常識は、最良の守神である .2
周に指摘されても何のその、青年は口を引き結んだまま無感情に茉莉花に視線を合わせてるばかりだ。周ががりがり頭を掻きながら肩を竦める仕草をしてはいたが、表情はさして困っていないように見えた。
『さっき話した通り、彼、祠季野柘澄はAEU東日本支部、実動班所属の
随分な言われようなのに、青年は特に反応を示しもしない。
『さて。当座の問題、紙片持ちの異劫に関して話をしようか。一番厄介だと思ってたのは、中庭とはいえこの施設に侵入を許してしまったこと』
『あ、それ……わたし、ここにいて平気なんですか?』
『問題ないよ。まあ、問題あったのなら君は今頃ここにはいない。この施設は絶対死守ってところにはないけれど、それなりに重要なものも置いてあるし、人員の命も関係してくるからね、実証済みだよ。一応いくつか対策を打ったとはいえ、異劫の全容なんてものは明かされていないから用心はしておくにこしたことない』
ちら、と周が青年を見遣る。
『紙片持ちの件が片付くまで、茉莉花くんは彼、祠季野柘澄と行動を共にして貰おうと思ってる。護衛役ってところ』
『――……え、』
『ディミトリでも良かったけどちょっと今回のことで交渉とかしてて忙しい。紙片持ちはどうにかしないとならないからね。勿論先日話した通り、茉莉花くんにも協力して貰うよ。異劫に直接対処するのは実動班の領分、お互い協力も必要だよね』
ぱん、と、骨と皮のみで出来たような薄い掌を合わせた周は相変わらず口元だけで笑って、言った。
『意思疎通、図っておいてね』
さも簡単に告げた周は茉莉花と柘澄を残して病室を出て行ってしまった。
それ以来、部屋を移動する際は大体一緒だ。監視されているといった印象よりもただついてきている、という具合なのが少し救いなのだろうか。基本的に茉莉花が何をしても柘澄は何も言わない。
静かに後ろをついてくるだけ。
意思疎通とは何なのか。コミュニケーションをとるつもりが端から無いのか、以来茉莉花は動く石像と共に生活している。
朝と夕方の診察と、茉莉花がこの数日で顔見知りになった研究所の人間と話をしている際はすっとどこかへ居なくなっている。アプリで現在位置を見ているのだろう、同じフロアにいることだけは確認していた。会話に混ぜようと画策しても見事に回避され、困ったことにAEUの人員も柘澄に関わることを避けていた。
唯一柘澄とまともに会話しているように見えた周に関しては何かの流れで小武方に聞いた。「家の関係よ、祠季野家は春夏秋冬家に連なる家で、どちらも由緒正しい家柄なの。祠季野は西支部を統括してる家柄なんだけど、……彼は、春夏秋冬で預かってるとかなんとか、詳しいことは知らないけど、ちょっと複雑な事情があるみたい」と返された。出会って間も無い茉莉花が勝手にその領分に踏み込むのも憚られ、そこまで聞いてすぐに話題を逸らした。
周が言うところの“意思疎通”のために質問を投げても、即効強制終了させられるのが常だった。茉莉花自身知り合いはそれなりに多い方だと自覚もある。さして好き嫌いをしないと自負していたがこうまで話の出来ない、喋らせることの出来ない相手に出会ったのは初めてだ。出身地から趣味、好きな食べ物など思いつく限り様々な質問を浴びせたが『きみに関係があるのか?』といったニュアンスに近い言葉を選ばれて一刀両断される。イエスかノーで答えられる質問も考えてみたものの、その場合は無視されていた。
印象は最悪だった。しかし、命を救って貰って、護衛までして貰って、茉莉花としては頭が上がらないし邪見にも出来ない。
邪見には出来ないが、埒も明かない。
流石にそろそろ、祠季野柘澄という青年と顔を合わせるのは苦痛になりつつあった。
「まっちゃん、おはよう」
別館地下三階のエレベータホールを出たところで、横から長い腕が絡みついてきて声を上げかけたがもう何度も同じことを繰り返されていたので、そろそろ慣れた。七分丈のシンプルなカットソーから覗く浅黒い肌。顔を上げると、きつい巻き毛の二十代後半くらいの女性が立っていた。
「ノエミさん、おはようございます……、もう、びっくりするからやめてくださいって」
「なに、あんま驚かなくなったの? まあいっか、朝ご飯食べた? えみが心配してたよ」
渡辺ノエミ。マダガスカル人と日本人の混血で、AEU日本東支部の修復班に所属している。修復班とは、異劫の襲撃で被った諸々の事後処理を行うチームだと聞いた。ノエミ以外にも十数名所属しており、中庭の修復を行ったのも彼女達だ。中でも被害のある現場で活動をする人間と、情報操作をする人間と分かれていて、ノエミは戦闘後の現場に赴いて戦闘で破損した建物などを復元するらしい。口で説明されただけだったので実感が湧かなかったが、医療フロアで茉莉花が受けた傷の高速治療と似た要領で、「まあそのうち現場で見る事になるわ」と言われた。
彼女とは紙片持ちの異劫に襲われて一日経った早朝、地下三階を歩いていた際に開け放たれていたドアの向こうを覗いた際に知り合ったのがきっかけだ。以来、見掛けると話相手になってくれるしこうしてよく抱き付かれている。小武方とは仲が良いらしく、何度か一緒に居るところを見ている。
ノエミにぎゅうぎゅうと抱き締められている間に、柘澄の姿は消えていた。これもいつものことだ。最初は慌てたが、追い掛けても「近くで待機している」と言われてそれきりだ。
(また勝手にどっか行った……)
溜息を吐きたくなったが、何となくやめておいた。柘澄はよく溜息を吐く。行為を真似ているように感じてしまうのも癪で、ぐ、と吐きかけた吐息を飲み込んだ。
「祠季野はまたどっか行ったのか。こんなかわいい子放っておくなんて何考えてるんだか……私なら絶対放っておかないのに、よしよし」
器用に片眉を上げたノエミが周囲を見渡してぼやく。茉莉花が首を傾げてしまうのは彼女の言葉に実感が持てないからだろう。
可愛いだとか、正直わかったものではない。家系なのかあれこれ食べても腹に贅肉がつかないのは儲けものだと思っているけれど、あとは並くらいの認識だ。茉莉花にとって絶対的に美しいだとか、可愛いという女性は従姉に限られている節もある。
外とは連絡を取っていない。両親にはAEUから専門の人間を送り、春夏秋冬関連の総合病院で集中治療室に入っていて面会謝絶だと説明しているそうだ。
どのみち、紙片持ちの異劫を倒さない限りはおいそれと外に出るのは危険だ。
「まっちゃん、あとで余裕あったら修復班の部屋においで。映画みよ、映画」
ぱあ、と自分でも面白いくらい顔が緩むのがわかる。
ノエミとよく話をするようになったのはお互いの趣味が映画鑑賞だからだ。修復班のメンバーは示し合わせた訳でも無く映画好きが多い。好きなジャンルはそれぞれありはせよ、休憩時間中にモニターで何かしらの映画を流している。いつ異劫が発生するかパターンも解明されていないと周が行っていた通り、当然夜勤もあるので休憩や仮眠時間に映画を見ることを楽しみにしているそうだ。「動画配信サービスが充実してから格段に手軽になったから凄く良いわ……」とは修復班の映画好きの人達が口々に言う台詞だ。修復班もそうだが、異劫の生態解析や対処策を考案する解析班も長時間勤務の人間が多く、残業が基本という労働状況から気晴らしに修復班のところで映画を見ていく。
ちなみにノエミは、結構きつめのスプラッタホラーが好みである。
「まっちゃん、サメ映画好きだったよね? この間サメの方のディープブルーがまた配信され始めたけど」
「皆さんに文句なければそれ見たいです!」
思わず挙手して言えば、くすくすとノエミが笑って「話しとくわ」と返してくれた。
「なんだ、随分馴染んだようだな、茉莉花」
後方から声を掛けられて、ぴ、と背筋が伸びた。
「……! ディミトリ!」
「思ったより元気そうだな? ノエミに相手してもらってたのか」
アースカラーのスリーピーススーツを着たディミトリが近寄って来た。ジャケットは手に持っていたが、今まで白衣姿しか見たことがなかったので随分印象が違う。
「若くてかわいい子が目の保養になってくれてるから、うちの士気が上がってますよ、ロスメルタさん。新しい映画鑑賞仲間にも引きずり込めましたし」
「あんまり妙なものを見せないでくれよ」
ノエミはそれには肩を竦めるだけにして、ひらひらと手を振って去って行った。
ディミトリとしっかり顔を合わせるのは三日ぶりだ。
「放ったらかしてすまんな、……柘澄は?」
「……ここ」
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