第三十六話 大都市ウォーレンハイト

 翌朝私が起きたときにはすでに、アレクシアとオーウェンさんたちは出発の準備を終えていた。

 ユーリとウェインくんはまだ寝ていたが、私は起きていたカーターさんと一緒にアレクシアたちの見送りに向かうことにした。


「アレクシア、気をつけてね」


 私はアレクシアにそう声をかける。

 本当に麻薬がドラッケンフィールに持ち込まれているとしたら、今この瞬間にも街でなんらかの事件が起きている可能性が高い。

 洗脳効果を持つ麻薬であるならなおさらだ。

 すでに何人もの人が被害に遭っているかもしれない。

 ドラッケンフィールに戻ることがアレクシアにとって、本当に安全であるかはわからないのだ。


「大丈夫よ。ライゼンフォート家とドラッケンフィールの警吏が協力すれば、きっと解決できるわ!」


 アレクシアは私を励ますようにそう言い残し、ゼノヴィアさんと共に馬車に乗り込んでいった。


「私たちのことは気にせずに、旅行を楽しんでくるといい」


 最後にオーウェンさんが私たちにそう告げ、馬車はドラッケンフィールに向けて出発した。

 オーウェンさんはそう言うけれど、やっぱりドラッケンフィールのことが気になる。

 そしてそんな危険な状況のドラッケンフィールに戻ることになる、アレクシアたちのことも……。


「さぁ、朝食をすませたら私たちも出発しますよ」


 そう言ってカーターさんが私を促す。

 まだ見えるところにいる馬車にもう一度目を向け、私は食堂へと向かった。




「私はダレンと申します。一応護衛という立場についておりますが、今回は皆さまの身の回りのお世話を務めさせていただきます」

「私はケイシーと申します。私はかつてウォーレンハイトで暮らした経験があるので、案内はお任せください」


 ダレンさんは後ろ向きに撫で付けられた黒い髪と緑の瞳が特徴の、四十歳くらいの男性だ。

 今回同行したメンバーの中では唯一魔術が使えず、側仕えという立場の人だそうだ。

 今となってはすっかり見慣れた、本人確認用の魔導具である指輪をつけていなかった。

 私の周りは魔法学校の生徒や卒業生ばかりなので、指輪をつけていない人は珍しいのだ。

 一方のケイシーさんはやや暗い茶髪をショートカットにした女性で、歳は三十を少し過ぎたくらいだろうか。

 ライゼンフォート家の護衛になる前は、ウォーレンハイトのとある貴族家の護衛を務めていたらしい。

 その貴族は先の内乱で王家に協力したため現在は爵位を剥奪されており、職を失ったケイシーさんをライゼンフォート家が雇ったそうだ。


「よろしくお願いします」


 私はカーターさんも含めた護衛の三人に頭を下げる。

 ユーリとウェインくんも同様に挨拶していた。

 これから向かうウォーレンハイトは山間部にあり、付近の鉱山から採掘される豊富な鉱石の取引で発展してきた地域だ。

 またそれらの鉱石を用いた鋳造技術も高く、高名な鍛治師が多く工房を構えている。

 特に土属性の魔術に適性の高い魔術師兼鍛冶師にとっては、己の実力を遺憾なく発揮できる憧れの地だということだ。

 途中で夜を越すために町に立ち寄り、一泊して先を目指す。

 ウォーレンハイトが近づいてきたからか、街道を通る馬車も増えてきた。

 もしかしたら今すれ違った馬車の中にも、アナトリオスを積んだものがあったのかもしれない。

 そんな不安を感じながら馬車に揺られていると、とうとうウォーレンハイトの街並みが見えてきた。




 ウォーレンハイトの建物は白く華やかな印象を受けるドラッケンフィールの建物とは違い、黒っぽく武骨な印象を受けた。

 これまでアシュテリアの武器庫としての役割も担っていたことも関係しているのだろうか。

 街全体が少しものものしい雰囲気に包まれている気がする。

 私たちの乗る馬車はウォーレンハイトの門へとたどり着いた。

 すると衛兵が何人も現れ馬車を取り囲む。

 ここでも検問があるようだ。

 しかしカーターさんがライゼンフォート家の者であることを証明する書類を見せると、すぐに私たちは解放された。

 そしてそのまま門を通るように促される。

 御者さんが衛兵のリーダーらしき人に軽く会釈をして馬車を進める。

 すれ違うときに見えた衛兵たちの顔は険しいものだった。

 もしかしたらウォーレンハイトでも麻薬が広まっているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私たちは大都市ウォーレンハイトの門をくぐった。


 ウォーレンハイトもドラッケンフィールと同じように、居住区と商業区に別れていた。

 ただドラッケンフィールとは違い川で別たれている訳ではないので、明確な区切りはないようだ。

 私たちが向かう先は商業区だ。

 宿に向かう途中で多くの人とすれ違ったが、その中に衛兵や警吏らしき人物が何人も混じっているのが目についた。

 やはりここでも麻薬が広まっているという推測は間違っていなかったようだ。

 ウォーレンハイトを見たときに感じたものものしい雰囲気は、もしかしたらこのせいだったのかもしれない。

 そんなときひとつの建物が目に入ってきた。

 それは全体的に黒っぽいウォーレンハイトの街並みの中では異彩を放つ真っ白な建物で、その前には六体の彫像が立ち並んでいた。

 そう、六神教の神殿だ。

 神殿は大都市であれば、居住区と商業区にそれぞれ置かれているらしい。

 それが視界に入ったとき、ユーリとウェインくんの視線もそちらに向くのがわかった。

 やはり神殿に何か秘密があるのは間違いない。

 なんとかこの旅行の間に二人の尻尾をつかむことはできないだろうか。

 思わずそんなことを考えてしまった。


「さぁ、宿につきましたよ」


 ふとケイシーさんから声がかかった。

 気づけばいつの間にか馬車は動きを止めていた。

 私は馬車から降りて辺りを見回す。

 夕日はすでに沈みかけており、これから街を見物する時間はなさそうだ。

 私たちはそのまま宿の中へと入った。




「いらっしゃいませライゼンフォート家の皆様。本日は当宿をご利用いただきありがとうございます。残りの方はいつ頃ご到着でしょうか?」


 入ってすぐに宿の主人が出迎えてくれた。

 白髪混じりの茶髪で、少し太った五十歳くらいの男性だ。

 けれどどうやら人数に変更があったことは伝わっていないようだ。

 ダレンさんが主人に事情を説明をする。


「そうでございましたか。アナトリオスの件は現在ウォーレンハイトでも問題となっております。ドラッケンフィールでも早急に解決することをお祈りしております」


 主人は難しい顔でそう告げ、私たちを部屋へと案内する。

 その途中で今のウォーレンハイトの状況の説明を受けた。


「ここからドラッケンフィールに向かう途中の町にアナトリオスが持ち込まれたのはご存じなのでしょう? その報せは三日前にウォーレンハイトにも届きまして、至急街の衛兵や警吏たちが調査に乗り出したのです。するとちょうどウォーレンハイトに到着したばかりの馬車からアナトリオスが見つかりまして、それからというもの街は大わらわですよ」

「ではウォーレンハイトにもアナトリオスが流通しているのですか?」


 それを聞いたカーターさんが主人に問う。

 その問いに主人は渋い顔を見せた。


「それがさっぱりわかっていないのです。今のところどこからもアナトリオスやそれを用いた麻薬は見つかってはおりません。ウォーレンハイトに広まるのを事前に食い止められたのか、それとも他の都市に流通させるための通り道に過ぎなかったのか。この街の行政を司る者たちも頭を抱えているようです」


 どうやらアナトリオスを巡る問題はドラッケンフィールだけにとどまっていないようだ。

 カーターさんだけでなくダレンさんやケイシーさんも頭を悩ませているように見える。


「わかりました、情報ありがとうございます」


 そう言ってカーターさんが主人に頭を下げた。


「そんな、滅相もございません。こんな状況下ですが皆さまにはウォーレンハイトの街を堪能していただければと存じます」


 主人も私たちに向けて深々と頭を下げ、去っていった。


「なんだか大変なことになっているようですね……」


 私は護衛の三人に声をかける。

 やっぱり旅行を楽しむような状況ではなかったのかもしれない。

 早くも私は後悔の念にさいなまれていた。


「そうですね。アナトリオスはウォーレンハイトよりももう少し東へ行かないと生息しておりません。流通ルートについても調べる必要がありそうです。旦那様に報告しなくては」


 私の言葉を受けてカーターさんがうなずく。

 確かにこの街で調べたことは、ドラッケンフィールに戻ったオーウェンさんたちの役に立つかもしれない。

 なんだか旅の趣旨が変わってきた気もするが、どのみちこんな状況では落ち着いて街の見物などできない。

 私にも何か協力できることはないだろうか。


「私は明日、ラディアーレ家に顔を出してみようと思う。できうる限り現状を把握し、旦那様に報告する必要がありそうだ。ダレンとケイシーは子供たちのもとに残るように」


 カーターさんが二人に指示を出す。

 ラディアーレ家というのは確か、ウォーレンハイトの十大貴族の名前だ。

 ドラッケンフィールにおけるライゼンフォート家と同じ立場なのだから、事態の解決に奔走しているのだろう。

 接触することで何か手がかりを掴めるかもしれない。

 カーターさんが私たちの方に向き直る。


「いろいろと私たちの都合に巻き込むことになって申し訳ございませんが、皆さまは気にせず街の見物にでも出かけて来てください。行きたい場所を言えばケイシーが案内してくれるでしょう」


 どうやら私の出る幕は無さそうだ。

 魔法学校の生徒とはいえまだ魔術も使えないのだから、あれこれ首を突っ込もうとするだけ迷惑か。

 アレクシアたちが困っているときに、何か手助けができればと思ったのだが……。

 私は仕方なくうなずいた。

 その様子にカーターさんが満足げな笑みを浮かべる。


「そろそろ食事が用意されている時間でしょう。ウォーレンハイトでは山菜を使った料理がおいしいのです。きっと皆さまの口にも合うでしょう」


 それを聞いて私は急にお腹がすいてきた。


「そうですね、早く食べたいです」


 私はカーターさんに微笑み返し、食堂へと向かった。

 出された料理はドラッケンフィールでは見かけたことのない山菜が豊富に使われていて、カーターさんの言う通りとてもおいしかった。

 山で獲れた鹿の肉を使った料理もあった。

 これもドラッケンフィールではまず食べられない。

 食べている間は少しだけ不安を忘れることができた。

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