第5話 詩とお茶についてのあれこれ

※九百字以上、千文字以内。


もう二年前になるが一杯の茶を飲むためにふらり、と知人から借りた茶畑まで行き茶の葉を摘んでいた事があった。最後に摘んだのは秋のころだったか。


秋の茶は春の茶に較べて渋味が増す、あの新芽の爽やかな甘味はないが渋味は増して味に厚みのある旨い番茶が出来る。ぼくの母方の実家はど田舎で山に茶畑があり、家族で良く茶摘みをしたものだ。そうして過去を想えば早逝した祖父もこのように茶を摘み、茶を揉み風に任せて茶を干し時々、その茶葉の香りを確かめて心を浮き立たせ本を片手に居眠りをしていただろうか。


古本屋で買った漱石の草枕は繰り返し読み

いつしか表紙が掠れてきている。買った時から三ページ目の右上の角は欠けていて、以前の持ち主がつけた傷はひとつの歴史の痕跡に思える。どれだけの人の手を渡り歩いてきたのだろうか。草枕の冒頭は素晴らしいのだが、特に以下に引用する部分が好きだ。


『住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる』


この文を思うときに、もうひとつ浮かぶのが

ある茶師さんから聞かされた漢詩(翻訳されたもの)である。


食後に一眠り

目覚めたら二杯のお茶を飲む

頭を挙げお日様を見れば

もう既に南西に傾いている

日々楽しく過ごす人は

時間の慌ただしさを惜しみ

日々を憂う人は

月日の長さを忌々しく思う。

心配事も楽しみも求めない人は

総てを運命に任せるまでだ


実に悠々とした心持ちを詠っている。与えられた人生に身を委ねる様は諦観では無く、心の自由さを感じさせてくれる。心の自由さこそが詩、ではないだろうか。茶についての漢詩は沢山あるようで選集を買いたいが、とても高い。


茶畑に立ち無心に茶を摘み、草を刈り、そして疲れたら川岸の風を感じて軽トラックの荷台に眠る。そのとき少しだけ詩という自由さに近づいていた気がする。寄せては返す波のように、すぐに遠ざかってしまうのだけれど。


あの茶畑は返してしまったが、また畑に茶の木を植えて茶を楽しみたいと思っている。苗も簡単に手に入るので興味がある方は、ぜひ茶を自宅で作って楽しんでみてほしい。自分で作った茶は格別に美味い。摘んだ葉を干せば茶なんだよ、と茶師さんから気軽に楽しめと頂いた言葉。そんなことを思い出しながら真夜中に茶を淹れて、漱石の草枕をつらつらと読み、そろそろやって来る新茶の季節を待ちわびている。

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