「箸渡し」

「食べて、ここのクリームあんみつがとっても美味しいから。」


おばあさんにうながされ、真弓は「はあ」と言いながら、

小洒落た喫茶店のテーブルに載せられたあんみつにスプーンをつける。


…なにこれ美味しい。


思わずスプーンが進むと、紅茶を一口飲んでからおばあさんは小さく笑った。

彼女は鈴木三枝すずきみつえと言って地元で華道の師範をしているといった。


「私も若い頃はあなたみたいに訳も分からないままにあの場所に行ってね、

 こうして今の私と同じくらいの女の人たちにあんみつを奢ってもらったのよ。

 思えば、あれが初めての喫茶店だったわ。おじいさんに約束をすっぽかされて

 半ばやけになって、でも彼女たちに励まされて、とても嬉しかった…」


それを聞いて、真弓もスプーンの手を止めた。


「…私もそうです。彼が仕事の関係でここに出張していて、

 一緒に食事をしようって言ってたのに急な取引先の呼び出しでダメになって。

 それで、待ち合わせていた駅で特にすることもなくて…」


すると、三枝さんはくすくすと笑う。


「ふふ、そこまで一緒なのね。でも大丈夫よ。

 きっといい知らせが入ってくる前触れなんだから。

 何しろ私たちは良いことを…三途の河に橋をかける役割をしたのだから。」


その言葉に真弓は首をかしげる。「三途の河の橋…ですか?」

すると、三枝さんはすっと姿勢を正した。


「そう、『箸』は『橋』、三途の河を渡るときに善人には橋がかかるの。

 その橋の元となるものが私たちが落としたお箸なの。

 落ちた数の分だけ三途の河の対岸を渡るための橋となる。

 その分だけ善行を積んだ人は対岸に、極楽浄土に渡れるのよ。」


真弓は思い出す。穴の向こうで聞こえた言葉。

「やあ、橋がかかったぞ。」「これで向こうに渡れる…」

…あれは、そういうことだったのか。


すると、三枝さんは可愛らしく小首を傾げてみせる。


「でもね、なぜかあの箸を落とす役割は私たち女性しかできないみたい。

 今まで男性が参加した話は聞いたことがないのよね…ま、いいわ。」


そういうと、三枝さんはすっと立ち上がる。


「今日はありがとう。お陰で懐かしい気持ちになったわ。

 また、ご縁があったらお会いしましょう。」


そうして、三枝さんは柔らかく微笑むと真弓の分まで会計を済ませ、

そのまま喫茶店を後にした。


その時、タイミングよく真弓のスマホに着信が入った。

取れば彼氏からの電話だった。


『ごめん。ちょうど今、打ち合わせが終わってさ。

 ちょっとお昼には遅いけれど、一緒にご飯を食べよう…それとさ、』


そして、一旦言葉を切ってから彼はこう続けた。


『この春に本社勤務になるみたいなんだ。

 それで、よかったら一緒に暮らさないか。アパート借りてさ。』


真弓は気づいた。


ここで暮らせば、いずれ自分は老いていく。

そしてある年齢まで達した時に、自分はまたあの「箸の家」に行くのだろう。


そこには、今の自分と同じような境遇の女性がいて、

そんな彼女に自分は優しく教えるのだろう。

今日の三枝さんのように、今日の出来事のように。


そんなことを考えながら真弓は小さく笑うと電話に答えた。


「…わかった、一緒に暮らそう。」


窓の向こうから、春の匂いが微かに感じられた…

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