第94話『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』 最後の微笑み
実はもう一つだけ書きたい映画があります。
この冬はロックダウンもあり、家で映画を見ることも多かったのですが、その中で長年息子達が大きくなったら絶対に見せたい、と思っていたのが、この『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』をやっと見ることができました。
12月のクリスマスの前後、4本立て続けに家族で映画を見ていたのですが、最後に見たのがこの映画だったのです。
見始めたのがそもそも夜の10時半くらいだったので、見終わったのは約4時間後の2時半でした。私達が見たのは完全版だったので、実に3時間49分、主人と長男と次男と私と4人でこの映画を見ていました。
大変有名な映画なので、皆さんもご存知かと思いますが、マフィアも出てくるハ-ドボイルド系でもあり、結構大人の映画という感じでレイプシーンまであります。
せめて三男が見ていなかった(本人は見たくないと部屋へ行ってしまったため)のは良かったです。
どうしても一度は息子達の見せたくて「みんなで見よう」と言い始めたのは私ですが、息子達と見るには正直ところどころきつい場面もありました。ですが長男は22歳、次男は19歳、しかもドイツで育っているので、感覚的にも母親と結構きわどい映画でももういい加減大丈夫なのではないか、と私も知らん顔をして最後まで一緒に見ていました。
見終わった感想は長男次男ともに「見てよかった、良い映画だった」ということで、
「あぁ、やっと少しは大人になってきたのかな」と感慨深かったです。
14歳の、子供みたいな三男がこの映画を見てもそのように感じるかどうか…多分無理だと思うのです。
例え暴力シーンがあっても、実はこの映画は本当には大変ロマンチックな映画でもあります。
でも14歳の子供だとその哀愁までには気が付けないような気がするのです。
全編に流れるエンニオ・モリコーネ作の「メイン・テーマ」はもちろん「少年時代の思い出」や「デボラのテーマ」、そして古典でもある「アマポーラ」を聞くだけで涙が出そうになるのは、例えひどいレイプシーンがあっても、残虐なリンチの場面があっても、それでもこれらの音楽を聞くと一瞬にして、それ以上に美しいシーンの数々が思い出されるからです。
イタリア人のセルジオ・レオーネ監督の世界観の中で、ロバート・デ・ニーロという名優が、この映画を信じられない程ロマンチックなものに仕上げているのは圧巻です。
ニューヨークのユダヤ人のゲットーで育った4人の少年たちと美しい少女デボラ、禁酒法を利用して一緒にギャングになりのし上がったはずが、いつからか仲間内から不協和音が生まれ始め…そこへ女優を目指すデボラへの苦しい愛の物語がからみ、思いもしない結末となります。
この映画も結末を言うことはできません。
最後まで見ていただかなければこの映画の良さはおわかりいただけないことでしょう。
ですが、それをわかっていても、今回どうしてもこの映画で書きたかったことがありまして、なので最後までまだ見たことがない方はどうか、ここから読まないでいただきたいのですが、今回は最後の最後の阿片窟で微笑むロバート・デ・ニーロが、なぜこの場面で笑うのか考察させてください。
こちらの映画は過去と現在が行ったりきたりするので、この最後の微笑みの場面は実は一番最初の場面あたりにつながり、話の時系列的にはちょうど真ん中辺りで起こった出来事のようです。
仲間は全員死に、自分も警察に追われ、そんな中で阿片窟に身を隠し、アヘンを吸い、ロバート・デ・ニーロ演じるヌードルスが満面の笑みを浮かべるという最後で映画は終わるのですが、これは不思議な場面となっています。
この映画を見た後、色々な考察を読みました。うちの家族とも話しました。
それでもどうも納得がいかず、私なりに考えて考えてやっと最終的にひとつ気がついたのです。
これは多分それぞれ見る側の心の中にあるものを、解釈とすれば良いのではないか、思いついたのです。
考察は本当に皆それぞれ違うので、ネット上にはびっくりするような説も出ています。これは皆さんもご興味があれば探してみると面白いかもしれませんが、例えば実際に監督が「そうである」と言ったらしい説などは、私には全く受け入れられないものでした。
それでみんな、それぞれ違う自分なりの説がある、ということを前提に私の説も書かせていただきます。
最後の微笑みは、彼はあの悲しみの中でふと一瞬子供時代のみんなで楽しく笑い転げた際の何かを思い出したのではないかということでした。
人間というのはどんな辛い時も、悲しみや絶望の中でさえも笑えることができますよね。どんなに悲しくても、一瞬であれば笑えることはあります。
ましてや彼はその時アヘンを吸っていたわけですから、思い出したというよりは、その30分や1時間という間、心が全く少年時代に帰ってしまい、昔のままに仲間達と遊んでいたのではないでしょうか、そう夢の中で。
彼らは大人になってからの仲間ではありませんでした、
子供時代から一緒の時(とき)を過ごし、ギャングとして成り上がっていったわけですが、その仲間が自分のせいで無残にも警察に殺されてしまい、その結果を考え喜んで笑みがこぼれたというような考察は私には納得できませんでした。
例えそこにものすごい大金がからんでいたとしても、もしお金を思いあのように笑える冷血漢だとしたら、子供時代に自分の仲間が殺された時に、あれほど逆上してその相手をめちゃくちゃに刺したりするものでしょうか。
私にはヌードルスはもう少しデリケ-ト(神経質くらい)な感情のある人だったと思えてならないのです。
ですが、最初に言いましたように、これはあくまで私のこの映画の考察で、実際はどうなのかは誰にもわかりません。
そして誰も「多分こうなのでは」と考察するしかなく、そしてそれこそがこの映画を名作としている気がしてなりません。
「このヌードルスの笑みの理由は見ている人それぞれの心のなかにある」
-それが一番正しい答えに違いないという考えにたどり着き、私自身は他の方達の考察を読みあさるのを止めました。
間違っていたらすみません、本当のことをご存じの方がいたら是非お教えいただけますと有り難いです。
見たことがない方は是非、一度御覧ください。
4時間という長さを感じさせない、映画史上最高傑作映画のひとつであるに違いありません。
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