Rouge or noir
Rouge Or Noir
その心、赤か、黒か。
あるいは混じり合った血の色か。
同時刻、ヒューマンの居住区。
ショウは、バー・シャイニーデイへの道を急いでいた。すでに街を包む騒乱の波紋は、バザーから居住区にまで広がっている。
どうやら、ヴィクティムの制圧部隊が動き出していることは、この辺りまで知れ渡っているようだ。行き交うものの誰もが、銃や武器を手に動いている。その視線は鋭く周囲に張り巡らされ、むせ返るような剣呑な空気を生み出していた。
「……しかし、妙だな」
だがその様子に、ショウは違和感を感じていた。ヴィクティムが攻めてくるらしいというのに、道を行くものの表情は、どこか落ち着いている。パニックを起こしたり、略奪行為が始まったりといった気配はない。
しかし、ショウにはそれを気にしている余裕はなかった。とにかく、まずはシャイニーデイへ戻り、デヴァイスの端末を守らなければならない。アリサのあの様子からして、あまり猶予はないはずだ。
光学バイクを飛ばし、ショウはシャイニーデイへと舞い戻った。居住区のメインストリートからわずかに外れたそこは、ここまでの騒乱の影もなく、普段どおり、静かなままだ。
「……間に合った、か……?」
バイクを止めると、ショウは扉を破るほどの勢いで中へと駆け込む。無人の店内を駆け抜け、彼は二階の部屋へとたどりついた。
そこでは、電源が入ったままの端末が、低く、静かに排気音をたてている。
それを視界に納め、ショウはやっと、ひとつ大きく息をついた。
だが、その刹那。
ついた息の散る間もなく、その表情に旋律と緊張が走った。
「……誰だ」
「ひっひっひっひ、ただのドックにしては、いい鼻をしておるのう。しかし、なまじ勘が鋭いというのも、考え物じゃ。気づきさえしなければ、何が起こったかも知らず、苦しまずに死ねたのだから、のう」
その背後から聞こえてきたのは、醜悪な、しわがれた老人の声だった。この街で、歳をとるまで生きていられたものは少ない。自分たちと関わり合いのあるもので、それほどの年齢の人間の心当たりは、そう多くはなかった。
「……あのネコ娘の銃のメカニック……確か、ゲンじいとかいったか」
「ほほう、わしの名をご存知とは痛み入る。おっと、少しでも長生きしたかったら、動かないことじゃの。まあ、ほんの数秒、長くても数分の差じゃがな」
かちり、と背後から撃鉄を下ろす音が響いた。それが彼のスイッチだったように、ショウの瞳から色が消える。
「……なるほどな。裏切り者はアリサでなく、あんただったってわけだ。となると、俺たちの動きをどう読んでいたかも、大体想像はつく」
「ああ、恐らくその想像通りじゃな。あの小娘の銃――――アンセムの内部に、発信機をしかけた。あの時、とっさにな。あやつならば、あの少女を放っておくまいということは、簡単に予測できたからの」
完全に自分の優位を確信したか、ゲンじいは下卑た笑いを漏らしながら、告白を続ける。
「ヴィクティムたちもハウリング・ウルフも、ファースト・ワンを求めていることは知っていた。だから、その居場所を把握できるとなれば、間違いなく食いついてくる。そう思ったのじゃよ」
「――――なぜだ?」
微動だにしないまま、ショウは冷たい声で問う。
だがその問いに、ゲンじいはくく、とのどの底で押し殺したような笑い声を漏らした。
「こんな腐りきった世界で、人を騙して自分の利を取るのに、それほどご大層な理由が必要かね?」
「……金、か」
端的なショウの言葉に、またもゲンじいは笑い声を漏らした。
「くくくく、人聞きが悪いのう。老後の平穏な生活のため、と言っておくれ。お主ももう少し、利口に立ち回れば何不自由ない余生を送れたろうに、小娘などの面倒を見るからこうなるのじゃぞ? ん?」
その言葉に、ショウは背を向けたまま、その瞳を鋭く細める。
「悪いが、ジジイになった自分のツラなんざ見たくもなくてね。ハナから長生きする気なんてねえのさ」
「……ふん。まあいいわ。何か、言い残すことはあるか?」
もう一度、強調するようにハンドガンを構えなおしながら、ゲンじいが言う。
「……そうだな。ひとつ、昔話をさせてくれ」
ひとつ大きく息をつきながら、ショウが肩の力を抜く。
「昔、一人のチェイサーがいた。そいつはこの国の各地を渡り歩き、金になる仕事なら、なんでも引き受けた。あるとき、そいつはある少女の救助の依頼を受けた」
静かに話すショウに、ゲンじいは何も返さない。
「少女が連れて行かれたのは、ヴィクティムの研究所。チェイサーが少女を見つけ出したときには、少女はハーフと変えられていた」
「それが、あの小娘か」
さして興味もなさそうに、ゲンじいが言う。それでもすぐにことを終わらせようとしないのは、気まぐれか、ただの慢心か。蔑むようなその視線からは、十分にその問いの答えは見て取れた。
「そのチェイサーは、よかれと思って、少女を親の元へと帰した。だが、親は少女を化け物だと追い払った。……そして、チェイサーは少女の面倒を見ることにした。それは……贖罪だった。一番のトラウマをあいつに植えつけたのは――――」
ショウが、ぎりりと奥歯を噛む。
「他ならぬ、俺だからだ。そしてそれは……まだ、終わっちゃいない」
まるで己に言い聞かせるようなその言葉に、ゲンじいが警戒するようにハンドガンをショウの頭へと向け――――戦慄に凍った。
窓から差し込む逆光に、その表情はうかがえない。ただその顔を染める影の中で、獣のごとき眼力を放つ瞳だけが、ぎらぎらと刺すような視線を投げかけていた。
「ひ――――!」
「そのチェイサーがなんと呼ばれていたか……まだ言ってなかったな。そいつは、『ブラック・ドッグ』……ヨーロッパでは死の予兆とされる、黒い犬。それになぞらえて、ブラック・ドッグ・ショウと呼ばれていた。あいつが『ドッグショー』と言ったのは、聞き間違いじゃなかったのさ」
ショウのその視線に、ゲンじいが数歩、後ずさりする。
「ば、馬鹿なことを言うな! ブラック・ドッグは、数年前に死んだと……」
だが彼のその言葉に、今度はショウがにやりと酷薄に笑った。
「……へえ。通りで最近、知名度が落ちたと思ったら、死んだことにされてたってか。なら、ここらで一発、派手にかましてやるのも悪くないな」
ショウの腰のリボルバーをちらりと見、ゲンじいが狼狽した様子で汗を垂らす。
「は、はったりを……!」
「賭けてみるか?」
対して、ショウは笑みを浮かべたまま。
「ブラック・ドッグの一番の得意技は、シングルアクションのリボルバーでの早撃ちだ。このルーレットに賭けてみるか? 真っ赤な嘘(ルージュ)か、黒い犬(ノワール)か」
ゲンじいの額から、じわりと汗が流れて行く。無言のまま、両者の呼吸が、それが流れて行くにつれ、静かに……止まった。
そして。
永遠にも思えたその空間の凍てつきが……一滴のしずくが落ちる音に、破られた。
――――刹那。
一瞬の轟音と、火薬のにおいが、その一室を支配した。
「……ふ、ふふふふふ……」
その支配の後に訪れた沈黙を破ったのは、ゲンじいの笑い声だった。さもおかしそうに、壊れた人形のように、彼は笑い続け。
「まさか……おぬしが……な」
倒れた。
「……悪いな。最初から、このルーレットの出目は決まってたんだ。黒に、な」
そして、部屋には静かに佇むショウ――――かつてブラック・ドッグと呼ばれた男だけが残された。
「くく、くくく……だが、わしを倒したところで……貴様も、チェイサーキャットも、結局は死ぬことには変わりない。ヴィクティムの軍は……ヒューマンの居住区を滅ぼすつもりじゃ……。ファースト・ワンの小娘を手に入れるためにな……」
「……やらせやしねえさ」
静かに、ショウはリボルバーをリロードする。
「ふはは、貴様一人で軍を!? 滑稽じゃな、その様を冥途のみやげとできぬのが……残……念……」
そこまではき捨てるように言うと、ゲンじいのその口はもはや、呼吸をすることはなかった。
「滑稽……か。確かに、な。だがあんた、一つ間違ってるぜ」
リボルバーをホルスターに戻しながら、ショウが言う。その目は、強く、シャドウの入り口の方角をにらんでいた。
「俺たちは……一人じゃねえ。一人じゃねえんだ」
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