第三十五話 事件の香り
私たちが旅行へ出かける当日、魔法学校の前に豪奢な馬車が到着した。
四頭立てで六人乗りの馬車が、なんと二台だ。
魔法学校の馬車もかなり豪華だと思っていたけれど、ライゼンフォート家の馬車はやはりけた違いだ。
まず魔法学校のでは二頭であった馬の数が増えているし、細工の凝り具合いが半端じゃない。
恐らく金や銀も使われているのだろう。
私が馬車を見る角度を変える度に、光をキラキラ反射していた。
そしてその二台の馬車には、共通の模様が彫られていた。
五枚の花弁のついた花がいくつかより集まっている模様だ。
なんの花だろう?
疑問に思った私はアレクシアに聞いてみた。
「あれはゼラニウムという花よ。ライゼンフォート家がかつて王家より別たれたときに賜った紋章なの」
他の十大貴族もそれぞれの紋章を持っているのよ、とアレクシアは結んだ。
種類に違いはあるが、全て花を模した紋章らしい。
私は他の十大貴族の紋章が少し気になった。
私が馬車を観察していると急に扉が開き、紅い髪の男性が降りてきた。
アレクシアのお父さんにして現ライゼンフォート家当主、オーウェンさんだ。
オーウェンさんは私たちを見てにっこりと笑顔を見せる。
「久しぶりだね、アレクシアにレイナも。魔法学校では元気にやっていたかい?」
「えぇ、まぁ……」
アレクシアが少し歯切れ悪く答える。
気にしているのは恐らくユーリのことだろう。
オーウェンさんもそれに気づいたのか少し顔をしかめた。
「そういえばユーリという娘の姿が見えないな。今年の新入生という子もだが……」
そう言ってきょろきょろと辺りを見回す。
そう、ユーリは今この場にいないのだ。
私が朝起きるとユーリはすでに部屋にはおらず、どこに行ったのだろうと探していたのだが見つからなかったのだ。
そしてウェインくんもまだ来ていない。
やっぱり二人して来るのをやめたなんてことはないよね?
そう思いつつも私は少し心配になった。
「お待たせしました!」
しかししばらくすると、ユーリがウェインくんの手を引いてやって来た。
どうやらウェインくんを迎えにいっていたようだ。
ちゃんと教えてくれれば良かったのに……。
そんな些細なことにすら不満を持ってしまう。
「すごいですね、これがライゼンフォート家の馬車ですか……」
ウェインくんが目を丸くして馬車を見つめている。
その言葉を聞いたオーウェンさんがウェインくんに微笑みかける。
「はじめまして、私はライゼンフォート家当主、オーウェン・アッシュ・ライゼンフォート。ライゼンフォート家のことはもう授業で習っているかな?」
ウェインくんが慌ててオーウェンさんに向き直り自己紹介をする。
続いてユーリも挨拶を終えたところで、私たちは馬車に乗るよう促された。
一緒に乗るのは私たち子供四人の他に、ゼノヴィアさんともう一人、見知らぬライゼンフォート家の護衛だ。
いや、見知らぬというのは間違いで、去年ドラッケンフィールの街で爆弾魔に襲われた後、私たちを学校まで送り届けてくれた人だった。
「お久しぶりでございます、皆さま。以前はきちんとご挨拶することができませんでしたが、私はカーターと申します」
その人物、カーターさんはアレクシアやオーウェンさんとよく似た紅い髪で、三十代前半くらいの男性だ。
なんでもライゼンフォート家の親戚筋の人らしい。
当然カーターさんも魔法学校の卒業生だ。
魔術師としての腕を買われて本家の護衛として雇われたそうだ。
そんなことを話していると、馬車がゆっくりと動き出した。
馬車が豪華なのは見た目だけではなく、中もかなり凝ってあった。
馬車とは思えない広々とした空間に、たくさんの装飾が施されている。
私たちの座る椅子もふかふかで座り心地が良いし、揺れもあまり感じない。
「アレクシアさんってライゼンフォート家のお嬢様だったんですね、驚きました」
そう言ってアレクシアに羨望の眼差しを向けるのはウェインくんだ。
そういえばウェインくんと話すのは久しぶりだ。
いつもユーリだけを連れてどこかへ行ってしまうので、直接話す機会はほとんどなかったのだ。
だからアレクシアと話すのも久しぶりのはずで、最初に会ったときアレクシアは自分の名前しか言っていなかったから、彼女がライゼンフォート家の娘だと知らなかったのも無理もないかもしれない。
けれどユーリがアレクシアのことを今まで話していなかったことには少し驚いた。
「まぁ、あまり楽しい立場ではないから、なるべく言わないようにしているのよ」
アレクシアが少し顔をしかめて答える。
彼女のこれまでの人生を考えれば、そういう考えになるのもうなずける。
「そうとは知らずに、ごめんなさい……」
ウェインくんが少しうつむいてアレクシアに謝罪する。
「良いのよ、むしろ内緒にしていてごめんなさいね」
アレクシアが慌てて弁解した。
続けて、
「急なお誘いになってしまったけれど、今回は旅行を楽しんでね」
そう言ってウェインくんににっこりと微笑みかける。
そんなアレクシアの様子を見たウェインくんも顔をほころばせた。
「ありがとうございます。僕は旅行なんて初めてなので、すごく楽しみです!」
無邪気にはしゃぐウェインくんの姿を見て、車内の雰囲気も明るくなった。
今回の目的地である大都市ウォーレンハイトは、ドラッケンフィールから馬車で七日ほどかかる。
しかし直線距離で言えばドラッケンフィールからヘイグ村までとあまり変わらないだろう。
大都市から大都市へ続く街道はあまり迂回することもなくしっかり整備されているため、かなり早く行き来することができるのだ。
さらに道中には発展した町や村が数多くある。
だから途中で野宿する必要もない。
馬車の乗り心地も良いし、快適な旅になること間違いなしだろう。
ただひとつ気がかりなのは、ユーリとどう接したら良いか、というものであるが……
ドラッケンフィールを発って五日目、ウォーレンハイトまで後少しというところで、私たちを乗せた馬車は宿泊のためにとある町に立ち寄った。
ウォーレンハイトはアシュテリアの南、つまり大陸全体から見てもかなり南の端の方にあり、標高も高いため、近づくに連れて少し肌寒さを感じてきた。
特に夜は冷え込むため、野宿せずにすむのは大助かりだ。
町の規模はコンラート村よりもずいぶん大きい。
私はドラッケンフィール周辺の町には行ったことがないけれど、これくらいの規模の場所なのだろうか。
その町に進入しようとした私たちであったが、先を行くオーウェンさんたちが乗る馬車が衛兵らしき人々に止められた。
それにともない私たちの馬車も止まらざるを得なくなる。
衛兵のリーダーらしき人物と御者さんが何やら話しているようだ。
なんだろう?
そう思い馬車から身を乗り出して前を確認した私であったが、話の内容はよく聞こえなかった。
最終的にオーウェンさんが直接衛兵のリーダーと話をつけ、馬車が村に入ることを許された。
少し困惑しながらも、私たちは今晩止まる宿へと向かった。
この町はやはり、宿などの設備もしっかりしていた。
人の行き来が多い街道の周辺なので、それも当然かもしれない。
夕日はすでにとっぷりと暮れており、私はお腹が空いていた。
さぁご飯だ、と思っていたけれど、その前にオーウェンさんによって全員がひとつの部屋に集められた。
何やら大事な話があるらしい。
さっき馬車が止められたことに関係しているのだろうか。
私は自分の部屋に荷物だけ置き、指定された部屋へと向かった。
「どうやらつい最近、この町に麻薬の原料が持ち込まれたそうだ。そのためこの町に立ち寄る馬車は厳重なチェックがされているらしい。私たちがライゼンフォート家の者であることを証明できたから我々の馬車は確認されなかったが、かなり警戒しているようだ」
私たちを集めたオーウェンさんが難しい顔で事態の説明をした。
「麻薬ですか? 一体どのような?」
カーターさんがオーウェンさんに確認する。
「『アナトリオス』、という植物は知っているだろう?」
オーウェンさんの答えにカーターさんが息を飲むのがわかった。
ゼノヴィアさんも険しい表情を浮かべる。
気になった私はゼノヴィアさんに聞いてみた。
「アナトリオスってなんですか?」
「アナトリオスはアシュテリアの南東部からミスリームにかけて生息している植物で、その根に含まれる成分は強い幻覚作用があるのです。そして魔力をもった人間が薬として調合することで服用者の記憶の混濁をもたらし、洗脳効果を持つことで知られています」
ゼノヴィアさんの話を聞いて、私は背筋がひやりとした。
洗脳効果を持つ麻薬。
そんなものが一体なんのために持ち込まれたのだろう。
なんだか嫌な予感がした。
「私が気になったのはそれだけではない。アナトリオスを乗せた馬車はウォーレンハイト方面からやって来た馬車であったそうだ。となるとその行き先はどこか。私はドラッケンフィールである可能性が高いと思っている」
オーウェンさんが眉間にしわを寄せて話す。
オーウェンさんの言うことには一理ある。
もしかしたら今この瞬間にもドラッケンフィールで麻薬が蔓延しているのかもしれないのだ。
すでに総督という立場ではないものの、長らくドラッケンフィールの街を預かってきたライゼンフォート家の当主として、そういった事態は見逃せないのだろう。
「すでにドラッケンフィールには連絡を飛ばしていたようだが、行き違いになったようだ。私たちはすぐにドラッケンフィールに戻ろうと思う」
「じゃあ旅行はどうなるの?」
オーウェンさんの話を聞いたアレクシアが悲しそうな顔で尋ねる。
確かにこの状況では旅行どころではなさそうだ。
オーウェンさんが渋い顔でこれに答える。
「その事なんだが一応二つの選択肢がある。このまま全員でドラッケンフィールに帰るか、それともお前たちだけここで別れウォーレンハイトへ向かうか、だ。幸い馬車は二台あるしな」
アレクシアが顎に手を当てて考え込む。
難しい選択だとは思う。
正直私はこのまま旅行を続けたい。
楽しみにしていた旅行だし、目的地であるウォーレンハイトはもう目の前だ。
ここで帰ってしまうのはすごく心残りだ。
けれど今、ドラッケンフィールは大変なことになっているかもしれないのだ。
そんな状況では旅行を楽しむことはできない気もする。
それにオーウェンさんたちが帰ってしまったら、私たちについてこられる護衛は二人だけになってしまう。
アレクシアの立場から鑑みるに、戦力的に少し心許ない気もする。
きっとアレクシアも同じようなことを考えているのだろう。
そしてそれらを踏まえた上で、アレクシアが結論を出した。
「私はお父様と一緒に帰るわ。だけど後の三人はウォーレンハイトに連れていってあげて欲しいの」
その答えはまさかの、第三の選択肢であった。
「なるほど、それもありかもしれないな」
それを聞いてオーウェンさんがうなずく。
そして私たちの方に向き直って問う。
「どうだろう、君たちがそれでよければそうするが」
今度は私たちが悩む番だ。
私はユーリとウェインくんと、三人で顔を見合わせる。
「どうしよっか? 私は正直ウォーレンハイトに行ってみたいけど……」
私の問いに二人がそれぞれ答える。
「私もせっかくだし行ってみたいな」
「僕もこのまま帰るのはもったいない気がします……」
私たちの意見は決まった。
それを聞いたオーウェンさんが少し表情を緩める。
「すまないね、レイナ。君へのお礼の旅行のつもりだったのに、こんな事態に巻き込んでしまって。この埋め合わせはまたいつかさせてもらうよ」
私は慌てて手を振る。
「そんな、もう今回の旅行で十分ですよ。気にしないでください」
なんだか私は何もしていないのにオーウェンさんへの貸しが増えてしまっている気がする。
そんなつもりは全くないのに。
焦る私の様子を見たオーウェンさんが苦笑する。
「謙虚なのはいいことだが、私にも恩を返させてくれないか?」
そこまで言われては断ることができない。
「じゃあまた今度考えておきます……」
渋々そう答えると、オーウェンさんは白い歯を見せて笑った。
しかしすぐに真顔に戻る。
「では明日の早朝、私たちの馬車はすぐにドラッケンフィールに向けて引き返す。レイナたち三人と共にウォーレンハイトに向かうのは、カーター、ダレン、ケイシーの三人だ。子供たちに怪我の無いよう、しっかり職務を果たすように」
「かしこまりました!」
オーウェンさんに名前を呼ばれた三人の護衛が返事をする。
ゼノヴィアさんはドラッケンフィールに帰るようだ。
彼女はアレクシアの専属のようなものだから当然か。
その後はライゼンフォート家の護衛同士で打ち合わせをすることになり、私たち子供は解散になった。
お預けを食らったことによりお腹がもうぺこぺこだったので、私たちは食堂へと向かった。
「なんか大変なことになっちゃったね」
私はアレクシアに話しかける。
「そうね、せっかくの旅行がまさかこんなことになるなんて……」
アレクシアもとても残念そうだ。
「でも私のぶんまで楽しんでくるといいわ。土産話を期待しているわね!」
アレクシアが私たちに向けてにっこりと微笑む。
けれどそれは少し無理をして笑っているようにも見えた。
楽しみにしていた旅行が中止になり、さらにドラッケンフィールが大変なことになっているかもしれないのだから当然か。
しかしこんな状況でものんきな人物がいた。
ユーリとウェインくんだ。
「明後日にはいよいよウォーレンハイトだねー」
「ですね! わくわくしますね!」
なんて二人で言い合っている。
緊張感がないにも程がある。
やっぱり私たちだけで旅行を続けるという選択は失敗だったかもしれない。
私は少し不安になった。
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