第64話 ラストステージ 2

 準備中はステージにカーテンが掛けられていて、外から中の様子は見えなくなっている。

 その間に諸々の機材の設営行うのだが、ここであまり時間がかかるようだと、場合によっては演奏時間が短くなることもある。

 とは言え設営事態は今までにも何度もやっているので、藍達も手慣れたものだ。手早く終えたところで、藍と啓太に向かって声が掛けられる。


「それじゃ、まずは二人の出番ね。頑張って」

「楽しめよ、思い切りな」


 そう言ったのは、大沢と松原だ。演奏する予定の曲は全部で三曲。そのうち大沢たちが参加するのは真ん中の一曲だけで、最初と最後は現軽音部員である藍と啓太の二人だけで演奏することになっていた。

 そうして大沢と松原は、一旦ステージの裏手へと引っ込んでいく。そしてそれは、優斗も同じだ。


「二人とも、精いっぱい出し切って」


 こうして三人が裏手へと消えていき、ステージ上には愛と啓太の二人だけが残る。外とは相変わらずカーテンで仕切られているため、今藍の視界に入っているのは啓太一人しかいなかった。


「ありがとね、三島」

「なんだよ急に?」

「えっと……なんとなく」

「……ホントに何なんだよ」


 突然の言葉に呆れ顔の啓太だったが、藍自身どうして今こんな事を言ったのかよく分からない。ただ今から始める演奏を前に、少しでもいいから啓太と話しておきたかった。


 実は一度集合してから、啓太とこんな風に一対一で話をするのは初めてだった。全く言葉を交わさなかったわけじゃ無いが、そんな時は必ず他の誰かを交えてのものだった。

 直前まで優斗と二人で文化祭を回っていた。もしかするとその事が、ほんの少しの微妙な距離を作っていたのかもしれない。


「なあ、さっき裏でやった挨拶だけどさ――」

「なに?」

「締め方が思いつかずにグダグダになったのには笑わせてもらったぞ」

「──っ!」


 その言葉に思わず顔をしかめる。確かに一度グダグダになってしまったけど、そこからせっかく持ち直したと言うのに。どうしてわざわざまた蒸し返したりするのだろう。

 だけどむくれた顔で見返すのを見て、啓太はふっと表情を和らげた。


「これで少しは緊張も解けたか?」

「えっ、緊張?」

「手、ずっと握ったままだったぞ」


 言われて見てみると、いつの間にか手の平には食い込むような爪の跡がくっきりと残っていて、汗がにじんでいる。


「どうせ気づいてなかったんだろ」


 まさにその通りなのだから、返す言葉もない。緊張しすぎないようにと事前に何度も意識はしていたはずなのだけど、どうやらそう簡単には上手くいかなかったようだ。

 だけど啓太の言葉でペースを崩されたせいだろうか。今はほんの少しだけ、気持ちが楽になったような気がする。


「うん。ありがとう、三島」


 ちょうどそのタイミングで、進行役の生徒が舞台の袖からこちらに向かって合図を送ってきた。もう始めても良いかと言う事なのだろう。

 藍達がそれに頷くと、仕切られていたカーテンがゆっくりと開いていき、徐々に外の景色が見えてくる。間違いなく今までで一番の人の数、そして盛り上がりがそこにはあった。


「俺、先輩達にも負ける気ねぇから。技術も経験もまだまだだけど、それでもあの人達に勝つくらいの気持ちで行く」


 カーテンが開ききる直前、啓太がそんな事を言う。だけどそれがどれだけ厳しい事か、ずっと一緒に練習してきた藍は知っている。

 大沢も松原も、そして優斗。三人とも、今の藍達より数段上の場所にいる。初めて一年足らずの二人と、ブランクがあったとはいえ三年間打ち込んだ大沢と松原、それに実質ずっと減益だった優斗との差は、そう簡単には埋まらない。

 そんな事は啓太だって分かっているだろう。それでもその言葉には、確かな力強さが感じられた。


 カーテンが開き切るのと同時に啓太の指が動き、辺りにギターの音だけが鳴り響く。それから、ほんの少しの沈黙が流れて、スピーカーからドラムのスティック音が流れ、リズムを取っていく。

 それが何回続いただろう。再び啓太のギターが、そして藍のベースが音を立てる。同時に藍の歌声が、ステージ前に集まった人達を包み込む。そんな二人応えるように、目の前で歓声が上がった。


 ゾクリと、一瞬身が震えたような気がした。

 ここにいる人達のほとんどが藍達のことなど何も知らず、おそらくその場のノリで声を上げているだけだろう。プロでも無い、ただの高校の文化祭のステージなんてそんなもの。だけど確かに、これは二人に向けて放たれた声。二人の演奏が生んだ結果だ。そう思うと、何だか胸が熱くなる。


 ベースを奏でながら、歌いながら、藍はついさっき啓太が言っていた事を思い出す。先輩達にも負ける気はないと言った啓太の言葉。だけどそれは、何も彼だけの想いじゃない。


(私だって、そのつもりだよ)


 三人にも負けない演奏を。その想いは藍だってずっと抱いていた。彼らの凄さはちゃんと知っている。けれどだからこそ、その目の前で恥ずかしい演奏はしたくなかった。あの人達の後輩何だと、胸を張れる演奏をしたかった。


 まだ小学生だったころ、優斗の演奏を見てカッコいいと思った。去年この文化祭のステージを見て、自分もやってみたいと思うようになった。自分達が今奏でている音は、そんな風に誰かに届いているだろうか。少しでも、人の心を動かせているだろうか。

 それに答えてくれるものは誰もいない。だから今の自分にできるのは、そうであるのを祈って、全力で音を鳴らす事だけだ。


 ようやく曲が終わった時には、全身から汗が噴き出していた。何度も練習してきたはずの曲なのに、とんでもなく長く感じた。だけどこんなところで疲れてはいられない。


「先輩達によろしくな」


 一瞬啓太と目が合って、その瞬間そう囁かれる。次の曲では出番のない彼は、それだけ言うと藍の反応も見る事無くステージ裏へと下がって行く。そして代わりに出てきたのが、優斗、大沢、松原の三人だ。



 藍の目の前に、向かい合うようにして優斗が立つ。その顔は笑っているはずなのに、なぜか涙を堪えているようにも見えた。

 7年前藍がこの場所で見たステージが、そして6年前、再び行われるはずだったステージが、今始まる。

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