため、これらが自分によくはまった。


 底抜けに明るい作品を読んで育った自分は、「暗い作品の何が楽しいんだろう」と思っていたが、これが何物にも代替できないほど楽しいのである。

 悲劇の主人公を気取れるのだ。

 暗闇にいるとき、明かりを照らされても、ただ目が痛いだけのように、

「あいつらには、この暗さや苦しみはわかるまい」と、暗いときに暗いものに触れることで、ある種の歪んだ優越感に浸ることができ、自分を保つことができるのだ。

 

 同じようなことは、詩や、哲学、古典、数学にも言える。

 自分は、「(悪い意味で)周囲とは違う存在である」「彼らは楽しく生きることができるが、自分はそうすることができない生き物だ」と常々感じてきたので、皆が評価しないそれら「高尚なもの」に美学やシンパシーを感じ、取り組んできた。



 そうして、周囲と違うこと、違うこと、と選択し続けた結果、明るい生き方など、できなくなっていった。


 ライトノベルが、好きではなくなったのである。

 かつて、自分はあれだけ、底抜けに明るいライトノベルを好きだったのに、もはや、読むことができなくなった。


 暗さになじみすぎた結果だと思う。


 さて、前置きが長くなったが、主題に移ろう。


「理想とする小説」である。


 

 ……と思ったが、前置きが長くなりすぎたので、次回に持ち越そうと思う。

 こんな駄文を誰が読んでくれるのか、くれないのかはわからないので、続きを書くか、書かないか、自分でも自分を信じられないが、もし面白いと感じていただけたら、幸いである。


 

 

 

  


 

 

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理想とする小説 ケイキー @keikey

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