終焉の戦端


 ――その戦場は、まさに『終末』という言葉に相応し過ぎる様相を呈していました。

 円形に切り取られた地盤。黒い岩肌に脈状に走る亀裂。そこから姿を覗かせているのは、沸々と煮えたぎる紅蓮の溶岩。

 真っ黒な空は、見るもの全てに底無しの深淵を想わせました。赤と黒のコントラストは、見る者に恐怖と絶望を与える煉獄の如き色彩を放っています。

「——————————」

「——次、〝頭割り〟来るぞー! メインタンクは一度後退だ! サブタンクとスイッチして!」


 そんな殺伐とした世界で対峙しているのは、特撮映画の大怪獣を彷彿とさせる巨体を誇る魔物と、その周囲を取り囲む大勢の人々でした。

 破鐘の咆哮に負けじと声を張り、号令を出すのは全身金属鎧フルプレートアーマーの重騎士

 肺腑から捻り出した声はとても豪快ですが、その声音からは彼女が女性であることが分かります。

 頭目の指揮に応えるように、魔物の周囲を取り巻く重装兵の集団は一度退いて、別の前と後ろの二層構造に構えていた別の重装兵達が、入れ替わるように前に出ます。

 前に出た重装兵の集団が魔物の一撃を盾で受け止めると同時——、


「「「——【エクス・ヒール!】」」」


 負傷し、戦線を退いた重装兵達を薄緑色の優しい光が包みます。

 回復魔法を受け、感慨に耽る間もなく世界の中心に極太の光の柱が昇りました。

 極大の攻撃に包まれた複数人の兵士達は全て瀕死でしたが、幸いにも犠牲者は誰も居ませんでした。

 ――『頭割り』。

 一度に受けるダメージの数値が予め決まっている特殊な攻撃を指す言葉で、攻撃の実数値を被弾したプレイヤーの人数で割った数値が各プレイヤーが受けるダメージになります。

 つまり、〝沢山の人数で受ければダメージを緩和できる仕掛け〟ということです。

 

『魔神アスモデウス討滅戦、超弩チャレンジ級』


 エンドコンテンツの最終関門として実装され、数々とプレイヤー達を〝無理ゲー〟と言わしめた『魔神アスモデウス討滅戦』の難易度を飛躍的に上昇させた、ありていに言ってしまえば〝超無理ゲー〟です。

 一度退き全快した女戦士――、万人に登る全プレイヤーの中でも頂点に君臨する最強の壁役タンク

 〝紅蓮の騎士エキドナ〟。

 戦場の趨勢を的確に見極め、圧倒的な実績に見合ったカリスマを持ち合わせた鶴の一声が、広大な戦場の隅まで響きます。


「ヒーラー! デバフの解除は遊撃手アタッカーと〈VIT〉の低い盾役タンクから頼む! 九時方向、モブがポップするぞー! 左翼支援厚めに!」 


 指示を飛ばしながらも、黒き魔神——、炎を司る悪魔の王——、アスモデウスの苛烈な攻撃をいなし続け、針の穴を通すような精密な攻撃を繰り返します。

 苛烈な戦いも既に開幕から既に三十分が経過し、満身創痍のプレイヤー側に対して、魔神のHPゲージはようやく残り半分といったところに差し掛かりました。

 巨体の頭上に表示されたHPバーの色が緑から黄色に変わると同時、


「——————————」


 虚無を覗く、魔神の双眸が裂くようにして見開かれ、朱色に染まる結膜があらわになりました。

 破鐘の咆哮に呼応するように、フィールドの中心に存在するアスモデウスを軸に、黒い炎が渦巻きます。

 フィールド全域に発生し、竜巻のように押し寄せる、極炎の波涛。

 感知外から不意をつくような攻撃によって、盾役、攻撃役、回復役の概念は崩壊し、無差別に蹂躙されます。

 暴虐の黒炎になぶられ、無数に表示されていたHPバーの大半が消失しました。

 それはまさに、初見殺しヽヽヽヽ

 そして、その場に居るプレイヤーは全て初見。

 初めて見る行動パターンに対応出来ず、多くのプレイヤーが戦闘不能に陥りました。

 刹那の間に、文字通りの地獄と化し、死屍累々が転がる地に立っていたのは、


「あっははははっ! 馬鹿かよ! 馬鹿かよ運営! 馬鹿過ぎんだろー!」

「……なんで生きているんだお前は」


 たった、二人のプレイヤー。

 阿鼻叫喚の地獄絵図の中で、一人腹を抱えて狂ったように笑う、ボロボロになったエキドナと——、

 そんな紅蓮の騎士とは対照的な不自然なまでに傷のひとつさえ付いていない男でした。

 逆立てられた青い短髪と、左目に縦一閃に刻まれた古傷。

 頑丈さよりも、敏捷性に重きを置いた袴のような装い。

 冷たく怜悧な眼差し。獲物は身の丈ほどある大太刀。

 負傷の状態だけではなく、外見や纏う雰囲気も含め、豪放磊落としたエキドナとは全てが対照的な剣士でした。

〝青藍の剣士、ルーク〟

 それが彼の通り名と、プレイヤーネームです。


「あー、おっかし……ひぃ……。ふぅ……はぁ。——てか、待て待て。冷静に考えて盾役の私がギリちょんなのに、無傷ノーダメ遊撃手アタッカーの方がおかしくね?」


 エキドナの言い分はもっともでした。

 実際、やられてしまった二人以外の仲間も例外なく歴戦の猛者であり、高水準の装備、キャラクタースペックを誇るプレイヤー達です。

 彼らが皆、一様に蒸発――、一撃の元に沈んでいる傍らで、万全の状態で立っている青藍の剣士は異常と形容する他ありません。


「避けたから無傷なのは普通だ。……アレくらって生きてる方が異常。お前はなんだ? ゴリラなの?」


 憮然と言い張り、エキドナの方が異常だと怜悧な双眸をじっとりと眇めて指摘するルークです。

 ルークの言い分はもっともでした。

 アスモデウスが放った強力無比な攻撃は鎧袖一触、まさに必殺の一撃でした。

 攻撃を避けた直後、ルークが最初に思ったことは〝これ当たってたら死んでたなぁ〟でした。

 次に思ったことは、〝もしまだ生きてるやつが居たら、自分と同じように攻撃をなんとか避けたんだろうな〟でした。

 それがどうでしょう。

 ボロボロになりならがらも、辛うじて生きていた紅蓮の騎士は、どう見ても真っ向から被弾し、見事に受け切っているではありませんか。

 ゴリラというより、ゴジラかな。

 ルークは心の中で謝罪しました。ゴリラに。


「いやいやいや、避けられる攻撃じゃなかったって」


 人をゴリラ扱いしてくる失礼な男に、エキドナは尚も反駁を試みます。


「インビジ撃っただけだが」

「反射神経おかしいって」

「決め打ちだ」

「そもそもだな、この難易度のコンテンツでアタッカーがインビジ残して無傷で立ち回れてるのがおかしい!」


 執拗に食い下がってくる女騎士に、ルークは辟易混じりに息を吐きます。

 ちなみに〝インビジ〟とは【インビジブル】、ほんの一瞬だけ無敵になれる一回きりのスキルで、〝決め打ち〟とは、あらかじめタイミングを決めておいて、状況の変化に囚われず一定の行動を確実に取ること。

 ルークはアスモデウスのHPが一定ラインを切る毎に、視認してからでは回避が間に合わない何らかの攻撃を行ってくることを予期し、【インビジブル】を使用したのです。


「……何度でも言うが、受け切れてるお前が一番化け物だ・・・・・・・・・・・・・・。この、レイドボスめ」

「はぁ、私にゃ過分な褒め言葉だが……、キャラ性能を誇示するのは嫌いだなぁ……」


 二人の化け物の不毛な口論がようやく収束した頃、終始静寂に包まれていたフィールドに、絶望を体現したかのようなBGMが流れ始めました。

 そして、攻撃の余波が漂う戦場で息を潜め静止していたアスモデウスが再稼働し、赤い双眸が眼前の二人に向けられました。


「第二形態ってところか。前座で鯖内トップクラスのレイドパーティーを壊滅させやがって」

「それで、総勢六十四名の大規模パーティーの内、壁役十五人、遊撃三十一人が戦闘不能。回復役に至っては全滅。残りは俺たちだけだが、どうする? 大人しくリスタートするか? さすがに勝ち目なさそうだけど」

「え、それ、聞いちゃう?」

「いいから答えろ」


 青藍の剣士の問いかけに、紅蓮の騎士は快活な顔に獰猛な笑みを浮かべて、


「——こんな最高にアガる状況で、降参なんて死んでも御免だね」


 ばしん、と拳と手のひらを合わせました。


「……言うと思った。みんなはどうなんだ? それでいいか?」


 誰にともなくルークが問いかけると、


『全然大丈夫です』『むしろ見たい』『いっそ二人で倒してくれ』『お前らならワンチャン』『いけいけ』『やったれや』『二人に勝てるわけないだろお⁉』『どうせここまで来たなら後学の為にもなりますし』『紅蓮の騎士と青藍の剣士の力、見せてください!』『マンメラの頭二人の力は伊達じゃない』『そこに最強の盾と最強の矛があるじゃろ?』『アスモデウス涙目』『天国からパワー送るぞーw』『おいおい』『死ぬわアイツ』『ほう、六十二人抜きレイドですか…』


 二人の視界に、続々とチャットが流れます。

 既に死亡し、光の粒子となってフィールドから去った、仲間たちの声です。

 通常、こういった〝続行しても勝機が皆無な状況〟に陥った場合、クリアを目指す為の時間短縮に努め、諦めて最初からやり直すのが定石ですが、もう一度、アスモデウスのHPを半分まで削れる保証はありません。

 それに、例外なく皆が同じことを思っています。

 実力が突出した二人、エキドナとルークの戦いをじっくりと観たい——!

 羨望と期待が込められた仲間の声に、二人は思わず笑みをこぼしました。


「らしいよ。そうだな……、勝利条件は二人であと10%削ること。それくらいが無難だろう」

「なんか志が低い。でも、いいね。乗った。——別にあれを倒しちまっても構わねぇんだよな?」

「はいはい。死亡フラグ乙」


 ルークが呆れたように言ったと同時、邪悪な咆哮と共に、アスモデウスが終末の世界に二人きりの騎士と剣士に迫ります。


「そーら、モノホンのレイドボス様がお怒りだぜ!」

「ヒーラーが居ないから一発も喰らえないな。どうする?」

「かわせばいい!」

「脳筋乙」

「私の傍から離れるなよ!」

「いや、離れるけど」

「なんで!?」

「範囲ダメージ。食らいたくない」

「たしかに!」


 ——かくして、終焉の戦端、その二度目の火蓋が切って落とされたのです。


 それから、どれほどの時間が流れた頃でしょうか。

 悠久とも思える程、熾烈を極めた激戦は時間にすれば二時間程。

 今日という日を迎えるまで二割と削れることのなかったアスモデウスのHPは、端から端まで真っ黒に染まっていて——、つまりは|全損していて——。

「——」「——」

 煉獄色のフィールドに並び立つのは、地に崩れ粒子となって消えていく大悪魔の傍ら、満身創痍のプレイヤーがたった二人きり。

 エンドコンテンツの終焉は、僅か二名の戦士の手によって――。


 











 

 


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