disastro

蓼茅うによ

*

 

 上空では黄色がかった灰白色の雲が太陽を覆い隠していた。目立つようなものが何もない、枯れ果てた木々がまばらに生えた黒い荒野で、いきなり現れるようにして存在する擂鉢状の巨大な窪みがあった。

 それは非常に大きく、直径六キロメートルはあるように見えた。その陥没したような地形の中心に少女がいた。我々はあの窪みから十キロほど離れたところにある高台から双眼鏡で彼女を捉えたのだった。

 「見ろ、女の子だ。」

 「なに。なんてことだ。生身じゃないか。防護服も着ずに………。危険すぎる。」

 こんな重度の汚染地域に生身の子供がいた。双眼鏡でしばらく様子を見て分かったことだが、彼女はまだ生きていた。ありえなかった。

 僅かだが息があるようで、窪地の黒い土に突っ伏してはいるが肩がほんの少し動いているのがわかる。ボロボロな緑色の大昔の軍用雨具の上衣"だけ"を着た、小柄で華奢な少女だった。

 この一帯はかつて終戦間際に核弾頭が炸裂した土地の一つで、今でもその汚染がそのすべてを侵していた。そして、それを目当てにやってくる"奴ら"がいた。この場所は彼女のようなものが訪れてよい場所ではない。当然我々もこんなところへは来たくはなかった。彼女は突っ伏している体を無いに等しい力で何とか起こそうとしていた。気を失っていたせいか、うまく体に力が入らないようだった。

 「おい、あれは何とかならないのか。」

 「なるわけがない。どのみち、あの子は終わりだろう。」

 我々は、彼女を遠くから見ることしかできなかった。………なぜなら、もうすでに"奴ら"はあの巨大な窪みの縁にやってきていたからだ。彼女のいる窪地の周りで無数の"奴ら"がそれを囲っている。

 "奴ら"の体は大小二、三十メートル。特に決まった形のない意味不明な臙脂色の肉体。血管のような筋がその隅々まで張り巡らされ、うごめいている。"奴ら"は互いに身を犇めき合わせながら彼女へ近づいている。こうなれば誰しも終わりだ。彼女はもう助からないだろう。彼女は腕を地面について必死に起き上がろうとしている。"奴ら"の輪は徐々にその幅を狭め、彼女に迫っていた。私はもう、見たくはなかった。

"奴ら"の作り出す忌々しい円は見る間にその範囲を絞り、彼女との距離は人でいう数歩ほどでしかなかった。彼らはその重鈍な肉体を蠢かせながら眼前の餌を今にも貪ろうとしている。

 "奴ら"は摂食時に"腕”を造り出す。しなやかで柔軟なそれは、頭足類の触腕のような「腕」で、吸盤はないのだが、条件によれば無数に生やせるらしかった。そして“腕”には「腕」としての機能だけでなく、肥大化させたり、伸縮させたりと様々な形状へと変形させることができた。

"奴ら"のうち一体が早速、"腕"を造りだした。彼の肉の一部が蠢動し、泡立つと、それは瞬く間に丸太並みの太さで彼女の背丈の何百倍もの長さを有する"腕"となった。すると周りの"奴ら"も次々と"腕"を造り出した。少女を仕留めるためだけにこのような大きさの"腕"を、それも集団で作るはずがない。そもそも、この数の"奴ら"が一堂に集まること自体がおかしい。"奴ら"は飢えているのだろうか。それとも、この少女は―――。私は嫌な予感がし、少し寒気を感じた。

"奴ら"の一体が"腕"を鋭く伸ばす。それは肉眼でとらえることはできない神速の一突き。今だ必死に起き上がろうとしていた彼女の胴を背中から貫いた。周りもそれに続き、"腕"を彼女に突き刺す。無数の腕は彼女をいくつかの肉片へと変えてしまった。―――と思われた。

 数片の彼女だった何かは、謎の蠢動を始めた。何かを察知した"奴ら"は伸ばしていた腕を皆引っ込めている。彼女の一つ一つが、そのうちの大きなものを中心として互いに集まり、蠢き泡立ちながら、肉肉しい、歪な彼女のようなものを形づくった。彼女のようなものはゆっくりと、何事もなかったかのように立ち上がった。彼女のようなものの瞳は右側が前髪で隠れて見えなかったが、もう一方はどこともつかない、どこでもない何処かを見つめている。ゆっくりと蠢く彼女らしきものは段々とその動きを速めていった。まるで沸騰しているかのように肉が泡立ち、脈動する。沸騰する肉は徐々にその大きさを増していく。彼女だったものは脈動し、ぱんぱんに肥大化した後、一気に凝縮するとそれは完成した。奴らと同じ"腕"に似た、新しい部位を造り出した。それは彼女の背中から今いる窪みを飛び出して遥か彼方、天のその先にまでも伸びているように見えた。奴らの腕の比ではない。彼女の背中から一本のありえない太さの肉の幹が生えており、はるか上空で二股に分かれている。二対の腕は上空でゆったりと絡まりあったり、たわんだりしていた。その"腕"を見た後では、やつらの腕などただの小枝でしかなかった。

 彼女ががっくりと首を垂れてうつむくと、二本の恐ろしく巨大な腕が瞬時に振り下ろされ、窪みの地面を激しく叩きつけた。二十九体ほどの"奴ら"を叩き潰し、粉々にした。その後はもう、見たくはなかった。私の隣にいる人間はそうでもないようだったが。

 彼女は奴ら"肉ども"を規格外の"腕"で次々と粉砕していった。我々人類にはどうすることもできなかったあの無敵の怪物がいとも簡単に破砕されていき、ただでさえグロテスクな

"肉ども"が見るも無残で不快な、荒々しい挽肉へと変えられていく。———あの華奢で儚げなか弱い少女がこんなにも凄まじい力を内に秘めていたとは。彼女は考えられないような力ですべてのあれらを潰し尽くした。すると彼女の"腕"は脈打ちながらゆっくりと縮んでいく。あのような巨大なものが背中から体の中へと完全に収まった。よく見ると彼女の体は継ぎ接ぎの悍ましい姿などでなく、もとの儚げな少女の姿に戻っていた。

 彼女は相変わらず首をもたげたままだった。よろめきながら奴らの成れの果てである肉片の一つに歩み寄った。彼女は膝から力が抜けたかのようにその肉へと倒れこむとそれに勢いよくかぶりつき、貪りはじめた。我々は信じられなかった。我々人間はいかなる状況においてもあれらの屍肉など決して口に運ぼうとは思わないだろう。彼女は人間ではない。しかし彼女は奴らでもない。奴らは共食いをしないし、奴らは彼女のようにある一定の姿でその身を固定できない。だが、彼女は少女のような姿で奴らと同じ力を使役する。———彼女はいったい何者なのだろうか。

 彼女は手ごろな大きさの肉片を五つほど食べた後、我々の前から忽然と姿を消した。

 

 我々二人は荒涼たるひどく大きな窪みでの謎の少女の発見とその生態について、我々が所属する組織へ報告することにした。弱点など何もない無敵の怪物を唯一殺傷できる少女。彼女について研究すれば我々は奴らに打ち勝つことができるかもしれない。しかし、それには問題があった。

 

 彼女は我々の味方なのだろうか。

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