ACT42.55 ゆっくりでも歩けるんじゃないですかね?


「あー……」


 その後は何事もなく校舎を出て、桐子と奈津は帰路につくことが出来た。

 放課後になってから結構経っているためか、今、二人が歩いている学校から駅までの徒歩十分の道のりに、生徒の人影はほとんどない。


『…………』


 そんな静寂の中にあって、さっきのこともあってか、桐子も奈津も口を開けずにおり、穿いている靴の硬質な足音だけが、やけに大きく響く。

 桐子としては、この空気は少しもやっと来るのだが、今、何を話せばいいのかがわからない。

 奈津も同様であるらしく、神妙な顔をしたまま、ギクシャクとした様子で歩いている。


 うー、ミスった……あーもう、ボクのバカバカバカ……おなつに嫌われちゃったかな……。


 桐子、そんな彼女を見て、後悔の繰り返しである。

 本当に、あの時はどうかしていた。

 教室内の真白と朱実のああいう場面を見た影響もあって、ほとんど流される感じで、奈津に手を出そうとしてしまった。

 遠くから先生に声をかけられなかったら、おそらく、あのまま行っていたと思う。

 いつもは細かいことを気にしない桐子だが、こればかりは、アレコレ考えざるを得ない。


 それくらい、奈津の気持ちを考えないといけなかったことだし。

 それくらい、桐子にとって、奈津の存在が大切になっていた。


「……お、おなつっ」


 だからこそ。

 このまま黙っているわけにはいかない。

 最寄りの駅まで、あと五分。自分の失態に、きちんとケジメを付けなければ。


「な、なんですか?」

「さっきはゴメンッ!」

「え……き、桐やんさん?」

「アカっちとシロっちのあんなのを見てっ、変な気持ちになっちゃってて、こう……おなつに、変なことしようとしちゃって。ボク、おなつにどう謝ったらいいか……!」

「いえ、その、頭を上げてください。自分、そこまで気にしてませんし」

「いーや、ダメだっ。あそこまで暴走したのは流石にいけないっ。今すぐ、この場で土下座だって五体倒地だってなんだって――」

「ス、ストップ、ストップです、桐やんさん。とりあえず、落ち着きましょう」


 思考をぐるぐるとさせながら、直立して五体倒地を実行しようとする桐子に、奈津が慌てて止めてくる。

 テンパっている自分とは裏腹に、奈津はどうにか冷静のようだった。緊張をしている様子ではあったが、今の桐子よりはずっと状態が良好である。

 それに気付いて、桐子もどうにか落ち着いたものの、なんだか恥ずかしくなった。


「ふぅ。だ、大丈夫ですか、桐やんさん」

「えと、その……はい」

「それだけ落ち込まれていると、まだまだ元気はないと見受けられますが……まあ、いいです。自分の話を、聞いてください」

「? 話?」


 言われて、桐子はふと視線を下から前へと上げると。

 奈津は、顔を少々赤くしながらも、一つ大きく呼吸して、


「――あの時のことは、イヤじゃ、なかったですよ」

「…………え?」

「だから、イヤじゃ、なかったんです」

「イヤじゃなかったって……も、もしかして」

「はい。あの時、桐やんさんにキスされそうになっても、自分は、イヤな気持ちなんて一つも抱いてませんでしたよ」

「え、そ、そんな、どうして――」


 と、そこまで問いかけようとして、桐子は気付く。

 奈津の言おうとしていることは、もしかして――


「はい」


 その心理を悟ったかのように、奈津は頷く。

 そして、もう一つ深呼吸。

 心に渇を入れるかのように、眼鏡を外して、今のこの時でもとても綺麗と言える緑の瞳でこちらを真っ直ぐに見つめてきて。



「自信のなかったこの眼を綺麗だと、あなたに言ってもらえたその時から、自分はあなたのことをお慕いしておりますのでっ!」

「――――!!!!!」



 古風な言い回しではあったが、もちろん意味はわかっていた。

 そして、もしかしてと思ったことはその通りのことで、桐子の胸中にあの時の熱を再点火させるには充分な言葉だった。


「う……わ……」


 顔が熱い。鼓動が早い。息が浅い。両手で押さえても、治まらない。

 ここまで真っ直ぐに誰かに想いをぶつけられたのは、桐子にとって初めてで。


「…………やば、嬉し」


 思わず、呟きが口をついて出た。

 そう。

 とても、嬉しかった。とても、幸せな気分だった。

 今、目の前にいる少女に抱いている気持ちがそうであると、つい昨日に気付いたばかりだけど。

 だからこそ。

 様々な気持ちが、今、この場で溢れてきて。


「ぼ、ボクも!」


 気がつけば、それは声に出ていた。



「――おなつのこと、めっちゃ好きになってる!」



「うぇ……っ!?」


 今度は、奈津が熱くなる番だったのだが。

 桐子の溢れ出た気持ちは、それだけで止まらなかった。


「シロっちの時は一瞬だったし、諦めも早かったけどっ! おなつのことは、その綺麗な眼を見たときから好きになり始めてたしっ! その日から仲良くなるにつれてちょっとずつ好きになっていったしっ! 昨日話を聞いてもらえたときは、ちゃんと好きだって自分の中で理解できたしっ!」

「――――」

「そして、今さっき、おなつに好きだって言われて、また、現在進行形でものすごく好きになってるっ!」

「!!!!!」


 そこまでまくし立てることで。

 それを正面から受けた奈津は、一歩、二歩、三歩と後退して、


「あ……あ~~~~~~~~…………」


 そのまま、へたり込んでしまった。

 いかん、いろいろと、ぶつけすぎたか。

 でも、この想いを誰にも止められることが出来るはずもなかった。


「だ、大丈夫か、おなつ」


 ともあれ、桐子は慌ててひざまづいて、未だに地にへたり込む奈津の様子を窺う。

 数秒ほど、彼女の緑の眼の焦点が合っていなかったもの、どうにか復活した様子で、


「ええ、その……なんですかね。やっと言いたかったことが言えて、それで、好きって思いが叶って。こんな風に腰が砕けちゃうって、本当にあるんですね」

「おなつ」

「それくらい、今、自分は……嬉しいです」

「――――」


 弱々しく、綺麗な瞳を細めて微笑む奈津を正面にして。

 桐子は、また、彼女への想いが溢れるのがわかった。


「わ……き、桐やんさん」


 気が付けば、膝を突きながらも、ついつい、彼女のことを抱き締めていた。

 小さくて、細っこくて、壊れてしまいそうで、それでいてとても熱く感じる。

 そのすべてを感じ取ることで、


「ボクも、嬉しいけど。何より、ホッとした」

「桐やんさん?」

「おなつの気持ちも確認しないで、あんなことになりかけちゃって。嫌われたらどうしようって何度も何度も思って。でも、おなつはボクのことを好きだって言ってくれて」

「……桐やんさん」

「よかった。……よかったよぅ」


 とても安堵して、安らいだ気持ちになって。

 一瞬、涙が浮かびかけたけど、


「嫌いになるなんて、そんなことはないですよ」


 奈津が、こちらのことを抱き返してくれた。


「自分は、何があったって、あなたのことを見つめていますから」

「おなつ……」


 そんな風に、優しく抱き合って。

 どちらかが計るまでもなく、お互い少しだけ身体を離して、穏やかに見つめ合いながら、


「おなつ、好きだぞっ」

「はい。自分も、桐やんさんのことが大好きですよ」

「ずっと一緒に居てくれよなっ」

「もちろんですよ。……ずっと、あなたのお傍を、離れません」


 そう言って、奈津は、少し顎を上げて緑の瞳を閉じた。

 それだけで、桐子は彼女が何を求めているのかを悟る。

 言わば――これは、さっきの続きというやつだ……!

 ドクン、と鼓動が一つ高鳴った。

 あの、真白と朱実の重なりを見た勢いからではなく、お互いを好きだと伝え合った上での、この場面。

 幸い、現状、周囲に人影はない。

 まさに、最高のシチュエーション。


「…………」


 いいのか、と桐子は己に問いかける。

 いい、と奈津は無言で言っている。

 ――ならば、行くしかない。

 華奢な肩を、そっと掴んで。

 先ほど、彼女の緑の瞳と同じく綺麗だと思えた、そのふっくらとした唇に――


「…………ぅ」


 己を――


「…………う、うぅ」


 重ね――



「…………うあああああああぁぁぁ、やっぱダメだあああああっ!?」



 られなかった。

 桐子、頭を抱えながら、地面をごろごろと、のたうち回った。


「き、桐やんさん?」

「ゴメン、おなつ、ボクもう限界っ! さっきからもういろいろと考えに考えすぎて、しかもいっぱい緊張したから、もう頭が追いつかないんだぁぁぁ……っ!」


 普段、細かいことを考えない桐子であるだけに。

 真白と朱実のことだったり、勢いでの未遂だったり、気まずいまま五分歩いたり、お互いの告白合戦だったり、さらには、バスケの試合以上に緊張するこの場面。

 もはや、頭の中はパンク状態になっていた。


「……まあ、自分も自分で、これ以上前に進んでいたらどうなっていたかはわかりませんがね」

「ゴメン、ゴメンよぅ、おなつ。ヘタレなボクを許してくれぇぇぇ……」


 何も考えられない。

 ただただ情けない。

 もし真白なら、このシチュエーションでも迷わずに進んだだろう。ここでも決定的な差を感じた気がする。

 さすがに、今この場の桐子は、ポジティブになれなかったのだが、



「――別に、良いと思いますよ」



 奈津の、そんな風にかけられた優しい一言が。

 ふと、桐子の顔を上げさせた。

 もう場が治まっているので、彼女は眼鏡をかけ直しており、その緑の瞳は見え辛いけど……視線が、どこまでも優しいというのは、わかった。

 そして、こちらに差し伸べてくれている、小さな手も、また。


「桐やんさん、あの御二方の超特急の真似をするなんてことはせず、自分達は自分達で、ゆっくり行きましょう」

「……いいの?」

「ええ。これまで、桐やんさんの明るさには、いつも引っ張ってもらいましたから。今回くらいは、自分に引っ張らせてください」

「…………」


 ああ。

 その言葉が、その微笑みが、桐子の心に沁み入っていく。

 本当に。

 好きになったのが、彼女でよかった。

 そんなしみじみとした思いで、桐子は、差し伸べられてくる彼女の手を取って、


「……ありがと、おなつ」

「はい」

「……結婚しよう、おなつ」

「は……って、うえええぇぇ!? い、いやいやいやっ、だから、そこまで超特急にならなくていいんですって!?」

「ごめん、なんだか、自然と口に出ちゃったっ。でも……将来、本当にそうありたいと思ってるっ」

「……もう、本当に、そういうところですよ」

「ははは」


 そうやって、笑い合い、手を取り合いながら。

 桐子は、ゆっくりと歩き出す。

 奈津も、それに合わせて力強い歩みを見せてくれる。

 本当に。


 ――二人で、ずっとこうやって、歩いていきたいな、と。


 心から、桐子は思った。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★

 

 今日は、いろいろなことがあって。

 今も、いろいろ思うところではあるのですが。

 ただ一つ、言えることは


 よかったです。


 ええ、本当に、よかったですとも……!

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