The diva satanica

The Diva Satanica



その歌姫の歌声に酔ってはいけない。

それが歌うのはいつだって

それに酔うものの葬送歌だから


 同じ頃、『シャイニー・デイ』の一室では、ショウが外を眺めていた。


 時刻は、午後5時。まだ暑い季節とはいえ、その空は薄紫色の薄暮がどこか幻想的に、しかしどこか不気味に、支配権を掌握しつつある。


 だが――――。支配権を手にしつつあるのは、それだけではない。


 タバコに火を着けながら、ショウはバザーの方角を見る。そこでは、先ほどまで銃声がひっきりなしに鳴り響き、時には爆発音さえも起きていた。しかし今は、バザーは……いや、バザーがあったであろう場所は、もうもうと白い煙を吐くばかりで、静かなものだった。


「――――やれやれ。案外、早かったな」


 バザーには、正規の軍はないが、自警団はあるし、ヒューマンの武器なら大抵は揃う、弾薬庫とも言える場所だ。ヴィクティムの軍が動いているとはいえ、数で勝るヒューマンを制圧させるには、もう少しかかると思われたのだが。


 無意識のうちに腰のリヴォルバーのグリップを確かめてから、ショウはタバコを灰皿に押し付ける。そして、ひとつ大きくため息をついてから、メディカルデヴァイスへと向き直った。


「……こちらショウだ。セトミ、聞こえるか?」


「はいはい、感度良好。なに? どしたの?」


 先ほどまでの暴走がまるで嘘だったかのように明るい声に呆れながらも、そこにはほっと胸をなでおろしている自分もいることを、彼は否定できなかった。


「そっちもそっちで面倒なことになってるが、こっちも相当やばい状況になっててな。ちっとそれを説明する」


 そこで一呼吸置いてから、ショウは再びタバコを口にくわえた。


「こっちじゃ、ヴィクティム軍が動き出してる。表向きの出動理由はシャドウを占拠するハウリング・ウルフの排除だが、恐らく、それだけじゃない」

「……どういうこと?」


 不意に、セトミの声が鋭い色を帯びた。


「連中は、すでにバザーを制圧した可能性が高い。そして、その後、進軍してくるルートは、ヒューマンの居住区だ。恐らくその狙いは――――この端末」


 その言葉が彼の口から出るのと同時に、彼がくわえたタバコから、ぽとりと白い灰が落ちる。


「こいつを掌握しちまえば、お前のことはどうとでもなるからな。それだけシャドウの深部にいて、メディカルデヴァイスを握られるってことは、心臓を相手に握られることに等しい」


 危険なクリーチャーが闊歩するシャドウ内では、薬物の使用は必須だ。鎮痛剤や代謝促進剤などを使えなくては、そこを脱出することすら難しい。


「――――で、どうするわけ?」


 問うセトミの声には、少々いぶかしげな色が混ざっている。それはそうだろう。その端末を狙われて、どうにかする手はずなど、そうそうあるはずがない。


「……俺が、軍の連中をどうにかする」


「――――はぁ!?」


 素っ頓狂な声をあげて、セトミが驚く。


「あんた、何言ってんの!? 相手は軍なのよ!? 軍! 一人でどうこうできるもんじゃないでしょ!」


「いくらなんでも一人でどうこうできるなんて思っちゃいねえよ。こっちはやつらを全滅させるのが目的なわけじゃない。要は、端末を守りきりゃいいわけだ。それにやつらは、個々は協力だが集団戦は不得手だ。数も多くはないしな。守りに徹すりゃ、なんとかなる」



「……ほんとに?」


 珍しく、セトミのその声がチェイサーキャットではなく――――小さな子猫のような色を帯びた。


「……ああ」


 わずかな沈黙の後、ショウは答える。いつもと変わらず、短く端的に答えたつもりだったが、果たしてセトミにはいつも通りに聞こえたろうか。


 そんな郷愁と、嘘をついた痛みが、同時に胸を刺した。


「……わかった。信用したげる。その代わり、さっさと戻ってきて、サポートばっちり頼むわよ!」


「わぁってるよ。んじゃ、一度……切るぞ」


 最後の一言を言い終え、ショウは大きく紫煙を噴き出した。


「まったく……『しっぽ立てて擦り寄る相手くらい自分で決める』とか一端の口利きやがるくせに、擦り寄った、汚ぇ野良犬にはころっと騙されてるじゃねぇかよ……バカ猫、娘」


 再び紫煙と同時に、言葉を吐いた。しばらく沈黙してから、ショウはこれまでにない速さで端末を操作する。画面に単語や文章が現れては消え、現れては消えを繰り返す。


 それはやがて、一つの文字列を浮かび上がらせた。


『認証プロテクトシステム、全起動。現在のユーザー以外からのコード入力をすべてカットします』


「よし。まずは第一段階」


 それは、有り体に言えば、ショウ以外からこの端末にアクセスすることを禁ずる措置だった。普段はシャドウに潜る際、当たり前だがドクターはよほどのことがない限り、端末の側を離れることはない。


 だが、どうしても離れなければならない際に、他者にアクセスされることを禁ずることのできるシステムがこれだった。指紋認識、パスワードの設定など様々なプロテクトがあるが、今回は思いつく限りの厳重なプロテクトをかけた。


「これで、やつらに端末を見つけられても、乗っ取られることはない。次は、第二段階だ」


 再び、ショウは端末を操作していく。だが、迷いなくコードを打ち込んでいた先ほどとは違い、時折、なにか思案したり、操作をやり直す挙動が見られる。そして、最終的に画面に現れた表示。


『自動薬物使用設定プロトコルを作成しました。デヴァイスにデータを送信しますか?』


 それは、あらかじめ、チェイサーが危機に陥った際の、薬物使用をデヴァイスに記憶させる操作だった。薬剤自体はデヴァイスに仕込まれているため、その使用設定さえ行われていれば、チェイサーは薬物治療を受けることができる。だが、戦闘時はすばやい判断とチェイサー、ドクター間の意思の疎通が必要なため、ほとんど使われることはない。


 ――――あるとすれば。


「……これで、俺がいなくても、戦えるな……チェイサーキャット」


 なんらかの理由により、ドクターが自らの死を覚悟した時。


「だが……簡単な犬死にはしねえ。俺はブラック・ドッグ。死の予兆。せいぜい大勢引き連れてって、地獄の番犬をびびらせてやるさ」


 ゆっくりと、リヴォルバーを手にショウが立ち上がる。


「じゃあな、子猫ちゃん。もしも地獄でまた会えたら、えさの面倒くらいは見てやるよ」


 そして、その部屋をもはや振り返ることなく……ショウは、ドアの音を響かせて、閉じた。


 その数十分後。バザーから居住区へ向かう荒廃した道路を、数百人規模の集団が歩を進めていた。


 その中の誰もがヒューマンを超える屈強な身体を誇り、その体色は緑や紫と毒々しい。またその兵装も異様であった。まるで中世の西洋のアーマーを思わせる分厚い金属の塊を着込み、光学ライフルを携えている。


 ――――ヴィクティム正規軍の侵攻部隊。


 一糸乱れず行軍するその様は、静かながら、まるで地獄の悪鬼の行列だった。


 その周囲に、ヒューマンの姿は一人もない。みな、物陰に身を隠し、その恐ろしきものどもが行き過ぎるのを、震えて待っているしかできないのだ。


――――否。


たった一人、その正規軍の行進を阻むかのように立ちふさがるものがいた。


黒いコートに、黒い髪の、長身の青年。ポケットに手を突っ込んだままうつむくその様から、表情をうかがうことはできない。


その姿を視認し、行軍の先頭を務めていたヴィクティムが片手を広げ、進軍を止めさせる。


「……貴様、ブラックドッグだな」


 その言葉に青年――――ショウの頬にかすかに皮肉めいた笑みが浮かぶ。


「へっ、ラブレター持ってあんたを待ってた後輩にでも見えるか?」


 挑発的なその言葉に、部隊のリーダーらしき男の目が細く、剣呑な色を帯びる。


「……フン。もはや貴様には死しか残されていないというのに、虚勢を張るとは哀れな男よ」


 だが、リーダーの男の言葉に、ショウの表情はいよいよもって嘲りの色を見せていく。

 そうだ。もっと怒れ。そして早く俺を――――殺せ。


 それでやっと、デヴァイスの端末を完全に凍結させることができる。


 ショウが端末に仕込んだプロテクトの最後は、声紋認識だった。端末が認識を開始して、20秒以内に彼の声と確認されなければ、システムは完全に凍結。先ほどデヴァイスに送信しておいたデータにしたがって、自動治療が行われる。端末をいくらいじろうが、セトミのデヴァイスに手出しはできない。


 ……つまり、自分が死ぬことで、端末のプロテクトは、完璧になるのだ。


「哀れで結構。さあ、とっととおっぱじめようぜ。お前らも、準備運動くらいで手間取りたかねえだろう?」


 あくまで挑発するような態度を崩さず、ショウは銃を抜く。ゲンじいと戦ったときにも使った、古い、大型のリヴォルバー。それを、前線にいたヴィクティム兵に向かって撃つ。


「ぐおっ!」


 轟音とともに、兵がもんどりうって倒れた。古いタイプの銃とはいえ、弾丸の規格は大口径のものだ。いくらヴィクティムであっても、急所に当たればただではすまない。


「まずは一人。さあて……何人、道連れにしてやろうか」


「おのれッ……! やれ!」


 リーダーの号令とともに、前列の兵たちが一斉に発砲を開始する。その銃撃は、エネルギー弾――――出力を中程度に抑え、速射性を重視した、アサルトタイプにカスタムされたもののそれだった。


 エネルギー弾の掃射をかいくぐり、ショウはビルの陰へと退避する。


「やっぱ、そのタイプのガンマレイか。こいつは少々、分が悪い――――」


 そこまで言いかけて、自分の言葉に思わず苦笑する。


「――――やれやれ、本能ってのは恐ろしいもんだねえ。負けるつもりでやってるってのに、何言ってんだ、俺は」


 言いながら、すばやくリヴォルバーを撃ち返す。アーマーで防がれていない、むき出しの部分に銃弾を浴びたヴィクティムは、倒れこみ、動かなくなる。


 ショウはそのまま、二発、三発と適確に命中させていく。


 それに対し、敵たちは撃ち返すだけで何を仕掛けてくるでもない。


 だが、ショウにはわかっていた。やつらは無策なわけではない。好機をうかがっているだけだ。そして、その好機がもうすぐに訪れるであろうことも。


 ――――ああ、いいぜ。お前らの待ってたもん、くれてやるよ。


小声で一人つぶやくと、ショウは二発――――弾丸を発射し、命中させた。リヴォルバーの弾倉に残っていた、最後の弾丸。


再びビルの陰へと隠れたショウは、リロードを開始する。だが、彼にはわかっていた。恐らく、この間に突撃してきているであろうことを。


だから最期に一人でも多く、道連れにしてやるつもりだった。


リロードを終え、再び構えながら飛び出すまでは。


「……え?」


 だが次の瞬間、ショウはその目を疑った。


 そこにいたのは、ヴィクティムではなかった。それは、華奢な体格の、女性。多くのフリルのついたロングスカートのドレスに、縁の広い帽子。ハイヒールといった、上品ないでたちのその姿は――――。

「てめえ……アリサ!」


 まるでショウを庇うかのように立ちふさがり、その優美なドレスをはためかせているのは、紛れもなくアリサ=ディーヴァの姿だった。


「あら、ショウさん。ごきげんよう」


 まるで普段のあいさつと変わりなく、アリサは穏やかな笑みをうかべ、半身を振り返ってショウを見る。その様に、敵意や殺意はまるでない。


「なにが『ごきげんよう』だ。お前……いったいなんのつもりだ」


 うめくショウに、アリサはまるでだだをこねる子供を見るような、困った顔をして見せる。


「あらあら、困りましたわね。なんのつもりもなにも――――」


 刹那。


 彼女のまとう空気が変わった。穏やかなその瞳は変わっていないように見えるが、その口元は常時の彼女の笑みよりも、明らかに、醜悪に歪んでいる。革手袋をつけた両手が音もなく懐から、その銃を取り出す。


 二丁の、小型のサブマシンガン。それを、止める間もなく、即座に発砲した。


 ――――ヴィクティムの一団へ向かって。


 口径のそれほど大きくないタイプの銃ながら、独自の改造が施されたらしいそれは、どうやら徹甲弾が装填されているらしく、ヴィクティムのアーマーをことごとく粉砕していく。


 新たな敵の出現に浮き足立ったか、多くの兵たちがいったん退避する。


「……な」


「こういうつもり、ですが?」


 そして再び、穏やかな笑みでショウを振り返った。


「お前、だって……あっち側の人間じゃ……」


「私に、あっち側もこっち側もありません。そうですねえ。強いて言えば、私はセトミちゃんだけの味方……。いいえ、セトミちゃんは……セトミちゃんは……」


 不意に、アリサの様子が変わる。銃を手にしたままうっとりと両手を組んで頬を赤らめるその様は、まるで……。


「私だけのものです!」


 初恋をわずらう、乙女だった。


「あのぱっちりした瞳、笑顔、まるで子猫のような無邪気さ……。どこをとっても……果てしなく、プリティです。できることなら、後ろからそっと抱きしめたい……。そして、それから手を握って向き合って……」


「お、お前、そっちの人だったのか!?」


 思わず状況を忘れて口からつばを飛ばすショウに、アリサはすねたような表情になる。


「失礼ですね、それでは私が変な人みたいではないですか」


「変だ、十分変だっ! あ……いや、それはともかく、お前、ヴィクティム兵と密会してたろうが! それでもセトミの味方だってのか!? ええ!?」


 あまりに様々な事態が一片に起きたことに戸惑いながらも、ショウはなんとか一番重要なことを思い出す。


「ああ、それでしたら……。皆さん、パーティのお時間ですよ! ほら、ごちそうもたっぷりです。存分に……食い散らかしましょう?」


 再び醜悪な笑みを浮かべたアリサがその声を響かせると、周囲の空気が変わった。道路上、廃ビルの窓、屋上などに、さまざまな武器で武装した男たちが現れる。その数、数百人は下るまい。


 男たちはアリサの声に勝どきを上げながら、各々の武器を兵たちへ向ける。その中には、なんとヴィクティムの姿もあった。


「私の部下の一人です。密偵として軍に侵入してもらいました」


「お、お前……いったい、なにモン……」


 聞きかけたショウの目に、アリサの武器が映る。そのサブマシンガンには、赤いインクで歌う女の悪魔のペイントがあった。


「そいつは……『カラミティ』!? てことはお前は、かつてこの辺り一帯を荒らしまわった女バンデッド……悪魔の歌姫『ディーヴァ・サタニカ』!?」


 それは、この辺りでは知らぬ者のないほどのバンデッド――――すなわち、強奪者だ。街や村を襲い、金品を略奪して行く無頼漢。だが、悪魔の歌姫と呼ばれる彼女らのギャング『カラミティ』は、金持ちからしか奪わないという、一種の義賊として、民衆からは支持されるギャングだった。


「……の、二代目です。ショウさん、あなたに死んでもらっては困ります。あなたには、これからもセトミちゃんを守ってもらわなければね。かっこつけて、全部守って死ぬなんて、今どき流行りませんよ?」


「……うるせえ。チッ……ここは借りといてやらあ。そのうち、きっちり返すからな」


「おやおや、素直じゃないワンちゃんですね。では……」


 ショウに背を向け、アリサは再び『カラミティ』を構える。刹那、ショウですらもぞくりとするような荒々しい殺気が、その背からほとばしった。


「私のセトミちゃんにいたずらしようなんて輩には、きついきつーい、おしおきです……祈りなさい。できるかぎり苦しまずに死ねるようにね……」


 言葉とともに、その穏やかないつもの笑顔が、ヴェールがはがれるかのように変わっていく。優しく、穏やかな笑みから、まさに悪魔のような、目を見開き、歪んだ狂喜の笑みへと。


 その足が、トリガーを引きながら、疾走する。そして、悪魔の歌姫としての彼女の姿が、目を覚ました。


「さあ、かかってきなさいクソ虫ども! その汚い脳漿をぶちまけて! 五臓六腑までミンチにして! 野良犬も食わないようなクソみその塊にしてあげますよぉ! キャアッハハハハハハハ!」


 義賊と呼ばれながら、悪魔と呼ばれるにふさわしい姿が、そこにはあった。乱射される徹甲弾は狙いもつけずにひたすらにばら撒かれ、敵といわず遮蔽物といわず、ただとにかくすべてを破壊していく。


 『カラミティ』――――疫病神、とはよく言ったものだ。


「……猫かぶった女は、見慣れてるはずだったんだが……な」


 ぽつんと、一人残されたショウが取り残される。先ほどまで死ぬつもりで戦っていたのが、なんだかひどく馬鹿馬鹿しくなってしまった。


 手持ち無沙汰にタバコを取り出すと、ショウはそれをくわえ、火を着ける。


「……さて、これはこれで、どうしたもんかね……」


 そしてまさしく置いてけぼりにされた犬のように、背中をまるめて紫煙を吐き出した。




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