カメオな日々

いぐあな

朧月夜

あや、見て見て、窓の所……」

 休日の昼下がり。喉が渇いたので何か飲もう……と思って台所に入ったら、買い物袋の中身を片付けていた、お母さんが楽しそうに声を掛けてきた。

「何よ~」

 面倒臭いなぁと思いつつ、お母さんの指差す先を見ると……カメオが窓の側で晴れた春の青空をじっと見上げていた。

「すごい……空の色になってる……」

「でしょ。で、よく見ると背中に雲が流れるのよ。うまいもんね~」

 カメオのつぶらな瞳が右から左へと動く。空色に染まった背中を白い雲が、もこもこと形を変えながら、体の右側から左後ろ足の方へとゆっくりと流れていった。



 カメオはうちのペット、手乗りカメレオンだ。

 手の平サイズの小さなカメレオンで、何故か仕事帰りのお父さんの背広の背中にくっついて我が家にやってきた。

 カメレオンのくせに「キュイ、キュイ」と鳴くし、人間と同じものを何でも食べるし……何か全く違う生き物のような気もするけど

『可愛いから良いんじゃない』

 のんきなお母さんの一言で家で飼う事になった。

 まあ、本当に可愛いから、私もお父さんも異論はなかったけど。

 カメオは他にも変わった特技がある。見たもの、特にカメオが『好きだ』と感じたものにそっくりに色を変えることが出来るのだ。

 キュウリにあわせて綺麗な緑色、ナスにあわせて濃い紫色、テーブルに飾ったお花にあわせてピンクに染まったりもする。

 そのモノに合わせて、ちっちゃな手足やくるりと丸まった尻尾の形まで変えるので、時々台所にカメオがいるときは気を付けなくてはならない。

 苺になりきっていて、お父さんに齧りつかれかけたのは昨日の事だ。

『そんなことしてたら、いつか食べられちゃうよ!』

 注意はしているのだが、どうも好きなものになりきって、好きなものといっしょにいるのが大好きらしい。

 だから特にお母さんは、いつもカメオサイズの野菜や果物を切るときは細心の注意を払っている。

 それでも週に一回は『きゃあ~!! カメオ~!!』とお母さんの悲鳴が台所から上がるのは、我が家の『いつもの事』だった。



 春の今日の夕食は竹の子づくしだった。お昼の旅番組を見て、お母さんが食べたくなったらしい。

 竹の子ご飯に竹の子の酢味噌和え、若竹煮にお吸い物に竹の子の天ぷら。

 カメオの前にも小さなお皿に、竹の子ご飯が乗っている。

 カメオはふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎながら、小さな口を動かしておいしそうに竹の子ご飯を食べていた。

「……カメオ、どうしたんだ」

 お吸い物を一口飲んでお父さんがカメオを指す。

 カメオはさっきから目を閉じて、ご飯を食べていた。

「う~ん、どうもお昼に青い空の色に身体が変わったのが気に入ってるらしくって、夕方になって空が赤くなってからは目を閉じちゃってるんだ」

 私の説明にお父さんが「そうか……」と頷く。

 カメオは好きなモノを見ると無意識に体の色が変わってしまうらしい。昼間の空があんまり綺麗だったので、その空の色に染まった自分の身体を変えたくないのだろう。

 カメオの背中の空には、もう形が変わらない白い雲がぽっかりと浮かんでいる。

 匂いを嗅ぎながら、最後に残った竹の子の欠片を食べたカメオは薄く目を開けて、お皿が空っぽになったのを確認すると、また目を閉じた。



 すっかり空が真っ暗になり、柔らかな春の夜がやってくる。

 お父さんはカメオを手の平に載せて、庭に出た。私もサンダルをつっかけて後を追う。

 小さな……猫の額っていうんだろうな……庭には庭いじりが趣味のお父さんの植えた クロッカスがリビングの光に薄い紫色の花を浮かばせている。

 ラッパ水仙やヒヤシンスも調度満開。夜の風の中をお隣の玄関先からだろうか沈丁花の澄んだ匂いが漂っていた。

 まだ風は冷たい。ゆっくりと狭い庭を歩くとお父さんは、手の上のカメオに話し掛けた。

「ほら、カメオ、見てご覧。今日は朧月夜だ」

 東の空にぽっかりと浮かぶ満月は、ぼんやりと霞が掛ったように光っている。

「素敵な空を大切にしたい気持ちは解かるけどな……そうやって、ずっと目を閉じていたら、 もっと素敵なモノを見過ごしてしまうかもしれんぞ」

 お父さんの言葉にカメオが薄目を開ける。

「それに明日はもっともっと綺麗な青空に会えるかもしれないしな」

 カメオが目を開けた。つぶらな瞳で真っ黒な空と白い朧がかった月を眺める。

 ゆっくりとカメオの体の色が黒……春の夜の色に変わった。

「その色も綺麗だね。カメオ」

 私が褒めてあげるとカメオが嬉しそうに「キュイ」と鳴く。

「あれ?」

 お父さんが楽しそうに笑った。

「どうしたの?」

 夕飯の片付けを終えたお母さんが庭に下りてくる。

「見て、お母さん。カメオの背中……」

「あら……」

 カメオの背中にはちっちゃな朧月が浮かんでいた。

「可愛いお月様ね~」

 思わず、笑い合う。

 春の夜の空の朧月夜とカメオが『綺麗、大好き』と感じた小さな小さな朧月夜。

 私達三人は狭い庭で、春の二つの朧月夜のお月見をのんびり楽しんだ。

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