白い騎士団と鋼鉄の処女

村岡真介

第一章 異世界へ

プラエテル・ボロ・ロンゲ

 よう、俺は陣内 明矢というもんだ。よろしく。これから俺の身に起きた不思議な事変を述べようと思う。.

 この世の中には時空の裂け目がところどころにあるらしい。俺はマーという雑誌をこよなく愛する友達、鳥島からよくその話を聞かされていた。

 バミューダトライアングルしかり、神隠しという現象しかり、だがそんな事を信じない俺はその鳥島がかようなよた話をしていても、顔で笑って心の中では下らないと思っていた。

 しかし、信じざるを得ない事件が突発的に起きてしまった。俺がいつものように文芸部の部室にいくと鳥島は買いたての漫画を読んでいる。

 きょろりと俺を見ると、「よう」と一言挨拶をする。俺も「おう」と返し、その漫画の一巻を手に取り読み始めた。

 三年の最後の夏休み前、もうそろそろ大学受験に本腰を入れなければならないのに、部室で二年の坊主たちとみなで漫画を読んでいる。もうそろそろヤバいなと思いながらも漫画をめくる手がとまらない。

 そうして時間の無駄遣いをしていると突然、鳥島が口を開く。

「なあ、大学受験の勉強、もうそろそろ始めてるか?」

「いいや……どうしてもその気が起きないんだよな。お前は?」

「俺もそうさ。なんか突然全てがどうでもいいような気になったり、もういっそのこと死んでしまおうかと思ったりしてな。そこでこれさ」

 やつは先々月のマーを取り出し、そこに書いてある消滅の呪文を指差した。そこにはある呪文が書いてあった。

「プラエテル・ボロ……」

 そこで鳥島は俺の口をふさぐ。

「この呪文はラテン語で『遠くへ消える』という意味なんだよ。迂闊に口にすると大変な事になる」

 そこにいた二年生達も漫画を読むのをやめ、興味深く俺達二人のやり取りを見つめている。

「この呪文を唱えると平行世界のいずれかに飛ばされると書いてある。それは原始時代かもしれないし、逆に遥か未来の世界かもしれない。いずれにしろ受験勉強とはおさらばだ。いま俺の生きざまを見せてやるよ!」

 受験勉強をしたくないがために、もしかして死ぬかもしれない呪術を使うとは。何が生きざまだ。ばかげている。

 するとやつはその呪文を口にした。

「プラエテル・ボロ・ロンゲ!」

 するとなんと鳥島が透明になっていく。本人は歓喜の笑顔をこちらにむける。

「おい、消えかけているぞ!」

 驚いた俺はそう声をかけても徐々に透明に近づいてゆく。俺は身をのりだし救助をするも、もう間に合わない。鳥島はすっかり消えてしまった。

「なんだよ、これ……」

 二年の坊主達も仰天している。

「見たよな、あいつが消えてしまうの」

 みな首を縦にふる。

「担任に報告に行くから待ってろよ」

 俺は全速力で職員室に向かうと担任の先生に事の顛末を伝えた。担任も驚きながら部室に向かう。

「ここで鳥島はすうっと消えたと……そうだな」

 みな口をあわせて、「そうです」と答える。

「僕が救助に向かったんですがもうだめでした」

「よし、警察を呼ぼう。なにかからくりがあるかもしれない。それと陣内、部室を片付けておけよ」

 先生が警察を呼んだ。長い二十分だった。やっとの事で警察が到着した。スーツ姿で刑事だと分かる。

「なるほどなるほど。消えてしまう一歩手前で助けに入ったが間に合わなかった。そしてその現象を皆が目撃していると……これは難問ですな」

「時空の狭間に吸い込まれてしまったんじゃないかと。そこの雑誌に、その特集が組まれていたんです。二号ほど前に。なにか怪しげな呪文を唱えていました。『プラエテル・ボロ……』と、それが原因かもしれません」

 俺は思わずその呪文を唱えるところだった。

「彼は純粋な心を持っていたようですな。そのような怪しげな雑誌に書いてあることを真に受け実践していたと」

「ええ、その手の話が大好きで、まもなく受験もあるし、現実から逃避したかったのかもしれません」

 刑事も途方にくれている。誰も何の解決策も示せない。

「時空の狭間に消えていったのなら、どこか別の時間軸などに飛ばされたのかもしれない。最後に残る手は一つ。同じようにその呪文を唱えて彼が行ったと思われる世界を調べ回るしかないようですな。殺人事件が起きたわけじゃなし、我々の捜査の範囲はここまでです。お疲れ様でした」

「そんなぁ。民事不介入とかいうことですか」

 俺が刑事に詰め寄る。

「そういう事です。では失礼します」

 刑事たちはさも残念そうに帰ってしまった。


 残された俺達五人。六月とはいえ、蒸し暑い透明な空気が体中にねっとりとからみつくような暑さだ。

 先生はしきりに起きた出来事が本当かどうかを訊いてくる。

「間違いありませんって、先生。ここで嘘をついて僕らに何の得があるっていうんですか」

「ふーむ、そのようだな。『プラエテル・ボロ……』ああ、いかんいかん。俺も時空の狭間に飛ばされるところだった。とにかくこっちはご両親に起きたそのままを伝えるから、お前らは動揺しないように。間違っても呪文を唱えちゃだめだぞ」

「分かりました。今日は黙って帰りましょう。おい、もう帰るぞ」

 俺は二年生を送り帰し、自分も帰途についた。


 唱えるなといえば唱えたくなるのが人間だ。『プラエテル・ボロ・ロンゲ』……頭の中では、その呪文がヘビーローテーションしている。

 帰り道でも、家についても、ソファーにどっかり座っても。

 母さんが何かを話かけてくる。俺は茫然として意識が集中しない。ようやく何を言ってるのかが分かってきた。

「勉強しなさい」

 要はいつものお説教だった。手を腰にまわし片眉をあげ、口を反対側にひねり、怒りを表現する歪み顔でこちらをねめまわす。

「うちは国立大以外はやれないからね」

「勉強しなさい」とセットになって出てくるセリフだ。俺は逃げ出すようにいつもの返答だ。

「まず風呂に入るよ」

 鞄を自分の部屋に置き、着替えを持って風呂場に直行する。あの西日が当たる部室で汗まみれになっていたからだ。

 ザブーン!

 お湯はぬるめだ。しかし夏の暑さからすればちょうどいい。俺はしばし目を閉じる。

(プラエテル・ボロ・ロンゲ)

 この呪文が脳みそに張り付いて勝手に唱えてしまう。俺は頭をかきむしる。

 大学受験の事を考えると、こっちも死にたくなる。

 異世界に逃げた方が楽なんじゃあないか……

 ブルブルと頭を振る。逃避すると最悪死ぬかもしれない。そんな危険を犯してまで逃げたくはない。

 俺は風呂桶から上がり、体を洗い始めた。頭も洗うとシャワーで全身をすすぐ。そしてもう一度風呂桶につかる。

「プラエテル・ボロ・ロンゲかぁ」

 気が緩んでいたのか、ついに言葉を発してしまった!俺はとっさに口をふさぐ。だかもう遅かった。指先からゆっくりと透明になっていく。

「ああーしまったー!」

 俺は恐怖でわなわなと震え身動きがとれない。

 今から異世界に飛ばされるのだろう。後悔しきりだ。

 幸い痛みや苦しみなどはない。ただ恐怖があるのみ。全身が消えていく恐怖が。

 ついに顔まで消えてしまった。意識も薄れていく。どこかいい異世界に到着するようにと願いながら、俺は完全に消えてしまった。

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