聖骸機メシアクラフト【完結済】

鉄機 装撃郎

聖骸機メシアクラフトー本編―

ep1「輝けし浄罪の夜《クリスマス》」

「どうしたのさ、この可憐な美少女をわざわざクリスマスの夜に呼び出すなんて」


 幼稚園の頃から見慣れた少女の顔が、隣で悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 今日は聖夜。高校生の男女が学校帰りに街へ繰り出すなんていう光景にしたって、この街を見渡せばありふれた光景の一つに過ぎない。

 たとえ少年にとって、クリスマスに女の子を誘うのが初めての事であったとしても。


「美少女なんて自分で言うことかよ。それに"可憐"って駄洒落のつもりかよ……カレン」

「で、そろそろ教えなさいよ。ユウキ」


 こちらの顔を覗き込んで来る少女の仕草に、心臓が小さく跳ねた。

 夜空に映える細く繊細な金髪、そして正面から見つめればまるで吸い込まれてしまいそうな蒼い瞳。そんな絵に描いたような少女の視線に晒されていれば、たとえ幼馴染と意識していたって耳がかーっと熱くなって来る。


 ――――こいつはこっちの気も知らないで。


 入園式の日に初めて会った時も、彼女の笑顔に思わず見惚れてしまったのを覚えている。誰もが物珍しいハーフの女の子に注目する中、あの時もカレンは屈託のない笑みを浮かべていた。

 だから、皆が彼女を好きになる。

 そんな想い出を振り返る度に頭がボーっとして来るのは、なにも彼が軽い風邪をひいているからだけではない。


 ――――カレンはどうして今も俺なんかの傍に居てくれるんだろう。


「ん?」

「なんでもねー!」


 カレンからの視線を浴びせられるのに耐え切れなくなって、少年は雪降る街並みを歩き始めていた。

 街は既に電飾に溢れ、毎年恒例のクリスマスムードだ。

 ダッフルコートを着込んだ彼女は、歩く度に無邪気にポニーテールを揺らしながらついて来る。ハーフらしい華やかさが自然と人目を惹き付けている事など、当の彼女自身は気付いていない様子だ。


「別にいいだろ、どうせお前は彼氏なんかいないんだから暇そうだったし」

「あんただってそうでしょ。こんなとこ見られてクラスの子に勘違いされても知らないんだからね」

「いいよ、別に」


 言ってしまった。

 そう気付いたのは数歩ほど歩いてからの事で、思わずぎくりと背筋が伸びてしまう。こんな台詞は遠回りな告白に聞こえたんじゃないのかと、言いようのない恐れが膨らむにつれカレンと顔を合わせられなくなって来る。


 ――――もう何か言ってくれよな、カレン。


 いつもはうるさいくらいに話しかけて来るカレンが、今は黙りがちに半歩後ろをついて来る。

 何を喋っていいかも分からない今だけは、街のあちらこちらに見えるクリスマスツリーが気になって仕方がない。どこもかしこもカップルだらけだ。

 頬にあたる空気は更に冷えて来たというのに、コートに包まれる全身は徐々に熱くなって来た。昨日には引いたはずの熱がまた戻って来ているのかも知れなかった。


「……ふーん、ユウキはいいんだ」

「そ、そうだよ。勘違いされるくらい別になんでもないだろ」


 勇気を出せ、自分。

 ユウキはネックウォーマーに口を埋めながら、誰に聞かせるともなく一人呟いてみる。

 思い返せばカレンにはいつも振り回されてばかりだった。だから今日こそは、と半年も前から準備を重ねて来たのだ。何を欲しがっているかをそれとなく尋ねもしたし、熱が出てもバイトだって休まなかった。今さら後に退く事なんて出来ない。


 ――――渡す練習だってして来たんだ。


 コートのポケットに仕舞い込んだちっぽけな小瓶が、カレンを意識するほどにずしりと重さを増して行く。

 計画は完璧だ。いつ何処で渡そうかと、昨晩はタブレット端末を睨みながら東京のデートスポットを調べもして来たのだから。

 しかし、ユウキは我に返るとその場に立ち止まっていた。


「ここどこだっけ……」

「知らないよ、あたしをエスコートしてくれるんじゃなかったの。今日はなんだかボーっとしちゃっていつものユウキらしくないよ?」

「あれ、おかしいなぁ」


 きょろきょろと周りを見渡してみれば、やや背の低い建物が辺りを囲んでいる。少しアプリを使えば迷わず済んだというのに、いつしか何処へ向かうとも知れない道に足を踏み入れてしまっていたのだ。

 街からは少し外れてしまっている。

 もう周りに、クリスマスに浮かれる人並みなど見えはしない。


 ――――ああもう、違う。こんなはずじゃなかったのに。


 隣で立ち止まったカレンに気遣わし気な視線を注がれながら、慌ててスマートフォンを取り出そうとした矢先。うっすらと雪が降り積もる道の角から、焦りに沸き立つ心を鎮めるかのような旋律が聞こえて来る。

 少し歩み進んでみれば、開放された扉から教会の中を見て取ることも出来た。ステンドグラスに描かれているのは天から舞い降りる天使、そして神父の言葉に耳を傾けるのはミサに集った人々だ。


「これって……聖歌かな」

「きよしこの夜じゃないの。多分だけど」


 カレンの言葉が合っているかどうかなど分からない。だが、その繊細に重なり合った声音は血管に染みわたり、すっかりオーバーヒートしそうになっていた血液の温度を徐々に下げて行ってくれた。

 今なら他の誰もこちらの声など聞いていない。

 今日はカレンに何をすべきなのか、人生十六度目のクリスマスに何を伝えるべきなのか、ようやく心が定まって来たユウキはカレンの方を振り返っていた。


「ていうか、先週辺りから風邪っぽいみたいだけど大丈夫?」


 やや上目遣いのカレンが心配そうにこちらを見上げて来る。

 小学生の頃はこんな光景は有り得なかった。女子にしてはやや長身のカレンを追い抜いたのは、果たしていつの頃からだっただろうか。その瞳に見つめられる度に胸がざわつくようになったのは、果たしていつからだっただろうか。


 ――――違うな、きっと初めて会った頃から俺は。


 強引で、勝ち気で、いつだってこちらを振り回してばかりで。それでも昔からちっとも変わらぬ優しさを向けてくれる女の子が、今もほんの数十cmにいてくれる。

 昔と何一つ変わらないまま、今もこうして傍にいられるのはそれこそ奇跡みたいなものだ。

 だからこそ、この距離を破るのは今しかない。


「だから今日はユウキもあんまり無理しないでさ」

「……好きだ、カレン」


 二人が見つめ合う中で、辺りの時は止まっていた。

 まるでそんな風に感じられるほどに、想いを伝えた一瞬が永く長く引き延ばされる。互いに言葉も出ないままに見つめ合う瞳は、ようやくその言葉の意味が浸透して行くにつれてゆらゆらと揺れ始めていた。

 教会の前で足を止めたままの二人。どちらともなく漏らした「あっ」という間抜けな声が、止まった時を再び進め始める。


「はぁ?! あ、あんた、なんてタイミングで言ってくれちゃってるの。もっといい感じの雰囲気になってからとか、綺麗な夜景が見えるところとか、そういうのってあるじゃんもう……不意討ちなんてほんと信じらんない」

「俺だって良い感じの場所を調べてたんだよ! いやその、ごめん、こういうのって初めてで慣れてなくて」

「そりゃそうよ。あんたみたいな普通のどこにでもいそうな、パッとしない奴が場慣れしていてたまるかっての。ばか……ずっと前から待ってたのに」


 俯き気味に顔を逸らしたカレンが顔を真っ赤にしている。

 どくん、と心臓が跳ね上がるような感覚だった。いつだって下らない喧嘩ばかりしているカレンが、今まで見たことも無い表情で眼を逸らしている。


 ――――カレン、こんな顔もするんだ。


 凍えそうな空気に混じって運ばれる仄かなシャンプーの香りまでもが、いつもとは違うような気さえして来る。その香りが、仕草が、表情が、ほんのすぐ傍に一人の女の子がいるという事を意識させて来て、容赦なくユウキの鼓動を加速させて行く。

 カレンが好きだ。

 そんな事はとっくに分かっていたはずなのに、こんな気持ちさえ知らなかった。ポニーテールの毛先を指で弄り始めたカレンが、黙した彼の代わりに口を開く。


「あたしはあまり素直じゃないからさ、本当はねすごく嬉しいの。ずっとこの気持ちは片想いなんじゃないかって、今日呼ばれた時だって凄くドキドキして怖かった。ほら、今はこんなに膝が震えちゃってる」

「カレン……」

「嬉しい」


 へへ、と微笑むカレンの頬につーっと涙が伝って行く。嬉しそうに目を細める彼女が、粉雪交じりのそよ風に髪を遊ばせる彼女が、まるで初めて出会った知らない娘のようにさえ思えて来る。

 だから、もっと知りたいと願ってしまった。

 知っているはずの彼女をもっと知りたくなった。


「俺、十年以上も何を見ていたんだろうな」

「……っ!」


 気付いたら頭が真っ白になって、思わずカレンを抱き締めていた。

 分厚い冬服を介して彼女から伝わって来る鼓動は、今や自分と同じくらいに早鐘を打っている。少し遅れて不器用に抱き返して来る腕の感触が、その意味を教えてくれる。

 やはり知らない事ばかりだった。

 思っていたよりカレンの体温は高くて。ほんの少し力を入れてしまえば折れてしまいそうなくらいに華奢なことも、今この瞬間までは知らなかった事だ。


「カレン」

「ユウキ……」


 もっと知りたい、そんな想いが互いの瞳を介して通じ合う。

 一切の雑音が消え失せた二人だけの世界で、どちらともなく相手の顔を覗き込むように視線が絡み合う。蒼く潤んだ瞳が徐々に迫って来て、やがてユウキの視界全てを彼女が覆いつくしていた。やり方なんてドラマくらいでしか知らなかったのに、気付けば唇同士がそっと触れ合っていた。

 一体どれほどの間そうしていたのかは分からない。次に唇が離れたのは、街に聞いたことも無いサイレンの音が響き始めた時だった。


「えっ、どうしたの」

「なんだろう」


 国民保護サイレン。たとえその名を知らなくとも、聞くだけで腹の底がざわつく電子的な音色が街の隅々へと響き渡る。


『政府より緊急情報のお報せです。太平洋側より高速で接近する飛翔物体があり、破片の一部は当地域に落下する可能性があります。近くに適当な建物がない場合は、物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守ってください。指示があるまでは屋内での退避を――――』


 無機質なアナウンスまでもが危険を伝えて来るにつれ、自然と鳥肌が立つのを抑えられなくなる。

 マズい。何かがマズい。そんな本能的な警戒心を掻き立てるような放送を聞くのは初めてだった。ミサイルが飛んで来たのか? 戦争なんかしていないのにどこから? きっと何かの間違いだろうとは思いつつも、カレンを抱き締める腕は少しだけ強張り始めていた。腕の中でカレンが小さく身をすくませる。


「こんなの聞いたの初めてだよ……怖い」

「そうだな、とりあえずここの教会に入れてもらおう?」

「うん」


 そうだ、何も起こるはずがない。ユウキは言い聞かせるように呟いた。

 また何事も無く明日はやって来るのだから、付き合って初めての登校日にはどんな話をするかを悩めばいい。十時間も経てばまたやって来るはずの明日を想いながら、ユウキはそっと彼女から離れようとする。

 足元の影が不意に伸びたのは、その瞬間だった。

 辺りを満たし始めたのは眩いばかりの光。唐突に街をくっきりと照らし始めた光から、ユウキは咄嗟にカレンを庇うように腕の力を強める。


「なんだよ!」


 光源を、決して見てはいけないような気がした。

 それでも目を凝らさずにはいられなかった。

 細めた目を夜空に向けてみれば、強烈な逆光の中に沈む何者かのシルエットを見て取れる。てっきり爆弾か何かが落ちたのかとも思っていたが、彼の瞳に映り込んだのはそんなものではなかった。


「六枚の羽……?」


 間違っても天使などではない。ステンドグラスに描かれていたような天使とは形がまるで違う。六枚の羽が連なっただけの何かが、目も無いくせに東京を睥睨するかのように宙に浮かんでいるのだ。

 そのあまりに非現実的な造形に目を奪われていたから、いつしか腕の中に抱いていた感触が変わっていた事にもしばらく気付けなかった。分厚い冬服越しに鼓動を伝えて来た感触は、今や固く冷たくなって何の熱も感じられない。


「カレン?」


 ふと視線を下げたその瞬間、心臓が止まったかに思えた。

 彼の目と鼻の先に在ったのは、ごつごつとした無機質な表面を晒す白い柱。冗談か何かのようにダッフルコートを被せられ、雪だるまよろしくマフラーを巻き付けられた白い柱が腕の中に在った。


「ぁぁああっ、ああっ……カレン、カレン!」


 カレンはどこにいったのだ。目の前のこれは何なのだ。ぞっとするほどに穏やかな光を浴びながら、まるで理解の追い付かない現状に思わずユウキは腰を抜かす。

 未だ光に慣れ切っていない視界で辺りを見渡してみれば人影があった。助けを呼ぼう、もはや冷静な思考も出来ないままに彼はスーツ姿の人影に向かって走り出す。


「ちょっと、聞きたいことが!」


 人影に向かっていたはずの足取りは、やがて力なく地面に縫い留められていた。

 気付いてしまったのだ。人だと思っていたはずのそれは、破れたスーツを被せられているだけの白い柱でしかない。先ほどまで確かに人間として歩いていたはずの柱は、今や白い蟻塚のようにそびえ立つ無機物へと変わり果てていたのだ。


「なんだよ、これ」


 この街唯一の生存者となった事実も知らずに、ユウキはその場にゆっくりと膝をつく。弾みでコートのポケットから飛び出た小瓶は、薄く積もった雪の上に音もなく零れ落ちていた。

 それはカレンが前から欲しがっていたドライフラワー入りの小瓶だ。もう二度と渡せなくなってしまったプレゼントは、共に行き場を失くしたユウキの膝元に寄り添う。まだ悲しいとさえ思えないのに、極まる混乱と恐怖で静かに流れ出した涙は小瓶のガラスに弾けて消えて行った。


「何をしたっていうんだよ、カレンが……」


 上空数百m、六枚羽の怪物は無慈悲にも力強く羽ばたく。

 すると街はブリザードじみた突風に舐められていた。

 余波で半ばから折れた柱はきらきらと舞い散り、咄嗟に伸ばしたユウキの手は幾ばくかの結晶を掴み取る。雪とも塩とも知れない白い結晶が吹き荒れる中、掌には融けない粒だけが残っていた。


 後に第一次東京聖災と呼ばれるに至ったこの事件は、東京に住まう人々のことごとくを塩の柱と変える事で収束した。

 太平洋側より領空を侵犯した高速飛翔体に対し、航空自衛隊がスクランブルを掛けていたが阻止することは叶わず。配備されていたあらゆるミサイルも航空機も、東京から飛び去って行った飛翔体を撃墜することさえ出来なかった。

 迎撃にあたったパイロットは後に、「天使を見た」と語ったという。


 2020年12/25、それは人類が初めて六枚羽の天使に出逢った夜でもあった。それから十年の時を経て、人類が世界の八割を喪う事になるとは誰も知らないままに。

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