ACT77 想像できない、これからよね?


「茶々の父が、グループの社長職を解任されたという報は、もう、朱実には届いているわね?」


 場が落ち着いたところで、茶々はそのように切り出した。

 先ほどの赤面したものとは打って変わって、表情には苦々しげな雰囲気が滲んでいる。


「はい。お母さんからメールで。その、社長の解任と共に、グループの人事が再編されてるって」

「公式発表はまだ先になるわ。今、少しゴタツいてるみたいだから」

「……茶々様」

「あと、仁科や藤宮ふじみやといった分家……つまるところ、あなたや真耶まやの家についても、微細な影響があると思うけど、移転とかそういう大きな変化はないから、心配しないでいいわよ。あくまでこれは、父のによるものだから」

「やらかし?」


 ひとまず、朱実に大きなことが起こらなさそうな事実については、ホッとしつつも……やらかし、というワードがちょっと引っかかって、真白が問うと、茶々はコクリと頷いて。


「どうも、茶々の父は、企業や会長には内緒で、個人とごく近しい側近だけで、非公式な外資に手を出していたようなのよね」

「非公式……それって」

「端的に言うと、汚職です」


 奈央が付け加えてきた。


「元より、万堂グループ内は、大きく二つの派閥で分かれておりました。万堂の長男――茶々お嬢様のお父様を中心とする社長派、同じく万堂の次男を中心とする専務派。今回のお家騒動は、その専務派が、社長派の汚職を暴いたことによって成ったものであると」

「派閥……なんだか、医療ドラマとかにありがちな展開ね。そういうの、あるんだ実際」

「うーん、わたしも詳しくは知らないんだけど、ね。聴いたことだけはあるよ」


 どうにも、複雑な事情があるらしい。

 おそらく、真白は永遠に関わりそうにない世界であるのだが、それはともかく。


「で、その父のやらかしで、グループの信用が一時は窮地に立たされて、どうにか建て直しに成功したんだけど、やはり茶々の父はその引責で社長職を解任、および外国の僻地に島流し。お母様に関しては、グループの会長――茶々の御爺様の差配もあって、父と離婚。一人娘である茶々や、昔から茶々に仕えていた奈央と一緒に、この小さな町に移住することになったワケ」

「離婚……だから、万堂から八葉って名字になってるってこと?」

「そう。万堂を出奔するのに、迷いはなかったわ。父は、お母様に対する愛情が冷め切っていたし、茶々自身も政略の道具みたいな認識だったからね。事実、この一年か二年のうちに、三十も年上の実業家に茶々を嫁がせるという話もあったことだし」


 憎々しげに吐き捨てる。よほど、茶々も彼女の母親も、その父親とは不仲であったということか。

 そんな彼女に、真白は少し複雑な気分を抱いたのだが、この場でかけられる言葉を持ち合わせていない。

 家庭にはそれぞれの形があるというのは、父親がいない自分には、身を持ってわかっていることだし。


「まあ、今も今で制限はあるけど、一般家庭くらいの生活は保証してくれるし、茶々を学校にも通わせてくれる。何より、アイツの手から解放される。お母様も茶々も、それで充分だったわ」


 そこまで話して、茶々はふぅと一息。

 その顔はわりと晴れやかである。


「とまあ、そういう経緯で、大金持ちのお嬢様から庶民に大幅格下げってところね。笑ってくれてもいいわよ」

「あ、いや、笑うなんて、そんなこと出来ないですよ茶々様。いろいろ大変だったんだし……」

「朱実。茶々はもう、茶々『様』じゃないわ。ただの茶々よ。その辺、今は割り切りなさい」

「そ、そんなこと急に言われましても」

「大丈夫。茶々はこれから一から勉強して、努力して、茶々を愛してくれるお母様やお爺様にしっかりと恩返しして、いずれは万堂グループを凌ぐ企業の大社長になる予定だから。その時にはまた、朱実に茶々『様』と呼ばせて見せるわよ」


 小さな体躯のわりに、結構育っている胸を張って、茶々は得意げにふんぞり返る。


「おお……さすが茶々様、相変わらずスケールが大きい……」

「ただ、茶々のお気に入りだった、朱実の子猫の泣き真似は今後も聴かせて欲しいところね。というか、今やって欲しいわね。さあ、さあ」

「あ、いや、それはもう、小学校の時に卒業したというか……!」


 シニカルな笑みを浮かべて、両手をワキワキさせながらにじり寄る茶々と、頬に汗を垂らしながらジリジリと後退する朱実。

 このまま、朝の再現になるか、というところで、


「お嬢様。朝のことをお忘れのようですが、仁科様に害を及ぼそうものなら、乃木様が黙っていらっしゃらないのでは」

「う……」


 奈央が横から忠告を入れるのに、茶々はハッとなる。次いで、慌ててこちらの方を見ようとするが……その前に。

 真白、ゆっくり、つかつかと茶々の方に歩み寄って。


 ――ガッシと、その華奢な肩をつかんだ。


「ぃっ!? ご、ごめんなさ――」

「八葉さん、あなた、立派よ」

「い……へ?」


 そして。

 真白は、ちょっと涙目になってる茶々の顔をまっすぐに見て、己の今思っていることを吐き出した。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 おおぅ、シロちゃんってば、ものっすごく目が潤んじゃってるよ。

 ……そういえば、映画の時(ACT09参照)もあったように、こういう壮絶な話には結構弱いんだっけ。 

 だから、これは、もしかしなくとも――


「八葉さん、あなたの心意気に、あたしはとっても感動したわ」

「え?」


 目線の高さを合わせて、優しい声でシロちゃんが言うのに、茶々様、まだちょっと呆けてるけど。

 シロちゃんの言うことは続く。


「第一印象はそこまでいいものじゃなくて、とても我が儘な子だと聞いてたけど、見事にひっくり返ったわね」

「え? え?」

「大きな環境の変化があったばかりで大変だというのに、一から頑張って、努力して、お母さんやお祖父さんに恩返しをしたいって言えるなんて、こんな立派なことってある?」

「そ……そうよ。り、立派でしょ。思う存分に敬うといいわっ」

「あたしも、生まれたときからお父さんが居なくて。でも、ここまで育ててくれたお母さんに、ずっとずっと恩返ししたくて」

「え。そ、そうなんだ……」

「だからあたし、あなたを見て、もっと頑張りたいと思った。あなたのことを、あたしは心の底から尊敬するし、応援したい」

「! あ…………あ、ありがと……」


 そう言われて、茶々様は再びボッと顔を赤くする。先ほどのような、頬だけでなく、今度は耳まで真っ赤だ。

 照れている、どころの話ではない。

 こ、これは、少し、いやな予感……!


「だから八葉さん、あたしに出来ることがあるなら、何でも言ってね」

「え……ええ。それなら」


 そして。

 そのシロちゃんの勢いに当てられて、茶々様は、


「じゃあ、乃木、さん。あなたを、茶々の――」



「ストップ! ストーップ!」

「お嬢様、これ以上は落ち着いた方がよろしいかと」



 ボーッと熱に浮かされたかのように何事かを言おうとする茶々様に、わたしと――紺本さんが、ほぼ同時にインターセプトをかけた。

 この二重の横やりに、茶々様はハッとなって、目を白黒させている。


「え? あれ? 茶々は、一体何を……?」


 あと。

 今さっき、自分が何を言い掛けたかを全く覚えておらず、ちょっと混乱しているようだった。

 ……何となく、助かった心地だ。


「いきなりなんなのよ、朱実」


 そして、シロちゃんの方はというと、首を傾げて困惑気味である。

 わたしは、心の中でこっそりと息を吐いて、


「シロちゃん、わたしの前で浮気はメッだよ」

「……朱実、可愛い」

「色ボケはいいから、真面目に聞いて。……いやまあ、可愛いって言ってくれるのは嬉しいけどもっ」

「ん……っていうか、浮気って言われても、あたし、そういう気持ちはサラサラないわよ。ただ、八葉さんが実はとてもいい子だったから、出来ることなら八葉さんに協力したいと思っただけよ。健気で、とてもかわいげがあるじゃない」

「うん。シロちゃん、そう言うところだよ」

「え?」

「まあ……茶々様に何かしてあげたいって気持ちはわたしも同感だから、シロちゃん一人でしようとしないで、二人で、しよ?」

「! ……そ、そうね」


 わたしが、少し雰囲気を持たせて上目遣いでお願いするように言うと、シロちゃん、ちょっと頬を染めながらも、頷いてくれた。

 ふぃー、なんとか軌道修正出来たよ。

 ……なんとなく、シロちゃんの言っていた雰囲気の作り方を、理解できたような気がする。


「お嬢様。善意を受け取るのは結構ですし、助力を得ようとするのも大変必要なことですが。いきなり急速に事を進めるでなく、一歩ずつ段階を踏むのが肝要かと」

「……なんだか、軍事作戦みたいなことを言ってるけど、奈央の言いたいことはわかるわ」


 そちらも落ち着いたらしい。

 紺本さんがゆっくりかつ丁寧なレクチャーに、茶々様は呼吸を取り戻したようだ。


「まあ、そういうことだから。朱実も乃木さんも、茶々が必要と感じたら、どんどん茶々を助けること。わかった?」

「わかったわ。出来る限りで、どんどん頼って頂戴」

「シロちゃんみたいに安請け合いは出来ないですけど、まあ、茶々様にはそれなりにお世話になった面もあるし、協力できることなら」

「ん、いい返事ね。だから二人とも……その、茶々の……」


 と、茶々様、ここまでスムーズかつ尊大だったようだけど、何故かそこで言葉に詰まった。

 シロちゃんに言われたときのようにとまではいかないけど、心なしか、頬が赤い。

 これには、シロちゃんは頭に『?』を浮かべているし、わたしも少し茶々様の迷いの意図を推し量ることが出来ない。


「と……」

「と?」

「と……と……」

「都?」

「仁科様、乃木様。私から代弁させていただきますと、お嬢様は改めて、お二方のお友達になりたいと申されておりまして」


 詰まる茶々様の台詞を、紺本さんが代弁してくれた。


「なっ……!」

「乃木様に関しては少々イレギュラーでしたが、仁科様に関しては、元よりお嬢様は――」

「あ、こ、こら、奈央! それ以上言うと、いくらあなたでも承知しないわよっ!」


 紺本さんに噛みつくかのように制止をかける茶々様。

 ええと……わたしが、元より、なんだって?

 よくわからないんだけど、茶々様は顔真っ赤で何も言ってくれそうにないし、紺本さんは相変わらず瞳を伏せた澄まし顔だしで。

 ……これは、あまり、掘り下げない方がいいのかな?


「友達くらいなら、いくらでもなってあげるわよ」


 と、首を傾げるわたしとは裏腹に、シロちゃんはあまり細かいことを考えなくて良さそうで。

 茶々様に、手を差し出して、


「これからよろしくね、茶々様」

「……さっきも朱実に言ったけど、『様』って呼ばなくていいわよ」

「でも、なんだかその方が、しっくりくるのよね。朱実もそう思わない?」

「ん、そうかも。やっぱり、茶々様は茶々様と呼ばせていただく方が、わたしとしても」

「なんか、調子狂うわね……。まあ、好きにすればいいわよ。茶々も、好きに呼ばせてもらうから」


 苦々しげに、だが、それでもどこかエラそうに、茶々様はシロちゃんの手を取る。

 ともあれ。

 わたしにとっては久々の再会、シロちゃんにとっては突然の邂逅から始まった二学期。

 情報量が多すぎて波乱の幕開けだったけど……ううん、これから、どうなっちゃうのかな。

 まるで、想像できないよ……。


「ちなみに乃木様、私についてはなんと呼んでいただけるのでしょう。出来ればお名前であると喜ばれます。主に私に」

「なんだかワクワクしてるように見えるのは気のせいかしら……ま、いいわ。ええと、奈央さんでいい?」

「……案外、普通ですね」

「でも、それがぴったりくると思うの。奈央さん、茶々様の頼れるお姉さんって感じだし、あたしや朱実のことも、なんだか優しく見守ってくれそうだし」

「そうですか?」

「それに奈央さん、スタイルも良いし、とっても美人だから。その全体の優美さも相まって、余計に奈央さんって呼びたくなっちゃうのかも」

「…………それは、その、ありがとうございます」


 そして、わたしの目を離した隙に、またも発揮されるシロちゃんの無意識。

 このパワーアップぶりもどこまで行くのか、まるで想像できない……!

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