メモリー オブ ザ ベスト スナイパー
焔 誠 (ほむら せい)
第1話 俺はまだ有機物
「お前まだ精神転送してねぇの?」
後ろから急に声をかけられ、頬張っていたパンを飲み込んでから俺は振り返った。
「気が進まないんだよ、仕方ないだろ。」
「でも俺らのクラスでも精神転送してないのってタケルとマミくらいだろ。」
「まぁ、そうだな。」
そう素っ気ない返事をしてから俺は目の前に立つ友人のユウキを見つめた。俺と全く同じように見える人間の身体。顔も肌触りも声も、そして感情さえも昔のユウキのまま、あるいはその延長線上であろう。けれども俺とユウキは確かに異なっている。
俺は、有機物だ。
人の身体というのは有機物と分類されたりされなかったりするが、大半の人々がご存知の通り炭素が含まれており、燃やせば勿論炭となる。
しかし、俺たちの身体は五年程前から極端に変化したのである。それはアメリカ合衆国のある学者がとんでもない発明をしたからである。俺たち人間を無限の命にする、つまりは俺たちの精神を機械的な無機物に完全に転送できるようになったのだ。記憶や感情を無機物に転送しても今までの過去は消えないのである。その精神転送をするかしないかは、個人の自由となったが、始めは拒絶していた人でも今では殆どの人が受け入れ、完全な無機物の身体となっていた。睡眠はおろか食事もいらない。人口がそのせいで激増したが、働く人や働く時間は増えたおかげで経済も回るし、何より人口増加による食糧難となることも逃れた。
勿論、この発明のおかげで問題に上がったことも多々ある。それは人権問題やこの発明の悪用など。しかし、そんな問題はさておき、最大の問題は不死の身体を手に入れたと同時に死を望む者が現れたことであった。つまり、生死選択の自由の権利を持ったということである。このような身体になったため、生死の基準も変わった。記憶、つまりその人が生きているという記録の有無によって、生死が決定されるようになったのである。記憶を持つ限り生きながらえるが故、記憶を失うという死を選ぶことも可能となったのであった。日本の法律で安楽死や尊厳死が禁止とされていたのに、その常識がある意味で覆ったのである。
タケル自身、永遠に生きる身体には興味はあった。元々、機械に感情や意思を持たせることが可能なのか、実際可能ならその人権はどうなるかなど考えるのは好きだった。だが実際それと似たような状態になると、話は別であった。
「ユウキはその身体になってから丁度一ヶ月くらいだっけ?」
「そうそう。タケルも早く精神転送しちゃえよ、なかなか便利だぜこの身体。」
「美味い食いもん食べたいもん、俺は。」
「別に食べようと思えば食えるじゃん。」
そうなのだ、別に五感が無くなるわけではなかったのである。食べる必要がなくなるだけであり、食べることができなくなるわけではないのだ。まあ、無機物の身体に一度取り込んだ食べ物は何の栄養にもならずに外に排出されるのだけれども。
「食べる必要がなくなると、面倒になって自然と食べなくなるもんだろ?」
「…うーん、否定はできないな。実際俺が最後に食べ物食べたのは確か一週間前くらいだと思うし。」
「だろ?面倒でも食事を義務にしとくだけの価値はあるって。」
そう言って残りの牛乳をぐびぐびっと飲み干した。ユウキにはこう言ったが、正直食事を必要とする人類が急激に減ったからか、特別美味しい食べ物や新しい食べ物がブームになること自体減ったのである。
自分の身体は面倒な身体だというのは様々なところで経験してよく理解はしていた。特に次の授業ではよく痛感できるほどである。
「タケル、次体育だぞ。」
「わかっているよ。」
そう、体育は俺たちの身体の違いをあからさまにする。感覚の再現はやはり完全には難しく、ステータスが全く違うのだ。汗を滝のように流して運動している俺に対して、周りの友人たちは汗ひとつかかずに全力疾走し続ける。運動能力などは元々の身体に則っているため、最初の方は互角に戦えるから別にいいのだが、体力勝負となると必ず負けるのだ。
お前らはバケモンか、こっっわ。
最初の頃こそそんなことを軽い気持ちで考えていたが、もはや笑い事ではない。それだけならまだしも、何よりも一番嫌な気分になるのは怪我をした時である。
「いってえええええ!壊れた!」
俺が、ではなく、周りの友人が。
血が出た、ではなく、体が壊れた。その表現を聞くたびに、思わず顔をしかめてしまう。壊れた瞬間だけどうも痛いらしい。無駄にそこだけ感覚を再現するなよと突っ込みたくなる。すぐに身体が完治するからいいじゃないか、そう思うか?自分の身体から血が出てくれてこんなにも嬉しく感じるのはおかしいことだろうか。ちなみに身体が壊れた友人の身体は、次の日になれば勿論完治している、俺の身体が傷ついたらゆっくりと治るのとは全く反対で。
面倒な身体だなとは思う。彼らの身体が羨ましいとも時々思うことはある。だが、本当にそれが良いのかもわからなかった。未だに身体を変えていないのが自分の答えだというのも実のところよくわかってはいるのだ。
体力を使い果たして座り込んだ俺はふと女子たちがいる方を見た。案の定ひとりの女子がクタクタになりながら、俺を見つけて駆け寄ってくる。
「本当に皆、よく動けるよねぇ…。」
「…まぁ俺らとは違うしな。」
「……。」
俺がそう答えるとわかっていて、そしてその答えが嫌いなのにも関わらず、何故そう言うのか。彼女を見ると、やりきれないような悔しそうな顔をしていた。
「…同じ人じゃないの。」
「まぁ法律上は人権あるしね。」
「タケルのそういうところ、大嫌い。」
何度彼女から言われただろうか、この言葉。あの五年前からこの言葉を彼女の口から聞くようになった。幼馴染の俺に対して元々当たりがきついところはあったが、この頃もっと酷くなっている。原因はわかっていた。
「ユウキも変えないって言っていたのになあ、本当残念。」
「…ユウキくんは仕方ないでしょ。」
「仕方なくはないだろ。あいつは俺らの約束を破ったんだよ。」
俺の顔をギロリと睨む彼女の目を見て、やけに舌打ちをしたくなった。棒読みで冷めた俺の言葉を否定したい気持ちがひしひしと伝わってくる。そんな彼女から目をそらして俺はどうしたものかと思案した。
「…お前も身体、変えないのか?」
「タケルは変えないんでしょ。」
「俺は、機械になりたくない。」
「なら私も変えないわよ。」
彼女のこういうところが好きだ。だが。
俺は彼女を見ないで立ち上がった。
「お前は身体を変えたほうがいい。」
「…何でそんなこと言うの。」
彼女の怒っているような泣きそうな顔を目を細めてジロリと見ると、彼女は少しだけ怯んだように見えた。
「…理由はお前が一番わかってんだろ、マミ。」
俺のそのとどめの一言の言葉でマミは完全に黙り込む。
彼女は生まれた頃から心臓が弱い。身体を変えてしまえばいい話なのだが、あいにく精神転送には条件がある。元々の肉体が精神的肉体的に健康であること。つまり、元々の肉体が生命活動を停止した場合、精神転送へこじつけることは不可能なのである。精神転送だけでなく、全てにおいて科学技術が発展したこの時代で事故に遭うのは少なくないのだ。もしものことがあっては遅いのである。
俺はマミに死んでほしくない。
「…きっと、ユウキも同じこと思っているよ。」
その言葉に苦しそうな顔をした彼女は顔を背けると、クラスの女子たちの元へと戻っていった。彼女の寂しげな背中が俺の目に焼きつくように印象的だった。
俺とユウキの気持ちも汲んで彼女が身体を変えるのは時間の問題だろう。ユウキが直接言っているのなら尚更だ。
そう思って、バスケをしているユウキに視線を移した。丁度ユウキがシュートを決めていた。思わず我慢していた感情が言葉になりそうになる。
「…チッ。」
俺は先生に体調不良のため保健室での休養を申し出、保健室に向かうふりをして校舎の屋上へ行った。体調不良など全くの嘘で仮病である。屋上は、いつも鍵がかかっている。器用な手先を利用して入れる俺だけの特等席なのだ。そして、ガチャリという鈍い音を聞くと優越感で凄くいい気分になる。だから、この場所は俺のお気に入りなのだ。
「あれ?」
その鈍い音を聞く必要がないことに気づいた俺は酷く動揺した。鍵が開いているはずのない屋上へいつものように時間をかけずに入れたのである。
「あっれえ、お客サン?」
やけに陽気で騒がしい声に俺は眉をひそめる。逆光で表情が見えずシルエットのみしか見えない。徐々に慣れた目をこすって目の前の人物を眩しそうに俺は見つめた。本当に今日は天気がいい。
「…お前、誰?」
その俺の質問に答えず、彼はニンマリと俺の様子を観察するように眺めるとこう言った。
「君、あれだー。ユウキブツ、だ?」
「は?」
「僕のほかにも居たんだなぁ。身体変えてないちゃんとした、ヒト。」
「…身体変えていたって人は人だろ。」
「本気でそう思ってないから、ココ、いるんじゃないのぉ?」
見透かされたようで気分が悪くなる。自分でも顔を物凄く険しくしているのがよくわかった。
ああ、なるほど。マミ、お前はこんな気分だったのか。
「ゴメンゴメン、気を悪くさせるつもりはなかったんだって。」
「…ならもう少し言葉を考えてから話せ。」
「うん、ゴメン。」
そう謝った彼の表情を見て、割と話が通じる相手だと感じた。改めてしっかりと見てみると、彼は所謂不良にしか見えないなりをしていた。金髪に四つのピアス、真っ赤な大きい縁のメガネをしていて、学ランの下には赤いパーカーが見えた。
「…随分のやんちゃだな、お前。」
「君は真面目クンだね、格好だけ。」
「ま、授業サボってるからな。」
「体育デショ?」
「察しがいいね、わざわざ学ランに着替えてきたのに。」
適当にあしらう俺の言葉を受けて、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「僕も体育の授業は嫌だし、ネ。」
「…体力勝負だからなあ。」
「僕結構運動には自信あったのに、プライドズタボロだったんだよー。」
彼の身体を見ると、成る程筋肉のつき方はかなり良かった。俺もそれなりだと思っていたが、ガタイもかなりしっかりしている。
「何か運動していたのか?」
「…まぁねぇ。」
何の運動をしていたんだ?と聞こうとした時、授業を終えるチャイムが鳴ったため、そのままサボると言う彼に俺は別れを告げて自分の教室へと帰って行った。
教室の手前に来てからふと彼の名前を聞きそびれたことに気づいたが、わざわざ知る必要もないと思った。その日、俺が屋上へ再び足を運ぶことはなかった。
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