I'm coming home

I,m Coming Home



大切なものを無くしたものと、大切なものと気づかぬもの。

それはどちらも、悲劇役者か。

 その頃、セトミとミナは、避難施設の中央集会所を脱出し、中層階を目指していた。


 ショウのナビゲーションと、何度かこの付近まで足を運んだことのあるセトミの記憶で、二人は進んでいく。


「ねえ……ミナの言う『おねえちゃん』って、どんな人? あ、私じゃなくて、ずっとミナを見ててくれたっていう人ね」


「……きれいなひと」


 いつもながらひどく端的に、ミナは言う。


「へーぇ、私みたいに?」


「ぜんぜんちがう」


「……あ、そう」


 冗談めかして言ったつもりだったが、まじめに返され、セトミは思わず舌を出す。


「セトミおねえちゃんみたいに、たくさんしゃべらない。いつも、ミナを見て、黙って、笑ってた。……でも、泣いてた」


 めずらしく饒舌なミナに、セトミは困惑する。笑ってたけど、泣いてた。


「どういうこと?」


 その言葉の真意をつかみかね、セトミが聞き返す。が、ミナは困ったように首を傾げるだけだ。その様は、どこか言葉を探しているようにも見える。


「……顔では笑っていたが、気持ちの中では泣いていた。……そうだろ?」


 ナビゲーションのため、つなぎっぱなしにしていた通信機の向こうから、紫煙を吐き出す音ともに、ショウが言う。

 その言葉に、こくこくとミナが首を縦に振った。


「……ドッグ、妙にミナの言おうとしてること、わかるよね」


 珍しくセトミが、ショウに感心したように言う。


「まあな。こんな感じのやつの相手は、初めてじゃねえしな」


 どこか含みを持たせたショウの言い方に、セトミはああ、と納得する。彼の言う『初めてじゃないこんな感じのやつ』とは、自分だ。

 幼い頃は、感情を押し込めて、しまいこんでいたから。また、裏切られるのが恐ろしくて。


 すると、その頃の自分は、彼にはこんな風に見えていたのか。だとすれば、ずいぶんと彼を悩ませたことだろう。いや、もしかしたら、今の方が悩ませているのかもしれないが。


「……おねえちゃん?」


 思わず笑みをこぼしていたセトミに、ミナが語りかける。


「ああ、ごめんごめん。それで、その人って、いつもミナを見てたの?」


「うん。白い服を着て、ミナを見てた。ときどき、ぴかぴか光る機械、さわってた」


 白い服……白衣だろうか。ぴかぴか光る機械とはなんなのかはわからないが、シャドウ内のなにかを管理したり、記録を取ったりしていたのかもしれない。


「……ドッグ」


「……だな。おそらく、ミナの正体を知って、観察などを行っていた研究者……という線が妥当だろう。もし、今の事態を把握していて、ミナの保護をしていたのなら、協力し合えるかもしれない」


 その言葉に、セトミがうなずく。


 と、ミナが突然、その歩みを止めた。瞳をかすかに見開き、小動物のように耳をすますと、視線を辺りへとさまよわせる。


「……どうしたの?」


 その様子にただならぬものを感じ、セトミが問う。


「……呼んでる」


「えっ?」


「あのおねえちゃん、呼んでる」


 その言葉とともに、突然、ミナが駆け出した。入り組んだシャドウの通路を、迷うことなく、一心に。


「ちょ、ちょっと、ミナ!」


 あわてて、セトミが追う。だが、ファースト・ワンとしての力が目覚めたせいなのか、セトミの走力をもってしても、なかなか追いつくことができない。


 ミナに追いつくことができたのは、避難施設の一角、『研究所直通昇降機』と書かれた小部屋の中だった。


「ミナ、どうしたのよ、急に走り出したりして! こんなところで一人になったら、危ないでしょ!」


 腰に手を当て、叱るように言うセトミに、ミナはただ、その部屋の中にあるものを指差して見せる。


「ここ。ここから……おねえちゃん、呼んでる」


「……これって、エレベーター?」


 それは確かに、エレベーターだった。非常時のためのものだったのか、見た限りはかなり頑丈そうだ。また、何かを運び出すことを想定して作られているのか、その入り口はやけに背が高く、3メートルはありそうだ。


 扉は硬く閉ざされているため、中の様子はうかがえないが、奥行きも相当のものなのだろう。だが、今は起動していないのか、スイッチに触れても反応はない。


「動いてないみたいだけど……もしかして、これも?」


 セトミが、その巨大な扉を指しながら言う。それに対し、ミナはこくり、とうなずく。


 ミナが、すっ、と扉にその手のひらをかざす。途端、機械の起動する低い音が、まるで眠っていた生き物が目覚めたかのように、唸り始めた。


 やがて、重々しい音とともに、扉が開く。


 そこに、さも当然といった表情で乗り込むミナに、セトミがあわてて続いた。


 二人が乗り込むと、エレベーターは自動的に扉を閉じ、下へと動き出す。どうもかなりの速度で動いているらしく、足にかかるGは重い。


 反射的に階数表示があるであろう場所を見上げるが、そこには何もかかれていなかった。どうやら、本当に研究所とやらに直通のエレベーターらしい。


「ミナ……この先に、いたの?」


 セトミの問いに、またしてもミナは無言でうなずく。


「ミナ、この先で、ずっとずっと、眠ってた。ときどき目が覚めて、おねえちゃんと心の中でお話しするとき以外は、ずっとずっと、眠ってた。でも、男のひとが来て、ミナを、起こした」


「起こした……コールドスリープから目覚めさせた、ってわけか」


 このところ、徐々にミナの言葉の翻訳係になりつつあるショウが唸るように言う。

「男の人……ハウリング・ウルフのロウガ?」


「恐らくな。最初にミナを連れていたのはやつだ。そこをお前さんが助け出した、ってのが一番しっくり来る」


 ショウが言い終わるのとほぼ同時に、足にかかっていたGが不意に消えた。どうやら、研究所とやらに到着したようだ。


 ――――しかし、とセトミは思う。あの速度からして、ずいぶん、深くまで下ってきたように思う。もしかしたら、研究所とやらはシャドウの中層部を通り越して、かなりの深部にあるのではないだろうか。


 だとすると、よほど重要な施設だったのだろう。だとすると、ロウガはどうやってここからミナを連れ出したのだろうか。


 考えをまとめる間もなく、入った時と同じように、重々しく、扉が開いた。その外は、一切の明かりがなく、エレベーター内の光だけが弱々しく暗闇の中に差し込んでいる。


 だが、ミナは相変わらずそれが当たり前のように、その中へと一歩踏み出す。


 と同時に、さっとその周囲を照らすように、灯りが点灯した。それはまるで彼女を出迎えるかのように、ミナが一歩踏み出すごとに、その周囲をまばゆい光で照らし出して行く。


「はぁー……。こりゃまるで、お城にお戻りになられたお姫様をお出迎えします、って感じだわ。ファンファーレでも鳴り出しそうね」


 感心したように言うと、セトミは居心地悪げに帽子を被りなおし、ミナの後ろについて歩き出した。


 そこは、ひどく無機質な空間だった。破壊や戦いの跡が見られる上層階と違い、傷ひとつない、大理石のような光沢を持つ黒い床には、何の意味があるのか幾何学的なラインが描かれている。

 ただの床ではなく、何らかの機械の一部らしく、そのラインを時折、光が走り抜けていく。それは、ミナの周囲を照らしていく光とあいまって、どこか幻想的な空気をかもし出していた。

 やがて、歩くミナの足が、止まる。ゆっくりと、上がって行く視線のその先に、それはあった。


 多くの機械に囲まれた、巨大なモニター。その元には、大戦時のものだろうか、数人がかりで制御すると思われる、見たこともないような規模のコンピューターらしきものがあった。驚くべきことに、まだそれは起動しているらしく、かすかながら、機械の作動音がさながら呼吸のごとく、規則的に聞こえる。


 不意に、そのモニターに、一瞬だけ、ノイズが走った。


 それを見たミナの瞳が、わずかに安堵したように揺れた。


「……おねえちゃん」


 そして……その声に答えるように、モニターが揺らいだ。次の瞬間、そこに映ったのは、一人の女性の姿だった。


 美しい、金色の長い髪。セトミが今まで生きてきた中で、記憶にないほどの優しげな笑みを浮かべた、若い女性だった。ミナの言ったとおり白衣を着てはいるが、その優しげな雰囲気とあいまって、研究者というよりは女医のように見える。


『おかえりなさい、ミナ。……無事で、よかった』


 透き通った声で、女性が言う。


「……セトミおねえちゃん、助けてくれた」


 セトミに話す時と同じように、ミナが端的に言う。


『……セトミさん、というのね。ミナを助けてくれて、ありがとう』


 ミナを見るのと同じまなざしで、セトミを見、女性が言う。


「別に、お礼を言われるためにしたわけじゃないし。私がそうしたかっただけ」

 なんだかその視線にえもいわれぬ落ち着きのなさを感じ、セトミは頭の後ろで手を組んで、そっぽを向く。


 なぜだろうか。その視線を向けられると、どこか胸の辺りがちくちくするような、奇妙な感触がする。


「なんでもいいけどさ。お礼を言う割には、モニターの向こうからってどうなの? 直で会ってお話がしたいもんね」


 皮肉めいた調子で腰に手をやりながら、セトミが女性のほうに向き直る。


「すみません。本当はそうしたいところなのですが、私にはこれが『直接話をする』ということなのです」


「はあ? 意味がわかんないんだけど」


「……ちょっと待て。そりゃ、まさか……」


 眉根を寄せるセトミの左手のデヴァイスから、ショウの声が響く。


「そちらのドクターはお気づきになられたようですね。――――申し送れました。私、このコンピューターにインストールされた擬似人格プログラム……エマ、と申します」


 にわかには信じがたい自己紹介を、エマと名乗った女性――――と称していいのか、それは

行った。

 プログラムだと言われても、正直、困惑しか感じない。それほどまでに、モニターに移る女性の挙動はごく自然だ。どこか別の部屋で、モニターを通して話をしているようにしか思えない。


「擬似人格……? なにそれ、どういうこと?」


 ますます眉根を寄せながら、セトミはその画面の人物を凝視する。


「ミナは……大戦前期から、コールドスリープに入っていました。大戦が始まって以降、最初の人々の目的は、『ヴィクティムの治療』でした。駆逐ではなく。ですから、発見されてすぐに、ミナはコールドスリープを施された。ヴィクティム化の進行を止め、その間に治療法を見つけ出すために」


 静かに語るエマの表情は、先ほどまでと打って変わって、ひどく透明な――――底の知れない水面のような、色のない表情へと変わっていた。それは、読み取ることのできない、深い、深い、水面。


「しかし、その間に世論も戦局も変わってしまった。いつからか、人々の目的は治療法から、根絶のためと変わっていた。ミナは眠り続けたまま、実験と観察を繰り返された」


「……それはそれは、素敵な昔話ね。素敵過ぎて反吐がでそう」


 ひどく苦々しげに、セトミが吐き捨てる。どこかミナに感じていた、自分と近いような感覚は、いやな形で的中していた。


「……はい。おっしゃるとおりです。研究員の中にも、同じ思いのものがいました。それが……ミナの母です」


 ほんの一瞬、エマが唇を噛んだのを、セトミは見た。


「彼女は、それまで人々の治療のためと、ミナを研究対象とすることを、身を切る思いで認めてきました。……しかし」


 エマの声のトーンが、下がる。


「自分の娘を……兵器を生み出すための素材にするなど、到底許せないことでした。そこで彼女は、基地と、研究施設に対して、たった一人で蜂起を起こした。メインコンピューター……私のOSを乗っ取ることによって」


「……………」


 鋭い瞳でエマを見つめながら、セトミは無言で彼女の話を聞いている。


「敵を識別できるヴィクティムのコードを書き換え、部屋のロックに幾重にもプロテクトをかけ、彼女はこの部屋に立てこもりました。眠ったままの、ミナとともに。蜂起は成功し――――シャドウからは人々が消えました。ですが、彼女は外に出ることはできなかった」


「……今度はヴィクティムがやってきたんだな」


 ショウの言葉に、エマがゆっくりとうなずく。


「はい。彼らもまた、ミナを利用しようとするであろうことは、明確でした。ですから彼女は、ここをミナ自身にしか開けられないようプログラムし――――命を絶ちました。彼女自身ですらも、この部屋の扉を開くことはできないように設定したためです」


「……自分ならば開けられるよう設定して、利用されることを……恐れて……?」


 珍しく、セトミが驚愕の表情で言う。


「その通りです。指紋認証や声紋認証などを使ったとしても、自分が騙されたり、利用されれば意味がない。命を賭して、彼女は、このミナのための小さな王国を閉ざしたのです。そして……死ぬ前に、私というプログラムを作り上げた。いつか、きっと誰かが、ミナを助けてくれる。そう信じ、それまで、彼女を守るシステムである、私を」


「……なんてこった」


 さすがのショウも、その声は驚嘆の色を隠しきれていない。


 エマの話に、思わずセトミがミナを見る。こんな小さな身体に、そんなに重いものを背負って……でも、この子は、きっと、まだそれを理解できていない。長く、永い眠りの中に、すべての記憶を置いてきてしまったかのように。

 現に、今の話にも、ミナは不思議そうな表情で首を傾げるだけだ。


 セトミは、一瞬、ぐっと唇を噛みしめ、ミナの頭をがしがしと撫でた。


「……よくがんばったね。そんな長い間、二人だけで……」


「だが、そこまで賭けて敷いたプロテクトが、なぜ壊れた? やつらにここまで侵入されたということは、あんた――――つまり、ミナを守るはずのシステムが、突破されたということだろう?」


 通信機の向こうで、タバコの煙を吐く気配がする。ショウがタバコを吸うときは、考えを整理したいときであることを、セトミは知っていた。そして、吐き出すときは、己の思いを吐き出すときであることも。


 ――――自分と同じく、ショウも、ミナを守りたいと思っているのだ。強がっていながらも、セトミはその彼の思いを、どこか心強く感じて笑み――――ふと気がついたように、苦い顔で頭を横に振った。


「――――私のようなプログラムも、永遠に存在することはできません。機械といえど、永いときにさらされれば、それとともに朽ちていくものなのです。私も、例外ではありません。本体には、すでに長年の疲れが見えています。徐々に、セキュリティもその有効範囲を狭めています」


「それで、ハウリング・ウルフのハッキングを許してしまった……というわけか」


「女王様がお年を召して、王女様を守りきれなくなった、ってことね」


 ショウとセトミが、同時にその見解を口にする。ひどく現実的なショウのそれと、皮肉げなセトミのそれに、エマが苦笑する。


「……ふふ、そういうことです。では、ここからは、もう少し現実味のある話をしましょうか」


「……大体、想像はつくけどね。――――ミナを、守ってくれ……ってんでしょ」


 帽子の下に手をやり、頭を掻きながらセトミが言う。


 その言葉を待っていたかのように、エマがにっこりとうなづいた。


「……はい。私も、この子には兵器などになってほしくないのです。愛を知り――――愛を与えて、生きてほしい」

「……ふ、まるで聖母様だな」


 穏やかに言うエマに、ショウがどこか影のある口調で言う。


「さて、では早速ですが、やっていただきたことがあります。ミナを彼らから守るには、ヴィクティム軍特殊部隊、ヴェノムを倒さなくてはなりません。彼らの最終的な目的は不明ですが、そのための手段は、ミナの身柄の確保と、シャドウ最奥部の扉を開くことのようです」


 そこまで言葉を紡ぐと、エマはにわかに険しい表情を作る。


「すでに、ミナを連れて行くために新たな刺客がこちらに向かっています。セトミさん、あなたには、彼らの撃退をお願いします」


「おっけー、やることはわかりやすくて結構結構。んじゃ、さくっと片付けてきますかね」


 早くも部屋の入り口へと向かおうとするセトミに、エマが声をかけた。


「待ってください。監視カメラが彼らの映像を捉えました。……これは?」


 緊迫したその声に、すでに歩き出していたセトミが振り返る。モニターには、エマの姿の代わりに、こちらに向かっているという刺客の姿が映っていた。


「ちょっ……なによ、こいつ?」


 その瞳が、驚愕に見開かれた。モニターに映っているそれは、人間でも、ヴィクティムでもなかった。巨大な姿のせいでモニターに捉えきれていない、それ――――。

 それは、怪物としか言いようのないものだった。画面いっぱいに広がる、巨大な節足動物のような物体。毒々しい、赤黒い身体は幾何学的に彩色され、生理的な嫌悪感を嫌が応にもかき立てる。


 まるで巨大化したムカデのような、その身体。しかしそれがさらに化け物じみているのは、本来ならば頭があるはずであろうその部位……そこに生えているのが、人型の上半身であることだった。


「……シャドウのデータベースにも、このような兵器やヴィクティム化クリーチャーは載っていません。どこから現れたのかも……」


「……いや、どうやらこいつ、俺たちのお知り合いのようだぜ」


 不意に、ショウがエマの言葉をさえぎる。


「あの上半身……あの異常な肌の白さは、さっき上で一戦交えたセンチピードってヴィクティムじゃねえか?」


 その言葉に、改めてセトミはモニターを凝視する。巨大なムカデのような部分にさえぎられて確認することは困難だが、確かにその肌の色はあのセンチピードという男と酷似していた。


「確かにそれっぽいけど……でもなに? お色直しにしては、斜め上を行き過ぎてる――――」


 腰に手を当てながら皮肉めいた調子で言いかけたセトミの目が、不意に剣呑な色を帯びた。その視線は、再びモニターに注がれている。


「どうした?」


「……あいつ……!」


 クリーチャーらしきものはどうやらカメラの稼動範囲内から移動してしまったらしく、すでに映ってはいない。

 代わりに、そこには一人の男が映し出されていた。


 白衣に丸眼鏡の、穏やかな笑みを浮かべた男。体躯や肌の色を見る限り、ヒューマンのようだ。彼はゆっくりと、散歩を楽しむかのようにシャドウ内を歩いている。先ほどのクリーチャーを見ているのか、その表情は飼い犬と公園にでも来たかのように楽しげだ。

 それだけに、そのまとう空気の異質感は、見るものの心をざわつかせた。


 不意に、男がカメラに気づいたのか、こちらに視線を向ける。途端、その笑顔がぐにゃり、と歪んだ。その一見、穏やかな細い瞳が、獲物を見つけた毒蛇のごとく笑む。


 その表情に、記憶の奥底で、それが囁いた。


『――――大丈夫――――』


「あの時……の……!」


 帽子を押さえ、視線を落とす。自分でも気がつかぬ間に、ぎりっと、歯が音をたてて軋んだ。


『――――怖くないよ。痛くもない――――』


 気づけば。瞳の熱さに、その色が紅く染まっていることを感じ取る。前頭部の違和感と、異常なまでに研ぎ澄まされていく感覚に、怒りが炎を注ぎ込む。


『――――すぐに、おかあさんのところにも帰れるからね――――』


「あの時の……っ!!」


 ――――私を、『しゅじゅつ』した男。この紅い瞳と、猫の耳のような突起を持つ、『化け物』に変えた男。


「おねえ、ちゃん……」


 それまでに見たこともないような、セトミの怒りの形相に、ミナが怯えた様子で数歩、後ずさった。


 ――――あのときの、『おかあさん』と少し似た、表情。


 セトミはそれを振り払うかのように、くるりと踵を返し、走り出す。それに気づいたミナが、その背を追って走り出した。


「おねえちゃん、私も――――」


「来るなッ!」


 怒鳴るつもりなどなかった。ただ、この胸の慟哭を抑える術を、自分は知らなかった。


「――――あいつは、私が倒す。ミナは、ここにいて」


 早口に告げると、セトミはミナを振り切って、エレベーターへと向かった。




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