翻訳の機微

ジム・ツカゴシ

翻訳の機微

 日米の言語の違いにはそもそもの物の考え方が異なるために文字通りでは過ちを犯すことが少なくない。

 卑近な例では、

 「あなたは日本語を話すことができますか?」の英訳は、「Can you speak Japanese?」ではなく、「Do you speak Japanese?」がある。

 日本では外国語を話すことはその人の能力の程度次第という考えが根底にあるが、英語の感覚では、その人の能力ではなく、外国語を使う意志の有無を問うことになるからだ。

 相手が小さな子供であれば能力を問う前者の問いも存在し得るが、オトナに向って前者を放つと違和感を抱く米英人が出ても不思議でない。


 他の例ではよく知られた「スープを飲む」がある。この英訳は「I drink soup」ではなく「I eat soup」で、これはスープの類は飲み下すものではなく味を噛み締めるものだからだろう。逆に、喉を通過した際の微妙な食感を大切にする日本人の感覚は、「味噌汁を食べる」では伝わらないことになる。


 「あなたのオフィスにお邪魔します」は「I will go to your office」ではなく、「I will come to your office」。これもそのままの日本語訳ではどこか落ち着かない。もっとも、「貴殿の事務所に参上する」という表現が日本には存在するが。


 「君を愛している、結婚したいほど愛している」は「I love you very much」では伝わらない。これは「I am in love with you」だ。

 逆にこれを相手に放つ際には、婚約指輪を購入するほどの覚悟が必要だ。間違ってしまうと、単なる好意を抱く程度の相手なのに、指輪を買わねばならない事態を招くことになる。


 「再会を期待している」は「I expect to see you again」では、教科書からそのまま出てきた外交辞令と受取られても不思議ではない。

 「きっとまた逢えるわよね」と語り手の強い意志と願望を込めるなら、「I will be seeing you」となる。こんな簡単な表現で「きっと」のニュアンスを伝えることができるのだ。


 下に引用したのは、ある米国製映画で遭遇した結婚式で花嫁が花婿に向って乾杯の音頭に使った台詞である。

 なかなか洒落ていて、ユーモアタップリの結婚式での挨拶に転用できそうだが、邦訳でその機微が伝わるか?

Bride:  May you never steal, lie, or cheat, but if you must steal, then steal away my sorrows, and if you must lie, lie with me all nights of my life, and if you must cheat, then please cheat death because I couldn’t live a day without you.  Cheers !


 周知の通り、日米戦争に際しては米国が日本の外交電報をすべて傍受し解読していた。米国が傍受していることを戦前のナチス・ドイツが察知したことがあった。それは、日本外務省による機密電の内容を伝える米国からの機密電に触れた英国の機密電をナチス・ドイツが傍受したからだった。ドイツは直後に大島駐独大使に警告し、大島大使もそれを本省に伝えた。が、どうしたことか外務省は少々の手直し程度で済ませてしまった。各国が傍受で敵国の機密を探っている最中に日本だけが丸裸だったことになる。

 戦後に公表された米国の資料は、米国による解読の精度が高かったことを示している。それでも日本語独特の表現に米国が翻弄された例も散見される。

 その一例が、真珠湾攻撃直前に日本が打電した「日米関係は危殆に瀕して」の表現だ。米国は「日米関係は期待に反して」と解読している。

 「危殆」を「期待」と誤訳した例で、外務省が「日米関係は危機に瀕して」と表現すれば米側も誤訳を避け得たのであろうが、危殆と危機では微妙にニュアンスが異なる。

 このニュアンスを異語間でどのように伝えるべきか? 読み手の判断が翻訳に依存せざるを得ない場合には、細心の注意が必要であることの警鐘にもなっている。


 寺田寅彦の随筆に芭蕉の俳句を英訳したものを更に邦訳したものがある。西洋が俳句をどのように解しているかが分かる右の教訓の良い例であろう。

 英訳したのは明治21年(1888年)に来日し、関西学院などで教えたサミュエル・ヘイマン・ウェーンライトとされている。漢字も解し漢詩も作った学者で、和歌や俳句の美を西欧に紹介した人物だった。


 さて、そのウェーンライトが英訳したものを、寅彦が俳句の英訳の再翻訳というひとつの実験と呼び、なるべく英語に忠実に翻訳したと注釈付きの句がふたつある。


「いかに速く動くよ、六月の雨は、寄せ集められて、最上川に」

「大波は巻きつつ寄せる、そうして銀河は、佐渡島へ横切って延び拡がる」


 芭蕉の原句は広く知られた、


「五月雨を集めて早し最上川」

「荒海や佐渡によこたふ天河」


 ウェーンライトの名英訳はその場面の様子を伝えるものではあるものの、はたして芭蕉の心が読者に響いたことだろうか?

 これは逆も真で、邦訳された西欧の名詞とされるものがどれほどの感銘をもたらすのか?


 以下は亀井俊介・川本皓嗣編岩波文庫「アメリカ名詩選」に掲載されている米国国歌「The Star-Spangled Banner」の翻訳である。


ああ、君に見えるか、夜明けの明かりで、

ゆうべ闇にとざされる前にわれらの誇りに歓呼したものが?

激戦の間中、幅広い条と輝く星をたたえて、

われらの見つめる要塞に堂々とひるがえっていたものが!

照明弾が赤く燃え、砲弾が空中に炸裂して、

一晩中、われらの旗のまだそこに立つことを証明していた。

ああ、その星ちりばめた旗はまだはためいているか、

自由なる者の国土に、勇敢な者の祖国に?


おごり高ぶった敵の大軍がいま静まり返って休む海の

霧の向こうにぼんやりと見える岸の上、

そのけわしい崖の上に、そよ風が気まぐれに吹くのに合わせ、

なかば見えたり隠れたりしているものは何か?

いまそれは朝の日の最初の光をうけとめ、

さんぜんと映え大気の流れに乗って輝く。

それは星ちりばめた旗! ああ永遠にはためいていよ、

自由なる者の国土に、勇敢な者の祖国に!


 原語は次のようになっている。


O say, can you see, by the dawn’s early light.

What so proudly we hailed at the twilight’s last gleaming?

Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight,

O'er the ramparts we watched were so gallantly streaming!

And the rockets' red glare, the bombs bursting in air,

Gave proof through the night that our flag was still there:

O say, does that star-spangled banner yet wave

O'er the land of the free and the home of the brave?


On the shore, dimly seen through the mists of the deep,

Where the foe’s haughty host in dread silence reposes,

What is that which the breeze, o’er the towering steep,

As it fitfully blows, half conceals, half discloses?

Now it catches the gleam of the morning’s first beam,

In full glory reflected now shines on the stream.

'Tis the star-spangled banner! O long may it wave

O'er the land of the free and the home of the brave!


 1812年に勃発した米英戦争の末期だった1814年のある日、弁護士のフランシス・スコット・キーが英軍の捕虜になった知人の釈放交渉にボルティモア港に停泊中の英艦を訪問。その前夜から英海軍の激しい艦砲射撃に晒されながらも港の米軍砦に翻る星条旗に感じてその場で作詞し、当時ロンドンの酒席で流行っていた曲を借用した即興であった。しかし、その日の夕刻には米軍の間に広まったほどの感激をもたらしたとされている。

 このようにして生まれたこの歌詞は国歌としては血生臭いと一時は問題にされ、米国国歌に制定されたのは1931年であった(ちなみに最後まで残った他の候補は第二の国歌として知られるオー、ビューティフルで始まる「America The Beautiful」だった)。米国は建国後一世紀半の間国歌を持たない国だったことになる。

 この戦場を背景にした国歌を老若男女が日頃の式典やスポーツの開会式、オリンピックの表彰式で口にする国民感情が邦訳によって伝わるであろうか?


 

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