シェアハウスですが女の子を拾いました。③


 「えー、この数式は——」


 体育館での始業式が終わり、数学という悪魔の時間が幕を開けた。

 数学は嫌いだ。別に解けないからではない。勉強して公式をある程度暗記しておけばそれなりに問題は解ける。嫌いなのは数学の性格の悪さだ。

 『この式を使う』という文字と一緒に公式を問題の真横まよこに載せているくせに、最初からそれを使わせず、高1で習った忘れかけた公式を応用させ、その上でやっメインの公式を使用することができる。それに毎回俺は、『男らしくストレートに勝負しろよ、まどろっこしい事すんな』なんてひねくれた感情をぶつけてしまう。


 「あっ…」


 ひじに当たった消しゴムは、床に落ち、隣の席の室町むろまちに向かって転がり、机の下にもぐり込む。室町むろまちは椅子を少し引いて床に手を伸ばし消しゴムを拾いあげ、無言で俺の机の上に乗せた。


 「ありがと…」

 「どーも」


 小声でそう言うが、正直無視して欲しかったのが本心だ。


 それは高校一年生の夏の出来事。

 授業は今と同じ数学だった。当時、俺は無性に“彼女”という存在が欲しくなり、なんとか出会いを作ろうと隣に座る女子に向けて、自分の消しゴムを何度も落とした。結果は0勝5敗。女子が拾う前に、前方に座る渡辺わたなべ君が5回全部拾い上げたのだ。

 渡辺君、あの時ずっと寝てたくせに俺の消しゴムが落ちたタイミングで何故なぜか必ず起きるんだよなぁ…

 そしてその後、少しばかりの期間、クラス内では、俺が消しゴムをわざと落としてまで出会いを求めていたという話で持ちきりになった。

 そのことが多少のトラウマとなっている。だから室町むろまちに消しゴムを拾われることにより悪評あくひょうが広がるのではないかと思うし、何より人気者の女子と仲良いふうに見えると男子の視線が怖いのですよ。なので俺は、必死に黒板に書かれる数式をノートに無心で書き写し、何事も無かったことにする。


 ——キーンコーンカーンコーン

 午前の授業を終えるチャイムが鳴り、それを合図あいずに教室は一気にさわがしくなった。ある生徒は購買こうばいに向かったり、またある生徒はその場で弁当を広げたり——そのどちらでもない俺は、机の横にかかっているかばんを手に持ち教室を出た。

 菊池ヶ丘きくちがおか高校の屋上は封鎖ふうさされている。

 事故防止のために数年前から取られた対策は、俺の前では残念ながら無力だ。

 かばんから秋菜あきなゆずり受けた髪留かみどめを取り出し、扉の鍵穴に突っ込む。すると、封鎖されたはずの扉からは、すぐにカチャッと軽い音が鳴った。

秋菜あきながこの高校で在学中のときに見つけた裏技で、落ち込んだ時や授業をサボりたい時に、この髪留かみどめを駆使くしして勝手に侵入していたらしい。本当にテレビで見るおしとやかで礼儀正しいアナウンサーとはまるで違う…本当に同一人物なのかよ。

そしてその技と髪留めを、俺は入学時に継承けいしょうした。しかし、俺は秋菜と違ってサボったりはしない。だから授業にしっかりと出席をするため、お昼休みの弁当を食べる時にしかここを使わないのだ。


 「さむっ…」


 ただでさえ標高の高い長野県。そこに設立された高校の屋上は、4月の風といえど、それなりに冷たいのだ。けれど、去年の冬を屋上で過ごした俺にとって、この程度の肌寒さなど、許容範囲だ。

 居場所がなくなると、人間は進化する。鳥って確かはるか昔、地上に住む場所を無くしたから飛ぶようになったんだっけ?まあよく分からんが、俺も教室に居場所を無くしたわけだからこうして天高く…っておい。

 自分の思考に自分でツッコミを入れて、鼻で笑う。


 「うわ…」


 この声は、そんな自分に対しての軽蔑けいべつした声では決してない。原因は、この弁当。フタを開けると、シャケのふりかけで作られた大きなハート。

 忘れていたが、クリスさんが朝飯当番だといつもこれなんだよな…

 あの変態め…


 それからの授業は何事もなく進み、帰りのホームルームが終わった途端とたん、俺は颯爽さっそうと学校から出た。向かう先はシェアハウスではなく、バイト先の家電量販店だ。シェアハウスの家賃や、生活費、それら全てを自分の手で稼がなければいけない環境に身を置いている俺にとって、バイトは必要不可欠。

バイトをコロコロ変える高校生がいる中、生活をけて働く俺は正しく社畜。

店のためにも遅刻はできないな!

 

 平日なのにそれなりに忙しい仕事を終え、タイムカードを切る。時刻は9時13分。かなりいい時間だ。


 「お疲れ様です」

 「お疲れ様ー」

 「おつかれー」

 

 社員達の気の無い挨拶をに、店を出た。

 店の隣にあるスーパーに寄り、水羊羹みずようかんと板チョコを1つずつ購入し、ようやく帰路きろに着く。

 桜の並木道に差し掛かり、先ほど買った水羊羹を取り出し、かじりつく。

 街灯がいとうが風で舞う桜の花びらを照らす。そんな美しい春情しゅんじょうに思わず陶酔とうすいしてしまう。

 自転車から降りて、その場に立ち止まり、スマホを取り出す。この光景を何となく写真で収めたかったからだ。

 写真を撮り終え、かばんにスマホを戻そうと思ったが、その前に写真投稿アプリが気になったのでそのアプリのアイコンをタップする。

 決してこの写真がインスタ映えめっちゃしたからこれを機に思い切って投稿して少し誰かにDMで『その写真綺麗だね!どこで撮ったの?』というコメントが欲しいからとかそんな馬鹿げた理由ではない。うん。

 アプリの画面が開かれると、同じ学校だからという建前たてまえだけで相互フォローをしている生徒達のあげた写真が、画面を流れる。放課後遊びに行ったときの写真や、部活の写真をあげたりと青春を謳歌おうかしてますよアピールが止まらない。今の俺の生活と、そいつらの楽しそうな生活の差が、俺の心をチクリと痛める。

 俺が高校生活を楽しんではいけないことなんて重々承知だ。

 でも…


 夢がない毎日が嫌いだ。

 夢に近づける奴が嫌いだ。

 夢に向かう環境が整っている奴が嫌いだ。


 「はぁ…何やってんだか…」


 大きめのため息を吐いてスマホを鞄に突っ込みチャックを閉める。

 入学当初から生きるのに必要な金を稼ぐため、日々アルバイトに打ち込んできた。そのせいで部活は入れず、せっかく友達になった友人の遊びの誘いを断り続けるはめになった。その結果、周りに人は徐々にいなくなり、何も得られず。誰も助けることができず……


 自転車を押しながら歩き、ひたすら哀愁あいしゅうを桜の並木道の美しい景色で誤魔化す。



 「君は、どうして辛そうな目をしているの」



 その一瞬。風が勢いよく吹き、桜の花びらを大きく掻き回した。

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