夢
赤井夏
夢
朝6時、俺はいつものようにベッドを飛び起き、表へ出てポストを開けた。まただ。中を覗いた俺は心底がっかりした。入っていたのはいつものように新聞に、スーパーマーケットやデリバリーのチラシ。おまけに福音派や、清貧こそ全てとかいう“下界”の人間を中心に蔓延している新興宗教の勧誘ビラだ。まだギャングの勧誘がないだけましか。でも、目当てのものが投函されていなかったからすっかり朝からブルーな気分になってしまった。俺は紙くずをビリビリに破いて宙に放って家に戻った。
「私は全アメリカ国民を愛している。だからこそ外区の皆さんには自立してほしいのです。“エデン”の中には、外区の皆さん全員が住めるだけの区間を用意してあります。あとはあなたが誠実で潔白な人として、エデンへの通行手形を手に入れるだけなのです」
シリアルを箱のままかき込みながらテレビをつけると、大統領のダイスがお馴染みの都合のいい演説をしていた。何が全アメリカ国民を愛しているだ。私含める富裕層を貧困層から守りたい、が正解のくせに。そのいとしのアメリカ国民である俺らは、毎日おたくらの住んでいるビルの日陰で銃に怯えながら暮らしているよ。要塞の中はさぞ白光りしていて眩しいんだろうな。
なんて、去年の俺だったらダイスの愚痴だけで半日は潰せただろう。今は心なしかあいつが愛おしくすら思える。
昨日の朝も昨晩もやったっていうのに、俺はもう一度ノートパソコンを開いてメールボックスを確かめた。
“ケンドリック・ベネット様。この度厳正なる審査の結果、ケンドリック様の世界均衡ビルへの移住を許可いたします。”
間違いない。メールの文頭にははっきりとそう書かれている。
17のとき、俺はきっぱりとギャングの世界から足を洗い、真っ当な人間として生きることを決めた。奨学金でレベルの低い下界の大学に通い、なんとかインターンで雇用を得た。そして節約に節約を重ね、1セントたりとも無駄使いをしない生活を心がけた。おかげで37になった今でも妻はおろか、友達だって1人もいやしない。なぜそんなことをしたかって? 理由は他でもない、あのビルの住人になるためだ。
米国均衡ビル。通称エデン。そのビルの開発は俺の曽祖父の代から始まったらしい。その目的は、なんでも見境なく無秩序に広がっていく平面的な都市構造により生じる土地不足を解消するために、町、いや国の機能をニューヨークを中心にアメリカ全土へ蜘蛛の巣のように張り巡り、高さ1マイルを優に超えるとてつもなく長く高いビル群に閉じ込める。そうすれば都市機能が横から縦に転換して、失われた土地を農地や工業地として有効活用できるだろうという計画だ。
政治家や富裕層にとっては計画は大成功だろうが、ビルの中に住めない貧困層にとってはいい迷惑だ。昼間以外はほとんど日が当たらないし、土地は奪われていくばかりだ。そんな文句に対し、歴代の大統領たちは口々にこう言った。
「真面目に働けばいい。そうすれば誰もがビルに住める」
実際計画の一つに、目の前に魅力的なビル型都市を建てれば、犯罪で生計を立てているような奴らも中に住みたがって更生するだろうという治安改善も含めていたらしいが、ほとんどの貧困層は移住権を手に入れる前に諦めて惨めな生活で一生を終えるか、またイリーガルに手を染めるようになる。だって、移住が許可される最低ラインが犯罪歴が過去10年間に1度もないことに加え、5年間の収入が500万ドルを超えていることが条件だなんて、いくらなんでも厳しすぎる。だからおかげで今の今まで移住権を獲得できなかったというわけだ。
間違えがなければ役所は、今月中に世界均衡ビルへの移住の許可証を送ると言っていた。だからここ10日間ほどそわそわして眠れないくせに、朝一番でポストに駆ける癖がついてしまった。明日こそ、いや今日仕事が終わって家に帰る頃には届いているはずだ。お願いだから今日中には頼むぞ。俺は心の中で神を急かした。
仕事が終わりバスを降りると、俺はまるで見たいテレビ番組がある子供のように全力疾走で家へと帰った。すれ違うときに、同じプロジェクトの下に住むエリーばあさんが怪訝な顔をしていた気がするが、もう関係ない。俺は楽園の住人になるんだからな。
俺は自分のポストに手をかける前に、手を組んで神に祈った。神様、今朝は失礼な真似をしてすみませんでした。私はあの楽園に住んだ後も、決してあなたのことは忘れません。だから、お願いですから入れておいてくださいよ。と心の中で呟き、そっとポストを開いておそるおそる中身を取り出した。
思わず息を飲んだ。ポストにはたった一つ、役所からの封筒だけが投函されていた。俺は震える手で封筒を開いた。
“世界均衡ビル移住許可証。ケンドリック・ベネット”
中にはそう書かれたカードだけが入っていた。間違いない、許可証だ!
俺は今までにないような歓喜の悲鳴をあげ、全身から湧き出る喜びで飛び跳ねた。
「うるさいぞ馬鹿野郎! ヤクでもやって狂ったのか?」
1階に住むジョージのおっさんの怒鳴り声も俺の耳には届かなかった。
その日は一日中勝利と喜びに浸りっぱなしだった。以前の節約生活なんて忘れたかのように奮発したチキンとワインで自分を祝い、ついつい20年ぶりにトゥインキーも買ってしまった。ああ、この味だ。このうんざりするほどの甘さ。あまりの懐かしさに俺は思わず笑いが溢れた。もちろんコールガールも呼んだ(なんやかんやこの一人パーティーの中で一番高い出費になった)
とびきりの美女とお楽しみのあと、ようやく俺は色々な興奮が冷め、ベッドに横になったが、体の震えはおさまらなかった。
そして頭の中でも、実際に声に出してでもこう言った。
「やった! おれは夢を掴んだんだ!」
移住許可証が送られたわずか数日後。仕事を辞め、プロジェクトの部屋も引き払う手続きをした俺は、ついに第二の人生を歩むため、世界均衡ビルへと向かうためにバスに乗っていた。
ビルの中ですることはもう決まっていた。移住先での仕事とかのことを言っているわけではない。俺はビルの外に住む人々の支援をするつもりだ。ゲットーには、まともな仕事を見つける暇がないくらい貧しい人たちがたくさんいる。彼らはフードクーポンに頼るしかなかったり、その日暮らしの収入しか得ることができない。そんな人が年収500万? どう考えても無理だろう。だからできる限りの人々に、仕事を見つける間の生活費だけでも与えてやりたいし、まだ住んでもいないのに、エデンの生活がいかに素晴らしいかってことを、ゲットーで公演会でも開いて伝えたいとも思っている。こういった支援や活動が移住の直接的な要因にはならないだろうが、きっかけとしては十分なはずだ。
バスが止まった。あと4つバス停をまたげば目的地だ。また昨日と同じように喜びと期待で体が震え始めた。
乗ってきた客はいかにもなガラの悪い若者。ジーンズの後ろポケットには黄色いバンダナを垂らしている。まぁ当然ギャングだろう。いやにキョロキョロと周りを見回し警戒している。
先にバスに乗っていた同じような若者二人組が、その様子を見ながら二人がけの座席で何やら耳打ちをし、降車の紐を引いた。座席の外側に座っていた若者が先に立ち上がり、バスの前の方へ行くと、後部座席へ体を向け、両手をポケットに突っ込んだ。その表情はやけに緊張しているし、まばたきの回数も多い。何だか嫌な予感がする。
バスが止まると、先に立ち上がった男が、後部座席の男に何やら顎で合図を送った。男はそれを見て頷き、ゆっくりと立ち上がった。俺は男の後ろ姿を見て驚いた。何故ならジーンズの尻ポケットには白いバンダナを垂らしていたからだ。なんてこった。黄色がチームカラーのギャングと敵対しているグループじゃないか!
間違いなくこれからいざこざが起こると確信した俺は、慌てて立ち上がり、とっととバスを降りようと思った。だがそのとき、後部座席の男がジャケットを開き、ベルトに携えていたハンドガンを握ったのを見た。
「危ない!」
俺は思わず叫んだ。
バスの乗客がびくりと体を竦ませた。ギャングのメンバーたちも同じように驚きのけぞった。すると、黄色のギャングが何やら罵声を吐き捨て、慣れた手つきで懐の銃を引き抜き、それを俺に向けた。
ちょっと待ってくれ! 違うんだ!
そう言おうとした前に、何やら左胸に熱さを感じた。そしてその直後にけたたましい銃声が一発、二発、三発と続けざまに鳴った。あっという間の出来事だった。俺は急に体に力が入らなくなって膝から崩れ落ち、地面へ倒れ込んだ。
乗客の悲鳴が鳴り止まない中、ふと左胸を手のひらで覆ってみると、べっとりとした大量の血がこびりつき、白いシャツはみるみるうちに真っ赤な血で染まっていった。ああ、俺は撃たれたんだ。
あと少し、あと少しだったのに。あと少しで俺の人生はバラ色になるはずだったのに。ちっぽけな銃弾一つにそれを狂わされてしまった。頼む、夢であってくれ。俺はいつもみたいに6時に起きて、ポストを確認する。そうしたら移住許可証が入ってあって、また大喜びするんだ。で、また今日みたいにバスに乗ってエデンに向かう。でも、バスは1つ、いや念のために3つ見送る。すると、何の滞りもなくバスはビルに到着して俺の人生が始まるはずなんだ。これは夢なんでしょう? だから俺を早く目覚めさせてください。お願いです。神に祈りながらも俺の意識は次第に遠のいていった。
目覚まし時計が鳴っている。俺は不機嫌に時計のスイッチをぶっ叩いた。そしてノロノロとベッドから這い出て、大きく伸びをしながらあくびをし、与えられた部屋に一つだけある小さな窓からの景色を望んだ。まぁ案の定いつもと変わらない。おなじみの果てしなく続く荒廃した砂漠の風景だ。ごく稀にメキシコやカナダの移動国家とすれ違うくらいだ。第一、学校でもスクリーンでも「地球は第3次世界大戦による影響でほとんどが砂漠と化し、一度外の世界に出れば、たちまち全身の細胞が死に絶えてしまうほど大気は汚れました。我々は自らの手により住む場所を失ったのです」と言っているというのに、その愚かな行いによる負の遺産を窓で見せつけるなんて。全く、何の嫌がらせかと思うぜ。
そんな愚痴を心の中でぶつぶつ呟きながら、俺はコンピューターを起動した。すると、1件の新着メールの通知があった。俺は眠たい目を擦ってメールボックスを開いた。
“カーティス・F-153・デルタさん。貴殿から申請があった転職許可申請 A.A. 276年4月7日付け 申請番号276040702701300KLNHにつきましては、私的な事情による転職は許可できませんので不許可といたします”
ふざけんな! 俺は思わず叫んだ。これ以上肉畑で働いていたら気が狂っちまう。何度俺は労働者管理センターで、無愛想な担当者にそう言ったことか。だって毎日毎日、カプセルに陳列された大量の脳死した豚や鶏を捌いたりミンチにしたりするんだぞ? 17の青少年の俺にそんな仕事をさせるなんて、精神に悪影響を及ぼしたらどうするっていうんだ! それに、まるで砂漠の中を永遠に走り続けるキャタピラ車の中で、何の代わり映えもない味気ない生活を送る俺らのメタファーみたいで恐ろしくなるときがある。
まぁいい、今日という今日こそは仮病で仕事を休んでやる。食料カットなんて知るもんか。俺は元々少食だから構わない。俺はベッドに横になった。しかし、昨日だか今日だか、変な夢を見たような気がする。だが内容は全く思い出せない。まぁ夢なんてそんなもんか。
夢 赤井夏 @bluenblue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます