小説といふ生き物について


どうも、熱しやすく冷めやすいが座右の銘の店主・尾岡です。

今回も、拙作エッセイにお立ち寄り頂き、ありがとうございました。

僕自身のアウトプットを兼ねているので、そこらへんを含めて身勝手なエッセイではありますが、お付き合い頂けたら幸いでございます。


さて、今回のテーマは「小説」です。

英語ではNovelですが。

なんで小説という日本語をあてたんでしょうか。少し不思議ではあるのですが。


一口に僕たちは「小説を書きたい」とか「このライトノベルがいいね」という話しになりますが、そもそも僕らを虜にしてくれやがる【小説】という生き物はなんなんでしょうか。ナニモノなんでしょうか、と尾岡なりに突き詰めてみようというのが、今回の繁忙録でございます。どうぞよろしくお願いします。


そもそも小説の定義って、なんなんでしょうか?

これも調べたらキリがないのですが、

【コトバンク】で調べてみました。



以下引用

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説



散文で書かれた虚構の物語。ある程度以上の長さと複雑さをそなえ,想像力を用いて,ある特定の状況下で一群の人間がかかわる一連の出来事を通じて,人間の経験が描かれたもの。


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引用終了。そして以下、尾岡が気になるワードをピックアップしてみました。





【散文的】で

【虚構――フィクション】

であること。

【想像力】

を刺激して

【一群の人間が】

群像劇として関わることで

【人間の経験】が活きてくる。


尾岡は、これが小説を構築するうえでの最低限の要素なんだろうなぁ、と思います。

ちょっと掘り下げさせてくださいね。




【散文的】

韻律、句法に制限がない文章。つまり表現においてはフリーダムなのですよね。

小説作法とか、それこそ検索したらいくらでもあるのですが、

まずは想いのままに書くことが大事ではないかなぁと個人的には思っています。


【虚構】

現実には起こりえない物語を紡ぐこと。

フィクションであること。これはつまり、現実に囚われないこと、自分自身の世界の正解を提示すること。虚構の世界であるという前提ながら、それが破綻しないこと。

ディズニーランドを始めとしたアミューズメントパークは、言ってみたらフィクション前提の世界です。現実に可能な限りのテクノロジーを尽くして、装飾し、その世界に来場者を没入させたり、体験を提供する。

でも、これは現実ではない。お金を出すことで、虚構の世界と、その時間を買うわけです。

フィクションであること。

小説において、それは作者が、丸裸でその世界を提供すること。読者は虚構であることを最初から知っているわけですから。

その虚構の世界に、時間を捧げる価値は――作者がどれだけ楽しんでいるかに、かかっている気がしますね。


【想像力】

小説は文章のみで、その世界を、そのドラマを描くわけで。

精緻な文章力とともに、読み手が想像できる余裕――隙間が重要だと僕は思っています。

1~10の全てを描くわけではないという、懐の広さ。

創造する作者と、読み紐解く読者がリンクする瞬間。それが合致したり、科学変化する瞬間がやはり奇跡の瞬間だと思うわけです。

でも、それは本当に文章技術が上手くないと難しいわけで、やっぱりそこの域には至らないから勉強中なわけですが。


【一群の人間が関わる】

ここなんだと思います。

人が関わる。人を描く。人の想いが交錯する。

かかわらなければ、物語は動き出さない。

交錯して摩擦を生むこいとで、感情の温度が変化する。

少しこだわりたいのは、どのキャラクターも生きているから

例えば「村人A」っていう、設定は

演劇や映画脚本ならまぁ、あっていいんでしょうが、

小説という媒体の中では、交錯する人々の心情が

何より重要だと思うわけです。


【人間の経験】

つまりね、作者の人生経験に左右されることも大きい。

つまりどういうことかと言うと、

今現在恋愛している人は、その感情がリアルに描ける。過去に恋愛した人も。

でも、恋愛していない人は、人の体験談や仮定、もしくは恋愛への憧れでしか書けない。

これは間違いないと思います。

人生経験に裏打ちされた小説という言い方をすると、

純文学をイメージされる方もいらっしゃるかもしれない。

僕自身が文学を専攻しているわけでもないので、明確な答えを持ち合わせていないのですが、

作者自身が経験をすることで、

例えばファンタジーでも現代物でもSF物でも、活きてくるものがあって。

それが結果、作品の説得力になっているケースが多いような気がします。

逆に、それが無いと薄いと言っていいのか。

最初は勢いで書けるんだけど、結果、失速したり、感情の矛盾ができてしまったり。

前述した恋愛のケースが一番分かりやすいですが、それだけではなく

自分しか知らない体験を盛り込めたら

その作家さんの作品の強みたるや。

誰もマネができない、唯一無二の、その作家さんの物語になるんだろうな、と思っています。




ちょっと小難しい小説談義でしたが、

その要素を分解すると、こういうことだと思うし、

これをもっと解体していくと、エンターテイメントとしての小説は、

物語をモノガタルということになるのではないかと思います。


小説といふ生き物は、

かくもあやふやで、

作者が完全な筆致力、文章力があったとしても

読み手、読者に作者の想いが伝わるとも限らない。

言い換えたら、騙す、騙されることが前提の舞台で

テーマが全て、読者に伝わるとは思ってはいけないし、そんなの無理だし。


伝えたいことがあるのなら、

エッセイでいいし、論文でいいわけです。


作者の紡ぐ物語が、読者それぞれを通して、それぞれの物語が広がっていく。

物語の質量、感情の温度、(ココが重要だと思うわけです)

それがあって、物語は物語としての姿を、さらに飛躍させていくような気がします。物語が作者だけの物語でなくなる瞬間が、ね。


それが特に反映されやすく、伝播しやすいのが、

ネット小説の良さでもあり、影響しやすい脆さでもあるかな、と。


ただ思うのは、最初の一歩は、

「自分の作った物語を楽しめたらいい」

でいいと思うのです。

それがなにかに影響を受けていても、どこかで聞いたような物語であってもいいと思うし、

クオリティーを気にすることも多いけれど(僕なんか今でもそうだし)

まずは書くこと、そして発信することなんだと思います。


もしも一人でも読者の手に触れられたら

貴方だけの物語が、

最低限、貴方ともう一人の読者の為の物語になるわけです。


僕らアクセス数とか評価を気にするけど、

もっと根本的な、根幹にあるものを大切にしていけたら、

多分、物語そのものが進化をし続けていくんだろうなぁ、と思うわけです。


まぁ勿論、書くだけでも、読者を意識するだけでも、色々なことが足りないとは思うし、

僕もそこを含めて勉強中で、エンジョイ真っ只中ですが、

また、それはドコかの機会で。




店主・尾岡

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