第四十一話 手放したくないもの
「なんでレイナが泣いてるの?」
唐突に泣き出した私を見て、ユーリがやや困惑ぎみに問いかけてくる。
そう思うのも当然だろう。
今一番泣きたいのはユーリであるはずだ。
ユーリにとって私たち、いや主に私への嫉妬心を忘れることは必要なことだったのだ。
ここ最近のユーリの変化は彼女の望んだ変化であった。
しかし、そうまでしてせっかく忘れた記憶を私が強引に思い出させてしまった。
そのせいで私たちの友情にひびが入ることになるかもしれない。
こんな状況は誰も望んでいなかった。
ユーリはもちろん、私自身もだ。
きっとアレクシアだって望んではいなかっただろう。
私はユーリがもとに戻れば、またアレクシアと三人仲良く過ごせると思っていた。
けれどそれは思い違いに他ならなかった。
真実を暴くことが必ずしも正しい行いだとは限らない。
真実を知ることで傷つくことになる人だって存在するのだ。
ユーリのように。
「ねぇ、なんでレイナが泣くの?」
ユーリが繰り返す。
そう言うユーリの瞳も潤んでいた。
なんとか涙をこらえているように見える。
泣きたいのはこっちなのに、と責められているようにも感じた。
けれどその質問に対する答えを私は持たなかった。
私の涙が止まらないのは、なぜだかわからないけれとわかってしまったからだ。
才能溢れる他人と自分を比較する辛さが。
誰にも褒められない悲しみが。
そしてそのことに劣等感を抱いてしまう苦しみが。
どれも私は経験したことはないはずなのに、それでもユーリの気持ちが痛いほど伝わってきた。
もしかするとこれもお守りの効果なのだろうか?
私の心が、魂が全身全霊で私を責めていた。
どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだ、なぜユーリをいたわってあげられなかったのだ、そのせいで彼女をこんなにも苦しめているのだ、と。
"自分の才能に浮かれていたんでしょう?"
浮かれてなんかない。
"周囲の人間にちやほやされて、得意になっていたんでしょう?"
そんなことない。
"自分は特別な人間だと思っていたんでしょう?"
思ってない。
"ユーリのことを親友だとか言いつつ、自分の引き立て役ぐらいにしか考えてなかったんでしょう?"
違う!
"嘘"
嘘じゃない!
"だってほら、あなたは今も嘘をついているもの"
私が? 嘘をついた?
"そう、あなたはとっくに気づいている。自分が特別な存在であることに"
私の心の声は、私を嘲るかのように言葉を紡いだ。
必死で反論する私だったが、とうとう言い返すことができなくなってしまった。
そう、私は薄々勘づいていたのだ。
自分は普通の人間とは違う、と。
具体的にどこがどう違うかはわからない。
でも確かに違うのだ。
ユーリとはもちろん、アレクシアとも違う。
そしてそれは魔術の才能だけではない。
きっと何か、もっと深い部分から違うのだ。
そのことに気づきかけていたのに、敢えて気づかないふりをしてきた。
理由は簡単。
認めたくなかったからだ。
私のこれまでの活躍が、私自身の努力によるものでなく、もともと持っていた才能によって築き上げられたものであることを。
私はあくまで努力によって優秀な成績を修めているかのように振る舞ってきた。
実際は対して努力もしていないのに、降って湧いたようなものであったのにも拘わらず。
それを隠すことに必死になっていたせいで、ユーリの気持ちにこれまで気づくことができなかったのだろう。
頭では否定したくても、心がそれを許してくれない。
私は少なからず自分の才能に受かれていたのだ。
そしてそれを無理に隠そうとしたせいで視野が狭まった。
もっと俯瞰的に自分のことを見ることができていれば、自分の特異さを理解し、ユーリの嫉妬にも気づくことができたはずなのに。
親友でいる資格がないのは、私の方だ。
「ごめんね……、ごめんね、ユーリ……」
私はなんとか謝罪の言葉を絞り出す。
大粒の涙がぼろぼろとベッドのシーツの上に落ち、染みとなっていく。
「ごめんね、気づいてあげられなくて……。ごめんね、私のせいで……」
悪いのは私だ。
私のせいでユーリは傷ついた。
そしてその救いをアナトリオスに求めるしかなくなったのだ。
泣きじゃくる私を見て、ユーリがぎょっとしたように表情を変える。
「なんでレイナが謝るの? 悪いのは私なのに。レイナは私の親友なのに、私が勝手に嫉妬して、勝手に傷ついただけなのに。なんでレイナが謝るの?」
そう言うとユーリも泣き出した。
「私はどうすれば良かったの? どうしたらレイナたちと親友のままでいられたの? 私は、これからも二人の親友でいたいよ……!」
その言葉に私ははっとする。
まだ、間に合うかもしれない。
ユーリはこんなにも傷ついてなお、私たちと親友でいたいと言ってくれている。
私だってそうだ。
ユーリとはこれからもずっと親友でいたい。
ユーリは私の、大切な親友だ。
"大切なものは絶対手放しちゃダメよ? 一度失ってしまったら、もう二度と手に入らないから"
ヘイグ村に帰ったとき、お母さんにかけられた言葉が頭をよぎる。
そうだ、今ここでユーリとの関係を手放してしまったら、もう二度ともとには戻れないだろう。
そうなったら私は絶対に後悔する。
それだけは避けたい。
私は何かを失って後悔なんてしたくない。
お母さんのようには、ならない。
私はユーリににじり寄り、そっとその手をとった。
突然の私の行動に、ユーリはびくっと体を震わせる。
そして私の方へと視線を向けてくる。
私もユーリを見つめ返す。
「ユーリは悪くないよ。悪いのは私。ユーリの言う通り、私は『特別』だから」
そして私は、ユーリに向けて自分の思いの丈を吐き出した。
自分の才能には気づいていたこと。
けれどそれを認めてしまうと、自分の努力が否定される気がして嫌だったこと。
そのせいでユーリの気持ちに気づけなかったこと。
それを本当に後悔していること。
そしてこれからもずっと、ユーリとは親友でいたいこと。
これでユーリとは、お互いの本音を全てぶつけ合ったことになる。
二人は全く違う立場にいるし、今まで考えていたことも全く違う。
けれど今思っていることは同じだ。
二人ともこれからもずっと親友でいたいと思っている。
それで十分ではないだろうか。
後はお互いが、自分自身と相手のことを許せるかどうかであるが……。
「でも私は、レイナに対してずっと嫉妬してきた。これからだってきっと嫉妬する。いつレイナのこと嫌いになるかわからない。今ではレイナも私の気持ちに気づいてるし、私だって自分の気持ちが嫌。そんな状態で親友でいられるの?」
ユーリが泣きながら首を振る。
そして彼女の手を握る私の手を振りほどこうとした。
けれど私は手を離さない。
離してなるものか。
「私はユーリの気持ちがわかる。私に嫉妬するのもわかる。ずっと劣等感を抱きながら生きていく辛さもわかる。それでもユーリには私の親友でいてほしい。これは私のわがままだけど、私はユーリのことが、本当に好きだから」
口から溢れだした言葉は、紛れもない私の本音だ。
私にはユーリの気持ちが痛いほどわかった。
そして彼女の苦痛を知ってなお、私の親友でいてほしいと願っている。
これはあまりにも残酷なわがままだ。
私の気持ちの押し付けにしかならない。
それでもこんなことを願ってしまうのは、ユーリのことが好きだからだ。
真面目で、おとなしく見えるけど実はいたずらっぽくて、でもとても友達思いで、優しくて、繊細で、私の大切な、大切な親友だ。
私はそんな彼女のことが、大好きだ。
「レイナに私の気持ちなんかわかるわけない! レイナは『嫉妬される側』じゃん! 『嫉妬する側』の気持ちなんてわかるわけない!」
ユーリがヒステリックに泣き叫ぶ。
そう思うのも当然だ。
でも確かにわかるのだ。
ユーリの気持ちが。
「ユーリは、私のこと嫌い?」
私は率直に尋ねた。
これに対するユーリの返答次第では、私たちの関係は修復不可能になってしまうだろう。
ユーリは泣きながらふるふると首を横に振った。
「私も今はレイナのことが好き。でもこれからはどうなるかわかんない。やっぱりこんな気持ち忘れたかった。なのに、どうして……!」
その言葉からはユーリの葛藤が伝わってきた。
それを聞いた私はユーリの手から自分の手を離し、今度はユーリを抱きしめた。
さっきのように乱暴に押さえつけるのではなく、優しくそっとだ。
ユーリはそれを拒まなかった。
ユーリの背中に手を回すと、トクントクンと彼女の鼓動が感じられた。
「これからどうなるかわからないなら、いい方向に行く可能性もあるよね?」
私はユーリを諭すように言葉を続ける。
「ユーリだって、きっと私にはない何かを持ってる。絶対に私に嫉妬する必要なんかない、素敵な人になれる。だって私の大好きなユーリが、そんななんでもない普通の人のはずないよ」
それはかなり強引に聞こえるかもしれないけれど、私が確固たる自信をもって放った言葉だった。
ユーリの魅力はとてもよく知っている。
例え他の誰もがそれに気づかなくても、私だけはそれに気づいてあげられる。
ユーリの気持ちを知ったことで、私はそう確信していた。
「それでもどうしてもユーリが辛くなった時は、その時は私も一緒にアナトリオスを飲むよ」
私は本気だった。
私のわがままを押し付けることになるのだから、万が一の時は責任を取らなければならない。
その時は私が責任をもって、私とユーリの記憶を消す。
その言葉に、ユーリがはっとしたように体を震わせる。
私の決意が伝わったのだろうか。
「どうして……、そこまで?」
ユーリの声からは激しい動揺が読みとれた。
信じられない、といった声だ。
「言ったでしょ? 私はユーリのことが大好きだって」
ユーリの耳元でそう告げ、私はユーリを抱きしめる手に力を込めた。
絶対に離すまい、と。
ユーリもおずおずと私の背中に手を回す。
そして弱々しくではあるが、そのまま私を抱きしめ返してくれた。
ユーリの手の温もりを確かめた私は、ユーリに向けてささやく。
「だからお願い。これからも私の親友でいてください」
「……いいの?」
ユーリの震える返事が耳元で聞こえた。
「うん」
私は静かに、けれど力強く肯定する。
それを聞いて、ユーリの手に込められた力が強くなった。
「ありがとう……、ごめんね、こんな私で、ごめんね……!」
ユーリが泣きながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「ううん、こっちこそごめんね、気持ちに気づいてあげられなくて。ありがとう、私を受け入れてくれて……」
私の目からも再び涙が溢れだしてきた。
そのまま私たちは、お互いが泣き止むまでしばらくの間抱き合っていた。
そして最終的にどちらからともなく手を離し、少し距離をとる。
なんだか恥ずかしくなってきたからだ。
私の顔を見て、ユーリが力なく微笑む。
「レイナ、酷い顔してる。せっかくの美少女が台無しだね」
そうは言うがユーリの顔も大概だ。
「ユーリだって、目の周りが真っ赤だよ」
私も肩をすくめて笑って見せた。
「「ねぇ」」
二人の声が重なった。
そして二人とも、相手に先を譲ろうとして黙りこんでしまう。
「「あのさ」」
どちらも話し出さないのでしびれを切らして口を開いたところ、またしても声が重なる。
私とユーリは顔を見合わせて笑った。
「なんだかレイナの言いたいことわかった気がする。やっぱりレイナはわかりやすいよね」
ユーリがそんなことを言い出した。
「えぇー、じゃあ私言うのやめようかなぁー」
私が口をとがらせて憤慨するのを見て、ユーリがクスクスと笑う。
「ううん、たぶん私も同じこと言おうとしてたから、せーので言おうよ」
ユーリはそんな提案をしてきた。
私はそれに乗ることにした。
「良いよ。じゃあ『せーの』!」
二人でタイミングを合わせて、頭で考えていたことを言葉にする。
「これからもよろしくね!」
「大好きだよ!」
……声は重ならなかった。
「ちょっとユーリ! 同じじゃないじゃん!」
私はユーリに詰め寄った。
ちなみに「大好きだよ」といった方が私だ。
「あはは、間違っちゃった」
ユーリがあっけらかんとした表情で頭をかく。
このユーリの感じ、なんか変だ。
「ユーリ、恥ずかしくなって言おうとしてたこと変えたでしょ! ずるいよ!」
「えー、そんなことないよー。レイナ、言い掛かりはよくないと思うなぁー。親友やめちゃうかも」
ユーリが取り繕おうとする。
けれどその口調はあまりにも棒読みだ。
なんてあからさまな……。
しかも親友やめるなんて言って私を脅してくるとは……。
許さん!
「ユーリ酷い! 仕返ししてやる!」
そう言うと私はユーリを再びベッドに押し倒した。
あんまり人をからかって遊ぶやつには、こちょこちょの刑だ!
「ちょっとレイナ、暴力反対!」
暴れるユーリを押さえつけ、私はユーリをくすぐり倒した。
「はぁ、レイナのせいで汗かいちゃった」
「私も疲れた。ただでさえ剣の訓練で疲れてたのに……」
しばらくして私たちはへとへとになっていた。
けれど私たちにはまだやらなければならないことがある。
ユーリの問題がひとまず落ち着いたところで、もうひとつの問題にも着手しなければならない。
ユーリがドラッケンフィールの神殿で、アナトリオスを服用したと思われるということ。
この証言がアナトリオスに関する一連の事件を解決するための鍵になるかもしれない。
「ユーリ、私たちがしなきゃいけないこと、わかるよね?」
私はユーリに視線を向ける。
ユーリも私と目を合わせ、強い意志を込めてうなずいた。
ここ最近は見られなかった確かな反応だ。
もう、ユーリは大丈夫だ。
私たちは部屋を出て、ケイシーさんとダレンさんのもとへ向かった。
二人に話をし、ユーリの体験したことを関係者に伝えてもらい、事件を解決に導くためだ。
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