ACT56 少しだけ、わがままを言ってみよ?


「とても、お恥ずかしいところを、お見せしてしまいましたの……」


 お母さんの実家である倉田家に到着した後、お爺さまとお婆さまの出迎えを受けて。

 それからすぐにお母さんがお婆様と共に夕飯の準備に入って、お爺さまは近所の寄り合いに用があるとかで出かけちゃったので。

 わたしと真耶ちゃんは、夕飯まで居間で待機という形になったんだけど。

 先ほど、車内で重たいオーラを滲ませていた真耶ちゃんは、気絶から復帰してからはずっと、落ち込んでいた。

 どうも、暴走しかけていたといっても、その時の記憶がないということはないらしい。


「……まあ、好きな人が他の誰かと一緒に居て、ちょっと面白くない気分になるっていうのは、誰にだってあることだと思うよ。だから、あまり気にしないでいいって」

「それでも、お姉さんの隣に居たお方が、朱実さんの大切な人だという事情に、わたくしがちゃんと聞く耳を持っていれば……」


 そうそう。

 藍沙先輩の隣に写っていたシロちゃんについては、わたしの……まあ、お母さんが表現するところの、らぶらぶな相手であると、真耶ちゃんには説明済みである。

 すぐに納得してくれた感じではあるけど、やはり、嫉妬心を燃え上がらせてしまったことの、真耶ちゃんの中の後悔については、拭いきれないみたい。


「わたしとしても、ちょっと思うところあるけどね。シロちゃん、藍沙先輩に憧れ的な意味ではゾッコンだし、写真も写真で『近すぎない?』って印象もあるし」

「……でも、朱実さんは、なんだか余裕を感じられますの」

「んー、それは、わたしがシロちゃんを信じてるからかな」

「信じる?」

「うん。シロちゃんが、藍沙先輩や他の子と写真に写ってたり、仲良さげにしてても、それはシロちゃんの魅力なんだなって。それでいて、気持ちがそっちに行っちゃったりせず、きちんとわたしのことを好きでいてくれるって」

「…………」


 思ったことをそのまま言ってみると、真耶ちゃん、驚いたように目を丸くしながら、わたしのことを見ていた。

 心なしか、顔が赤い。

 あれ? 何か、おかしなこと言ったかな?


「真耶ちゃん?」

「あ……はい、その、朱実さん、しばらく会わないうちに、とても大胆になりましたのね」

「え? だ、大胆?」

「彼女さんの魅力についての自慢だったり、自分のことを好きでいてくれるって自信だったり、そんなお惚気を、躊躇なく……ついつい、わたくしの方が、恥ずかしくなってきましたの……」

「あ……いや、その、ただ単に、わたしにとってはシロちゃんがそうであるって話だけで! 決して、そのつもりは……!」


 よくよく思い返すと、これは確かに惚気だったかも知れない。

 本当に、心からそう思ってるだけに、自然と口に出ていたんだけど……うーん、シロちゃんの無意識が写っちゃったかな。

 悶々としている間にも、真耶ちゃんは、少し苦笑して、


「朱実さんは、これからいつでも大切なお方に会えますのね……」

「ん……まあ、そうといえば、そうなんだけど。真耶ちゃんは、やっぱり小学校と高校とで違うから、藍沙先輩とは時間とか合わないのかな」

「そうですね。それに、お姉さんは、とても忙しいお方ですから……」

「…………」


 確かに。

 藍沙先輩、精力的に活動している部活の他にも、近所の喫茶店バイトだったり、家事だったり、友達との付き合いだったりと、ほとんど休む間もなく身体を動かしていると、シロちゃんから聴いたことがある。

 わたしと同じくらいのあの小さな身体に、どこからそんな力が湧いてくるのだろう、とも思えるくらいに。


「誰かのために、何よりも自分のために、活動するお姉さんもとても素敵なのですが……」

「……真耶ちゃん」

「やっぱり。わたくしは、寂しいですの」


 先ほどのことで気が落ち込んでいる状態なのも手伝って、膝を抱えて、俯く真耶ちゃん。漆黒の瞳の目尻には、涙の雫が浮かんでて、今にも溢れだしてしまいそう。

 ちょっとだけ、胸が痛くなる。

 こんな時、わたしはどんな声をかけてあげたらいいだろうか……と考えたけど、


「真耶ちゃんっ」


 考えがまとまらないうちに、居ても立っても居られず、わたしは彼女の名を呼んでいた。


「……朱実さん?」


 結構大きな声だったのか、真耶ちゃん、少し驚いたようだけど。

 それにも構わず――もう一度、シロちゃんの無意識にあやかって、今、わたしが想っていることを、そのままに。


「今すぐ、藍沙先輩に電話しよう」

「え……い、今すぐ?」

「そう、今すぐ。寂しいなら会いに行けばいい。面を合わせなくとも、どんな形でもいい。待ってても来ないから、自分で今すぐ動き出してっ」

「で、ですが、お姉さんは、忙しい身ですし、今もおそらくはバイトの時間であるかと……」

「昔から真耶ちゃんはいつもいい子なんだから、こういう時は、ちょっとだけわがままになってもいいのっ。もし何かあっても、わたしが全力で責任とるからっ!」

「――――」


 わたしが強く言い切るのに、真耶ちゃん、何かを感じ取ったのか。

 目尻にあった涙を拭ってスマホを取り出し、一度だけ深呼吸。そうして心に活を入れて、まだ少し慣れない手つきで番号を呼び出し、耳に当てる。

 会話の状況が気になるので、わたしも少し真耶ちゃんに寄らせてもらってっと。


「…………」

「…………」


 コールが一回、二回、三回。

 真耶ちゃんの呼吸からは彼女の心臓の音が聞こえてきそうであると共に、コール音が妙に長く感じる。

 まだか、まだか。

 六回、七回……といったところで、


『もしもし、委員長ちゃん?』


 出た。

 委員長ちゃん、という呼称が少し気になったのだが、真耶ちゃんはそう呼ばれ慣れているらしく、特に気にした様子もなく、ただただ緊張した声音で、


「は、はい、お姉さん。真耶ですの」

『いきなり、どうしたの? というか……ちょっと、久しぶりになるわね。委員長ちゃん。元気だった?』

「はい。わたくしは、変わりないですの。お姉さんこそ、息災で何よりで……」

『うん、ありがとね。それで、今日はどうしたのかな? 今、バイト中だから、ちょっと手短にしてほしいんだけど』

「え、えっと……」


 真耶ちゃん、言葉に詰まってしまう。

 わたしと同じで、考えが纏まっていなかったようだ。

 でも、それでも。

 せめて、何かしらの勇気を与えられるように、わたしは、真耶ちゃんのスマホを持っていない方の手を、キュッと握ってあげると。

 真耶ちゃん、何かを思いついたようで、


「そ、その、お姉さん、夏休みはお暇な時間とかありますのっ? わたくし、お姉さんとお出かけしたいところが……」


 おおっ。

 これは、もしかしなくても、デートのお誘いの常套句……!


『んー、私、少なくとも七月一杯は部活やバイトでスケジュールが埋まってるし、八月も、ちょっとわからないのよね……』

「――――!」


 ただ、返ってきたのは、芳しくない藍沙先輩の声。これには、わたしと真耶ちゃん、ガクリと肩を落とす。

 やはり、そう簡単にはいかないか……と、わたしは思ったのだが。

 それでも、真耶ちゃんは、


「す、少しだけでもいいですから……わたくし、お姉さんとお会いしたいですの」

『委員長ちゃん?』

「だって……もうずっと、あなたとお会いしてなくて、わたくしは……真耶は、ずっと……寂しくて……」

『――――』

「一時間だけでもいい。なんなら、一分だけでもいい。それ以降は、夏休みに会えなくなったっていいっ。ですから、真耶のわがままを、どうか……どうか、聞いて、もらえませんか?」

『…………ちょっとだけ、待っててもらえる?』


 と、少しだけ黙って聴いていた藍沙先輩、電話の向こうで誰かと何かを話し始めたようだ。内容は聞こえてこない。

 ただ、関西弁の男の人と独特な発音の女の人の声。さらには、シニカルで尊大な印象の女の子の声との会話の様子が、電話越しに聞こえて……ほどなくして、息遣いが近づいてきたことから、藍沙先輩が戻ってきたのがわかった。



『――ごめんね、委員長ちゃん』



 そして。

 戻ってきた彼女の第一声に、真耶ちゃんとわたし、揃って息を呑んだ。特に、真耶ちゃんの顔はとても強ばっている。

 ここまで真耶ちゃんがお願いしても、ダメだったか……と、思ったが、



『寂しい思いをさせて、本当にごめん』



 果たして、彼女のその謝罪に続きがあった。


『私、ずっと誰かを笑顔にしたいって思いで頑張ってたんだけど、ついつい、身近な人の笑顔をなくしちゃうところだったわ』

「……お、お姉さん、それって」

『うん。七月末の土曜日、一日だけお休み取れたから、その日に二人で遊びに行こっか』

「――――」


 おおおおおっ! 大逆転勝利、来たっ!

 わたし、思わずガッツポーズ。

 真耶ちゃんも真耶ちゃんで、自然と眼に涙を浮かべて、危うく言葉を失いかけたものの、どうにか気をしっかり保って、スマホを強く握りしめて、


「は……はいっ」

『ただ、今はバイト中で詳しく話せないから、また近いうちに連絡するわ。その時にまた、お出かけの細かいことを決めましょう。それでいい?』

「わ、わかりました。よろしく、お願いしますの……!」

『じゃあ、また今度ね、委員長ちゃん。久しぶりにお話出来て、嬉しかったわ』

「あ……ま、待って。お、お姉さん、最後に一言だけ」

『ん、なに?』


 会話が終わる前。

 真耶ちゃん、大きく深呼吸。

 ……この心身の活の入れ具合、もしや。



「――お姉さん。大好きですのっ」



 言った――っ!?

 う、わ、すごい、なんだか、こっちまでドキドキするっ!?

 本当に、あんなにも、ちっちゃかった真耶ちゃんが、こんな、う、わ――っ!?


『ふふ、ありがとね』


 対して。

 藍沙先輩の反応は、優しく、さらっとしたものだった。

 ……これはもしかしなくとも、妹分の親しみ的な方向の受け取り方だよ。真耶ちゃんの年齢が年齢だからしょうがないかもだけど……うーん、先輩、もうちょっと真剣に向き合ってあげてほしかったなぁ。


「ふぅ……」


 とまあ、わたしが悶々としている傍ら、電話を切った真耶ちゃんはというと――一度大きく息を吐いてから、とても、清々しい顔をしていた。

 さっきまでの落ち込んだ状態からは、劇的な変化だ。


「真耶ちゃん?」

「今は、これでいいですの。いつか届くと、信じてますから」

「……そっか」


 ああ、強い子だな。

 心から、わたしはそう思ったし。

 これからも、この子は強くなっていくんだな、と。

 それと同じくらいに、わたしもこの子に負けていられないな、この子と同じくらい、それ以上に、もっと強くなりたいな、と。

 強く、強く感じた。


「ありがとうございました、朱実さん。背中を押してくれなかったら、わたくし、ここまで勇気を持てませんでしたの」

「わたしはちょっとアドバイスをしただけだよ。あくまで、動いたのは真耶ちゃんだったから。……頑張ったね」

「はい……頑張りすぎたためか、ちょっと、力が抜けちゃいましたの……」

「夕飯までまだ時間あるから、ゆっくり休もう」

「そう……ですわ、ね……ふぅ」


 がくり、と真耶ちゃん、小さな身体をわたしの方に預けてきた。

 そんな彼女のことを、わたしは、優しく抱き締めてあげる。従姉妹のお姉ちゃんとして、これくらいのことはしなきゃね。

 本当にギリギリまで頑張ったためか、真耶ちゃん、ものすごくぐったりしていた……というか、この力の抜け具合は、尋常でないような――



「って、真耶ちゃん、魂抜けてる――――っ!?」



 見ると、ふよふよと、真耶ちゃんの口から霊魂らしきものが飛び出してきていた!?


『……今なら、どこへでも……いけそうですの……』

「逝っちゃダメ――――っ!?」


 わたし、大慌てである。

 彼女のこんな状態になったのも初めてのような気がする……って、


「どうすればいいのこれっ!? 目の前で魂抜けられる現象とか、対処しようがないんだけどっ!?」


 とまあ、途方に暮れたわたしなんだけど。



「まあまあ、これまた……エキセントリックな事態ですわね」



 ほどなくして、騒ぎを聞きつけたらしいお母さんが、居間にやってきた矢先。

 宙に浮かぶ霊魂をキャッチし、それを真耶ちゃんの口内に戻して、後はちょいちょいちょいと身体にタッチするだけで、


「……はっ」


 真耶ちゃん、息を吹き返した。

 原理は不明だけど、どうにか、事なきを得たようだった。


 ……なんというか、もう、どこからつっこめばいいかわからないよ。

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