ACT79 あんまり無理はダメですよ?
「おはよう……って、なに、この、ピリっとした感覚」
「も、ものすごいプレッシャーだね」
茶々と桐子の、実力テストでの勝負が決まった日の、その翌日。
朝のHR前、昨日と同じく朱実と仲良く登校した真白が、教室に入った矢先。
室内から、鬼気迫るような雰囲気が入り口にまで流れてきたのに、真白と朱実は同時に身を震わせた。
このプレッシャー、何処から……と思ったものの、その発生源を見分けるのには、そこまで時間はかからない。
「大丈夫ですか、茶々様」
「平気よ、このくらい……」
教室の片隅、茶々の座席……というか、その座席に座る茶々本人からである。
勝ち気な釣り目には隈が出来ており、特有のもちもちほっぺも少々規模が縮小している模様。総じて、お肌の状態がよろしくない。
「どうしたのよ、茶々様。こんなにやつれて」
「ね、寝不足ですか、茶々様」
「ああ、真白に朱実、おはよう。……ふ、大したことないわよ」
「大したことありまくってるわよ。奈央さん、なんでこんなことに?」
茶々に寄り添って彼女の具合を看ている奈央に尋ねると、奈央も少々困った様子で、
「はい。茶々様は、明日の実力テストのために、今のこの学年のカリキュラムが何処まで進んでいるかを把握するのに、一日すべてをかけたようで」
「把握……あ、そうか。英国と日本では、やっぱり違うものね」
「も、もしかして、茶々様はもうすべて把握を?」
「ふん……よ、余裕よ。徹夜になったけど、対策も全部整えたわ。あとは引っかけ問題の対応や、ケアレスミスの可能性を潰していくだけ。言わば、準備の最終段階ね」
「やけに慎重ね、茶々様。どうしてそこまで念入りに?」
「決まってるじゃない。黄崎桐子が強敵だからよ」
真白の問いに、茶々はきっぱりと答えた。
この時だけは、徹夜で少し弱っていた瞳に生気が宿り、こちらを真っ直ぐ見てくる茶々の眼力の強さに、真白は思わず息を呑む。
「一目でわかったわ。アイツは天才よ。大雑把のように見えて、その行動の一つ一つに意味を持たせている。なおかつ、何事にも手を抜かない。あんなの、万堂に身を置いてた頃にも見たことがないわ」
「茶々様」
「それに、お爺様はいつも言っていたわ。すべての敵を侮るなかれ。どんな相手であろうと、勝利のために出来る限りのことを尽くすこと。その教えが、茶々を高みに登らせてくれるの」
「――――」
驚いた。
わがままで、誰に対しても上から目線のように見えて、勝負に相対するすべてを強敵と認めているのだ、彼女は。
気高く、誇り高く、それでいて何事にも出来る限りを尽くす。
なるほど。彼女の言う大社長になるという夢は、伊達ではない。
八葉茶々は、必ず大物になる。
真白は、そう思えてならない。
「でも、やっぱり無理をするのはいけないことですよ、茶々様」
「朱実?」
真白が感心する傍ら、朱実は未だに神妙な面持ちであるのに、茶々はきょとんとなる。
「茶々様のそういうところ、わたしも昔からとても尊敬してるんですけど、同じくらい心配でもあるんです。昔、極稀なケースでしたけど、そうやって頑張り過ぎて、体調を崩したことありましたよね」
「う……そ、そうね」
「仁科様、それは私のサポートが至らなかっただけで――」
「紺本さんは黙ってて」
「…………はい」
奈央、朱実の勢いに、いつもの瞳を伏せた落ち着いた様子ながらも、少ししゅんとなっていた。
真白にとっては、なんだか珍しいものを見たような気がした。
それはともかく、朱実の進言は続く。
「茶々様の目指す高みもわかります。高みに至ったら至ったで、いろんな人が茶々様に付いて行くと思うし、茶々様は、そのいろんな人を大事にしていくと思うんですけど。何より、自分自身のことを大事にしないとダメです」
「……朱実」
「一昨日、わたしもシロちゃんも、茶々様に出来ることはするとは言いましたけど。その茶々様自身に倒れられては困りますし、悲しいです」
「――――」
「だから、頑張っても、頑張りすぎないようにしてください。いいですね」
「……わ、わかってるわ。準備は最終段階って言ったじゃない。それについては、時間もあまりかからないし、終わったらきちんと休むわよ。それでいいでしょ」
「よろしい」
茶々が少々顔を赤くしながらも殊勝気味に頷くのに、朱実は、ふんす、と満足げである。
まさに、やんちゃな妹と、しっかり者の姉といった様相だ。
……こういう、たまに出てくるお姉ちゃんなところも、朱実の魅力の一つのように、真白は思える。
「…………」
隣にいる奈央も、それを感じているのか、何故かちょっと『むー』となった様子ながらも、何も言えないようだし、
「まったく。朱実は相変わらず、他の同年代の子は愚か、奈央ですら言いそうにないことを、きっぱり言ってくるわね」
「一応、格は違えど、親戚ですし、わたしにとっても大切な幼なじみですから」
「! ホントに……茶々は、朱実のそういうところを、昔から……ごにょごにょ……」
「? どうかされたんですか、茶々様」
「……なんでも、ないわ」
茶々も茶々で、お姉ちゃんモードの朱実には逆らえないようだ。
未だに顔を赤くしつつも、胸のあたりを押さえながら、彼女から眼を逸らしてぶつぶつ何かを言っている。
ただ、その内容については、真白は当然として、朱実にも推し量れない様子であった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
なんであれ、茶々様が言うことを聞いてくれて良かったよ。
桐やんとの勝負の行方が気になるっていうのもあるけど、やっぱり、茶々様には元気でいて欲しいしね。
「まあ……ゆっくり休むのもいいけど、朱実がそこまで言うからには、朱実からも、何かしら茶々の士気をあげて欲しいところね」
「え?」
茶々様、先ほどの殊勝な状態から元に戻ったらしく、ニンマリとこちらに笑みを向けてきたのに、わたしはビクッと肩を震わせる。
「わ、わたしから?」
「そうよ。出来るだけの協力をするって、言ったでしょ? 今がその時よ」
「言いましたけど……わたし、茶々様より成績は結構下だと思いますから、何が出来るかはちょっと思いつかないような……」
「決まってるじゃない。今度こそ、あの、朱実得意の猫の泣き真似よ」
「ぃっ!? ま、まだ諦めてなかったんですか!?」
「当然よ。アレを聞きたくて、茶々はここに転入する前からずっとウズウズしてるのっ。今度こそ、ふっふっふ……!」
「ちょっと、茶々様」
シニカルに笑いつつ、手をワキワキさせながら近寄ってくる茶々様なんだけど、そこで、シロちゃんからの制止が入った。
「朱実にそういうちょっかいはやめてって言ったよね」
「ふ、よく考えなさい、真白。あなたも朱実の一番の友達を名乗るならわかるはずよ。……朱実の猫の泣き真似、見たくない?」
「見たいわ」
シロちゃ――――んっ!?
よく考えずの即答だった。
「朱実、初めてそれを聞いたときから、あたしもとっても興味あったの。この機会に、ね? ね?」
「真白がそういうからには、茶々を遮るものは何もないわ。朱実、覚悟を決める時よ」
制止する側から荷担する側になってるシロちゃん。相変わらずノリノリの茶々様。
この勢いを止められる可能性があるとしたら、傍らで状況を見守っている紺本さん――
「よろしいのではないのでしょうか?」
「紺本さんっ!?」
「いつもは過ぎたお戯れではありますが、今回は茶々様の士気をあげるという名分もあります。乃木様も乗り気です。私が止める理由はないかと。……いろいろな意味で」
「うぬぅ……!」
助けを呼ぶ視線を向ける前から、紺本さんも梯子を外してしまった。取り付く島は残っていない。
「わかった、わかりました! 一回だけですよ!?」
もはや、是非もなし。
わたしが腹を括ったのに、シロちゃんと茶々様は『おおっ!』と歓声を上げて、じっとこちらをワクワクとした期待の眼差しで注目している。
あと、紺本さんも、瞳を伏せながらも、わりと耳を澄ませているようである。
あまりハードルをあげないでくれないかな、三人とも……。
「コホン。では、行きます」
ええい、ままよ。
五年ぶりだけど、その時の感覚を、思い出して。
「………………にゃーあ」
『!』
そのように、か細く、鳴いて見せた瞬間。
シロちゃんと茶々様は、クワッと眼を見開いて、
『は~~~~~~~~~~~~~~~~~~…………』
シロちゃんは頭を抱えて天を見上げて、茶々様はぞくぞくと全身を震わせながら、何やら限界を迎えていた。
さながら、追っかけしているアイドルに笑顔を向けられた時のファンの如く。
「お見事」
ちなみに、紺本さんはいつもと変わらない様子で、淡々と拍手していた。それが彼女流の賛辞であることを、わたしは知っている。
その反応もどうかと思うけど。
「朱実っ!」
「え……うっわ!」
と、限界を迎えつつもどうにか意識を復帰させたシロちゃんが、そのままわたしに抱きついてきた。
「やっぱり、朱実は最高よっ。もう、最高に可愛いっ! 最高っ!」
「し、シロちゃん、語彙力がなくなってるっていうか、みんなが見てる見てる見てる……!」
「ず、ずるいわよ、真白だけ! 茶々も!」
と、横から茶々様まで抱きついてくる。
「朱実、本当に五年もブランクあったの? 実はいつも練習してたんじゃないの? 昔のレベルを遙かに上回ってたわっ!」
「えええっ!? いや、五年ぶりって言うのは、紛れもない事実で……!」
「思わず抱き締めたくなっちゃうじゃない! 朱実のせいだからねっ!」
「そ、そうは言われましても……!」
「わかってるじゃない、茶々様。こんなの見せられたら、抱き締めるしかないわよね?」
「真白、あなたとここまでわかり合えるとは思わなかったわ」
「あー、もう、二人とも、なんなの……!?」
よくわからない理由で、シロちゃんと茶々様のハグに挟まれるわたし。
これ、どうすればいいんだろう。
……こう言うとき、紺本さんに助けを求めても、ダメなんだろうか。
「……いい、ですね」
紺本さん、なんだか羨ましそう!?
まさか、あの紺本さんまで、混じりたいというのだろうか……!?
「奈央、あなたもボーッとしてないで、こっち来なさい」
「え……」
と、その視線を察したのか、茶々様が紺本さんに向かって手招きをする。
いや、待ってくださいよ、茶々様……!
「あの、よろしいのでしょうか」
「いいに決まってるでしょ」
「いや、よくないんですけどっ!?」
「ほれ、奈央、カムヒア。茶々達と同じく、ぎゅーっとするのよ」
「カムヒアじゃなくてっ!?」
「では、その、失礼いたします」
「紺本さんっ!?」
紺本さん、控えめな足取りながら、こちらに歩み寄ってきて、
「? 奈央、なんで、茶々をぎゅーってしてるのよ?」
わたしではなく、茶々様の背中に回って、おずおずと彼女の身体に腕を回していた。
力加減も最低限であるが、紺本さん本人はそれで限界のようである。
「いえ、その、スペースがなかったもので、茶々様から間接的にという形で。いけなかったでしょうか?」
「……ま、いいわね」
「いいのっ!?」
茶々様、もはや細かいことを考えていないようであった。
ともあれ、わたしが二人+一人にくっつかれる、この構図。傍目から見たら、なんだこれ……と言われそうだけど。
「……いいな」
「イイ」
「写真撮りたくなっちゃう……」
「よかったい……よかったい……」
「ホント、非の打ち所がないどころか、こちらに非があるレベルで完璧よね」
「こんなことがあっていいの……?」
「今、私の中に、
クラスの皆からは大好評なようで、大変温かい目を向けられてしまいました。
あー、もう、好きにして……。
「朱実」
と、投げやりになってる傍ら、茶々様、少し顔を赤くしながら、小さな笑みを向けてきて、
「ありがと」
「? 茶々様?」
「あなたのおかげで、ますます魂入ったわ。実力テスト、絶対勝つから。見ててねっ」
「……はい」
昔から、稀に見ることが出来る、少しだけ素直な茶々様。
こういうところもあるから、わたしも、彼女のことを大切と言えちゃうんだよね……。
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