The song of stray cat
The Song Of Stray Cat
差し伸べられた手に、戸惑うことしか知らないもの。
その夜、シャイニー・デイ。
セトミは、ミナツキを連れて、その人物と会っていた。セトミはあっけらかんと、ミナツキは相変わらず無表情で、その人物は呆れたような渋面を作っていた。
「……お前なあ。そいつぁ、一体なんの冗談だ?」
その人物は、ドック・ショウ。そして、その視線の先には、ミナツキ。
「冗談もなにも、私は大真面目だよ?」
頬杖をつきながら笑うセトミの表情は、その言葉とは裏腹に、まさにチェシャ猫の笑みそのものと言うにふさわしい。
「それはそれで問題大アリだ。そんなもん、依頼として扱うチェイサーがどこにいるってんだ?」
「いるよ、いるいる」
「どこに?」
「ここに」
矢継ぎ早に言い合うセトミとショウを、ミナツキがその言葉を追うように交互に見ている。
ショウがここにいることからも分かるとおり、セトミはミナツキの姉を探すことを、依頼として受けることにしたのだった。
「んなこと言って、報酬はどうすんだ? マージンは?」
「シャドウを漁れば、ちょっとは稼ぎになるものが出てくるでしょ。そっから出すって。てか、ちっちゃい子の前で、あんまりがっついたセリフ吐くのも、どうかと思うよー」
小指の爪で耳を掻きながら、セトミが言う。
「……お前な、仕事なんだぞ。ちったぁまじめに……」
「はい、お待ちどうさまでした。セトミちゃん、出番よ」
相変わらず渋い顔のショウの言葉に割って入るように、アリサがセトミに声をかける。その言葉に答えて、彼女はすっと席を立った。
「おっけー、ギターは?」
「はい、これ」
セトミは、アリサの差し出したエレキギターを受け取ると、満足げにそれを一掻きし、鳴らす。アンプのつながっていないギターが、シャン、とどこか切なげな音で鳴いた。
その音を確かめるようにして、セトミはバーの片隅にある、小さなステージへと向かって行く。
「お、おい!」
あわてて、その背を呼び止めるように、ショウの手が彼女の方へと伸びる。
「ごめんね、今日、一曲やってくれって頼まれてるの。話の続きはその後ってことで。ま、バーボンでもやりながら待っててよ」
しかしその手は、肩越しにウィンクしてみせるセトミの言葉に、あっさりと振り切られ、迷い子のように、宙をさまようだけだった。
「……チッ。アリサ、ターキーあるか?」
所在なさげに立ち尽くすのを取り繕うように、ショウが頭を掻きながら、アリサにたずねた。
「はい、ございます。ロックで?」
「いや、ストレートでくれ」
「チェイサーは、いかがいたします?」
そう聞くアリサの微笑みが意味ありげに見えてしまうのは、果たして自分がひねくれているからだろうか。
「……いらねえ」
恐らくその酒をのどに流し込んだときよりも、数段渋い顔であろう渋面で、ショウはうめくと、あきらめたように、椅子に座りなおした。
「……おじさん、あのおねえちゃんの、なに?」
不意に、今まで黙ったままだったミナツキが、ぼそりとつぶやいた。その視線からして、どうも自分に言ったらしいと悟ったショウは、運ばれてきたバーボンを危うく噴き出しそうになった。
「おじっ……お兄さん、だ。俺は……そうだな。あのノラ猫娘に、たまに餌の面倒を見てやってる、保護者みたいなもんだ」
飲み干した酒と同じような苦々しさで、ショウは思わず吐き捨てる。バーボン特有の、のどの焼けるような熱さに嘆息し、ステージの上のセトミを見た。
「どもども、ステージの上では久しぶりー。ところで、どこの誰? 私のへたくそな歌なんかリクエストしたの。酒がまずくなっても知らないよー? てか、私仕事中なんだけど。リクエストしたやつ、後で一杯おごれ!」
いすに座り、ギターを構えながら、セトミが曲を聴く体勢になり始めた客たちに笑顔で言い、彼らを沸かせる。
「んじゃまあ、前置きはこのくらいにして――――曲は、『ストレイ・キャット』。あー、泣きたい酒の人がいるのね、今日は」
ふ、と。彼女の顔を、どこか優しく、どこか物悲しい、複雑な色が染めた。
ゆっくりと、その指がギターを奏でだす。アンプにつながれていないエレキギターの、どこか危うげな、それゆえに儚げな旋律が、シンプルなコードを切なく染めて、泣くように、鳴く。
――――私は、たった一人で、この世界にやってきた
孤独を背負って、暗い道を歩いて
道行く人に視線を投げかけても、誰も振り向いてはくれない――――
――――なぜ? 愛なんて求めてないのに
愛なんて求めてないのに
胸を弾丸で撃ちぬかれたみたいに、風穴が空いているのは、なぜ?――――
その、普段のセトミとはまるで違う――――その気まぐれさを猫と形容される彼女とはまるで違う、箱の中に置き去りにされた捨て猫のような、危うげで儚い歌声に、ショウは一口、酒を飲む。
焼けるように、のどが熱い。
――――生きることに必死で、心のどこかにあった何かを、私は捨てた
だからもう、胸の風穴を埋めるものはなにもないの
ねえ、だから私、温かな手を差し伸べられたって、
どうしたらいいかわからないの――――
これは、彼女の歌だ。少なくとも、ショウはそう思っていた。人間とヴィクティムのハーフとして孤独に生まれ、両者から蔑まれ、生きる術だけを身に付けてきた、昔の彼女の。
――――私は世界を一人ぼっちでさまようノラ猫
あなたが手を差し伸べてくれても
私はあなたを傷つける爪しか持ってないの――――
その頃の彼女は、まさに歌の通りだった。ヴィクティムの因子を持つがゆえの力か、カタナという彼女の爪は、自分が生きるためだけに振るわれ、容赦なく、鋭かった。
そしてその心は、胸に風穴を空けられたかのように、心無く、冷たかった。
――――それでもその手を差し伸べてくれるなら
どうか、どうか、その手を離さないで
その温かさで風穴を埋めておいて、
また放り出されたりしたら、
私はもう冷たさに耐えられないから――――
だが彼女は、ショウと出会い、徐々に変わった。人と接し、感謝したり、されたり。触れ合って、行き着いたのが、一見、天真爛漫に見える、今の彼女。
そう。まさに、捨てられ、孤独に生きてきたノラ猫(ストレイ・キャット)が、人に徐々に心を開くように生きてきた――――チェイサーキャット。
ショウは、傍らの少女を、ちらりと見た。その少女は、今は食い入るように、セトミの歌う姿を見ている。
感情を決して表に出そうとしない、少女。いや――――違う。感情の示し方を忘れたような、その少女。
セトミは、そのどこかに、自分と同じにおいを感じたのかもしれない。だから、放っておくことが、できなかった。
「――――へっ、拾ったノラ猫がやっとなついたと思ったら、同じ境遇の子猫ちゃんを連れてきた――――ってか」
自嘲じみた笑みを浮かべ、ショウはまた一口、酒を口に運んだ。
そのショウを、不思議そうな瞳で、ミナツキが一瞥した。
「わかったよ。一匹飼うも、二匹飼うも、いまさら大して変わりゃしねえか……」
なぜだか妙な親心のようなものを不覚にも感じてしまい、ショウは「酔うにはまだはええはずなんだがな」と一人ごちた。
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